第六場 自慢の息子 後編

「我々はケイアスの精神に対して決起したのだ。我々は祭壇に生贄を捧げるものであっても、屠殺者ではない。しかし今は、あなたの息子がローマを焼き払う業火となり迫ろうとしているのだぞ」

 ブルータスはなんとか言葉をひねり出した。


「ローマなんざ滅びてしまえばいいのさ!」

 ヴォラムニアの鼻息が荒くなる。

「あの子は復讐のために、この腐り切った国を相手に地獄の悪魔が暴れ出したように戦うだろうよ」


「復讐———父を殺され母を汚された俺の心を血に狂わせる。俺を復讐に駆り立てたのは子としての情だが、奴は違う」

 横入りしたハムレットは更に語る。


「誰がおめおめ我慢するものか、この世の鞭や嘲り、暴君の無法な振る舞い、威張り腐った奴らの侮蔑、辱められた恋の痛み、裁判ののろくささ、役人どもの空いばり、つまらぬ奴らを相手に立派な人がじっと耐え忍ばねばならぬ数知れぬ屈辱、誰がこんな重荷を忍ぶものか、短剣のたった一突きでこの世から逃れ出ることができるのに。しかしこの世を去って知らぬ禍いを求めるよりは、とどまって現在の苦しみを耐え忍ばせるのだ」


 なにを言っているのかよくわからない。が、ヴォラムニアは神から啓示を与えられたように神妙な顔で聞き入っている。


 うんうん、いいんじゃないの? ハムレットは胸に手を当てひざまずいた。

「どうか私の正直さをゆるしてください。こんな腐敗しきった世の中では、美徳がかえって悪徳に赦しを乞わねばなりません」


「高貴な方が、よしとくれよ」

 性格を除けば背が高くアイドルのように整ったハムレットに見上げられて、ヴォラムニアがほんのり頬を染め、顔の前で手を振る。


「やはり、ケイアス殿にお会いになってお言葉をおかけになった方がよろしゅうございましょう」

 さすがホレイシオは主君を立てつつまとめ、同じく跪く。それを見てブルータスとライラも慌てて頭を下げた。


「お願いします! 私の友達の命が危ないんです!」

「あなたの力でローマを救ってほしい。この通りだ!」


「…頭下げられちゃ仕方がないねぇ」

 観念したように溜息をつくヴォラムニア。

「連れて行っておくれ、あの子のいる場所へ」


 ここはセント・ポール大聖堂の地下なのだから、両者が出会うのはすぐだった。大主教の亡霊軍団を率いたコリオレイナスはケンカ腰である。


「お前らの吐く息は腐った沼地の臭気より我慢ならねえ! お前らに愛されるくらいなら腐乱した野ざらしの死体の匂いを嗅ぐ方がまだマシだ。こっちが逆に追放してやるぜぇ! 震え上がるがいい! お前らを本当に守ってくれる人間を追放して、せいぜいいい気になってやがるんだな!」


 迫力満点の外見は母親にうり二つ。身丈と横幅こそ違えど縦と横の比率は全く同じで、仁王立ちした足の角度まで一緒だ。これはローマ人が畏怖するのも分かる。武力で来られたらまず敵わないだろう。


「けど、弱い立場の人に当たり散らしたりわざわざ反感を買うような事を言うのって、自分のもろさを隠す為じゃないかな」

「えぇ〜? コリオレイナスがぁ? あの原始人がガラスのハートだって言いたいの?」


「うん…なんとなくだけど」

 納得いかないハムレットは隣でブツクサ言うが、ホレイシオは目から鱗と言わんばかりの顔をしていた。


「ケェェイアスゥ!!! まぁた他人様に迷惑かけてるのかい!!」

 コリオレイナスに全く引けを取らない覇気と声量。ドンッ! と地面に突いたのは槍…ではなくやはりほうきだった。しかし明らかに息子は怯んでいる。


「アタシもね、お前と同じ激しい気性さ、でもお前と違って、一時の怒りのために判断を誤らないだけの理性は持っているよ」

「か、母ちゃん…叱らないでくれよ…」


「だったらやめな! つまんないことして他人様に迷惑かけたら承知しないよ!」

「お願いだから兵を解散しろとか、ローマの職人どもと仲直りしろとか、親不孝だとか、不人情と言わないでくれよぉ。冷ややかな理性でこの火のような怒りや復讐の心を鎮めないでくれよぉ!母ちゃあん!」


