第8話 焦燥


 夜中になっても莉久が帰って来なかったことで、さすがに家族の不安も色濃くなった。

 何度も電話をかけ、メッセージも数十分置きに送る。しかし一切反応が無い。

 おかしい。友人の家に泊まりに行ってるという可能性も考えられたが、それでも普通なら一言連絡を寄越すはずだ。

 

 何かあった。


 常日頃冷静な両親がこれまで見たことないほど動揺しており、リビングは異様な空気に包まれている。

「本当に何も聞いてないんだな?」

 父さんが俺に問う。莉久が家出して、それを俺が庇っている可能性を考えてるようだ。

「本当に知らないよ。そもそも莉久には家出する理由が無いだろ」

 我が家は比較的仲の良い家族だと思ってる。両親は莉久のイラストの勉強を全面的に支えようとしているし、高校を卒業した後の専門学校への進学にも賛成している。

 莉久が今この家を出るメリットは全く見当たらない。

「事件に巻き込まれたのかな……?」

 母さんが泣きそうな表情で言った。俺の焦燥感も次第に増大していく。 


 そこでふと、思い当たった。

 宮下さんだ。


 あの後ろめたさを含んでいたような目、頑なにターゲットを教えようとしなかったあの態度。

 そしてその夜に妹が失踪。これは偶然だろうか。思い込み過ぎだろうか。

 なぜ宮下さんが莉久に手を下す必要があるのかは分からない。しかし、もし宮下さんのターゲットが莉久だったと考えると、俺以上に動揺をあらわにしていたあの様相にも説明がつく。殺そうとしている相手の兄が目の前にいたんだ。落ち着いていられるはずがない。


 だがいくら思い当たるといっても、こんな予想を両親に話すことはできない。

 今はひとまず行方不明者届を出す流れに話を持って行って、明日……日付を跨いだのでもう今日だが、会社で直接宮下さんを問い詰めよう。

「何かに巻き込まれた可能性は高そうだね。警察に行って、行方不明者届を出そう」

「……そうだな。何もせず待ってるよりはその方がいい。俺が行ってくるから、お前達は先に寝てなさい」

 父さんがコートを羽織りながら言った。

 こんな状況で寝付けるはずがない。だが、他に何をすることもできない。

 俺と母さんは、警察署へ向かおうと玄関を出た父さんを見送り、リビングで眠れない時間を過ごした。


 ◇


 翌朝になっても、やはり莉久は帰ってこなかった。

 

 ――殺されている。 

 

 吐きそうだった。こういう時の悪い予感はことごとく的中するものだ。多分莉久は、もうこの世にいない――。


 朝食もロクに喉を通らなかった。だが俺の胃袋は、何も入っていないのにひたすら何かを吐き出そうとしている。その何かは多分、不安や絶望感。何度トイレに駆け込んでも、俺の体からそれらがスッキリ吐き出されることは無い。

 両親も一夜で憔悴しょうすいし切っている。莉久が普段から夜中まで遊び歩いているような奴だったなら、ここまで気にすることもなかったのだろう。

 だが、莉久は今まで家族に変な心配をかけるような真似はしなかった。だからこそ、俺達家族の嫌な予感はより現実感を伴って心を蝕んでくる。


「……何か動きがあったらすぐに連絡してくれよ」

 そう言い残して父さんが先に仕事へ向かう。俺もそろそろ出る準備をしなければ。

 本当は母さんの傍にいてあげたいが、宮下さんに色々と聞きたいことがある。

 俺はスーツに身を包み、母さんにできるだけ柔らかい声をかけて家を出た。

 

 ◇


 会社に着いた俺は、ソワソワしながら宮下さんの出社を待った。

 オフィスにはまだ人がまばらだが、あと数分もすれば続々と社員達が現れるだろう。

 俺は今日行う予定の業務の準備を始めた。


 しかし、いくら待っても宮下さんは来なかった。

 亡き課長も昨日から当然出社していない。課長の無断欠勤によって昨日の時点でもかなり会社は混乱していたらしいが、今日も来ていないということで、オフィスは騒然となっていた。


「課長は今日も来てないのか?」

「奥さまから連絡があったんですが、昨日から家に帰っていないそうで、今日警察に相談に行くそうですよ」

「宮下は? あいつもまだ来てないよな?」

「宮下は臨時で有休を取るって電話がありました」

「まじかよ、昨日も有休取ってたよな。業務の方は大丈夫なのか?」

 先輩達が慌ただしくやり取りをしている。

 課長はともかく、宮下さんは有休。


 くそ、やっぱりか。

 もし本当に宮下さんが莉久を殺したのだとしたら、莉久の失踪で我が家が大騒ぎになって、俺が宮下さんに疑いの目を向けることくらい容易に想像できるはず。そんな中でノコノコ俺の前に姿を見せるとは思えない。

 おそらく、宮下さんはもう会社に来ない。少なくとも、俺がいる内は。


 ――待てよ。そうだとすると、宮下さんは次にどんな行動を取る?

 会社を辞める可能性は高い。だが、別の可能性もあるのではないか。

 俺さえいなければ宮下さんには何の憂いもない。殺人サブスクの事を知っているのは俺と宮下さんだけだからだ。

 つまり、俺を殺してしまえば宮下さんはまた何食わぬ顔して会社に戻れる。


 考え過ぎか? これは被害妄想か? まだ宮下さんが莉久を殺したとは限らないんだぞ。

 だが、もし仮にそうだとしたら。一刻も早く手を打たないと、俺はターゲットに指定されて捕らわれ、殺される。


 落ち着け。宮下さんがそんなことをするか? あの宮下さんが――。

 俺は優しい先輩のことを信じていたかった。

 だが、今も鮮明に思い浮かぶ。課長への殺意を口にした時の目。あれが宮下さんの本性、仮面の下の素顔だ。

 そして昨日、宮下さんは殺人施設を訪れていた。宮下さんは俺と同じ、自分のためなら人を殺せる人間なんだ。

 

 殺される前に、殺すしかない。

 気が狂いそうだった。あるいは、もう俺は狂っているのかもしれない。


 そうだよ。俺はもう人殺しなんだ。まともな人間じゃないんだよ。

 人を信じて殺されたいのか? 嫌だろ? だったら先に殺すしかないんだよ。

 状況的に見ても、宮下さんが莉久を殺したのはほぼ間違いない。先に俺の家族を傷つけた宮下さんが悪いんだ。俺はただかたきを取るだけ。


 俺は人目につかない所でスマホを取り出した。コロホアプリを開き、『ターゲット情報送信』のアイコンをタップする。

 そして、知る限りの宮下さんのパーソナルデータを入力し、送信した。

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