「近所迷惑なことはおやめといつも言ってるだろ! アンタは、母ちゃんの自慢の息子なんだよ!」

「…くっ!女々しい心にならないためには、母ちゃんの顔を見ないに限るぜ」


「いいや待ちな! ローマ人を助けてほしいというこの願いが大主教の破滅になるなら、お前の名誉を傷つけることにもなろうが、アタシの頼みはお前が間に立って大主教には慈悲を施させ、ローマ人にはそれを受けさせること、そして両方から平和の恩人として感謝され、嵐のような祝福を受けてもらいたいからなんだよ」


「母ちゃん…」

「アタシたちを哀れむ心より、コリオレイナスの異名を誇る気持ちの方が強いというのかい、ケイアス」

 ヴォラムニアは膝をついた。そしてブルータスが続き、ライラたちも真似する。


「母ちゃん! ごめんよおぉ~!」

 ついにコリオレイナスは母親に駆け寄り、体を支えて起こした。母強し。圧勝である。


「しかしこの独断は…」

 そんなホレイシオの危惧は現実のものとなる。大主教の亡霊兵士どもが「裏切り者!」「殺せ!」と騒ぎ始めたのだ。


「君たちは逃げなさい!」

 ブルータスに追い立てられ、ライラ、ハムレット、ホレイシオはその場を離れた。


「どうするの?っ てわたしがいても足手まといだし…」

「ライラは上に行きたいんでしょ? そしたらそこ右に曲がって左に曲がると、地下一階への扉があるよ。僕たちはここから出られないから」


「え…。ねえ、どうしたら出られるの?」

「それは無理なんだよ。僕たちは大主教のキャラだから。でもライラに会えて楽しかったよ」

 まさかこんな展開になるとは思っていなかったが、彼らは確かに大主教の暗黒魔法なのである。


「ホレイシオともまた一緒になれたし、君みたいな可愛い子と出会えたしさ。デンマークで復讐なんてやめて僕もイングランドで暮らそうかな」

「もう暮らしてるじゃない」


「じゃあおかしなことを言わないようにさぁ、ひとつ口を舐めてくれない?」

「もうっ! あなたそんなキャラだったの? オフィーリアは?」

 ホレイシオも肩をすくめている。


「ウィリアム・シェイクスピアっていう下ネタ好きの劇作家がいるの。彼の魔法ならあなたたちを解放できるかもしれない」

「じゃあ待ってるね。あとは沈黙だけ———」


 ハムレットとハグして、ホレイシオのお辞儀に見送られたライラは地上を目指す。

 しかし二つ目の角を曲がるところで進行方向から人の気配がし、はっと身構えた。現れたのは———


「トニー…!」

 思わず駆け寄ったライラを、トニーは強い力で跳ねのけた。

「近づくな…ライラ逃げろ…」

「トニー? どうしたの?」


 胸が苦しいのだろうか、喉を押さえて胸を掻いている。それに顔色も悪い。

「はや…く…行け…」

 するとその場に崩れ、自分の体を両腕で抱いた。

「ああ…痛え! 体が…ッ! あああああああああぁぁっ!!」




※『コリオレイナス』

共和制に移行したばかりのローマ。貴族主義者コリオレイナス(ケイアス・マーシャス)は戦場では勇壮無比。その功績から執政官に押されるが、政治には全く向かない。民衆を虫けら扱いし、気まぐれな態度に憤慨し暴言を吐きまくった挙句、追放される。

旧敵ヴォルサイ人の元へ身を寄せ、復讐のためにローマへ攻め入ると、元老院は和平交渉のため様々な手を尽くすが彼は聞き入れない。しかし猛女の母ヴォラムニアの説得で、彼は独断でローマと和平を結んでしまう。ローマが和平に沸き立ち母親が凱旋する日、コリオレイナスはヴォルサイ人の将軍オフィーディアスと民衆に虐殺されるのだった。


※「あとは沈黙だけ」『ハムレット』第五場第二幕 さんざん喋りまくってきたハムレットらしい死に際のセリフ。

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