第4話

          ◇


 開かずの踏切。会社から、それほど離れていない場所に、その踏切はある。一度、遮断機が下りたら15分も待たされるのは当たり前。誰も通りたがらない踏み切り。

 

 この道を通らなければ、遠回りになってしまうから、仕方なく通っていたが。


 いつの頃からか、毎朝見かける、お婆さんが気になりだした。腰を曲げ杖をつき、よろよろと踏み切りを渡る。


 遮断機降りたら、危ないよな。


 お婆さんの後をつけるのは、不審者っぽい。だから一度、お婆さんを追い抜いて反対側で待つことにした。ちゃんと踏み切りを渡れたのを確認して、会社に向かう。


 毎朝、お婆さんを見かけたら、安全に渡れるか見届ける。それが、いつしか日課になっていた。


 いつものように、転ぶんじゃないかと心配しながら、お婆さんを見送った。また、いつもと変わらない1日が始まるはずだった。


「あの、すみません」


 大きな目と華奢な体つきが目を引く、清楚なワンピース姿の女性に呼び止められた。


「突然、声を掛けて、すみません。でも、言わなきゃいけないことがあって」


 女性は目と鼻の先まで、顔を近づけてきた。


 物怖ものおじしない態度に、こちらが戸惑っていると、その女性は真っ向から言い切った。


「私、兵藤美弥子といいます。あなたのことが好きになりました。私と付き合っていただけませんか?」


 女性は頬を染め、悪戯ぽく微笑んだ。


「絶対に後悔させません。だって」


 兵藤美弥子と名乗った女性は、柔らかそうな唇に、指を押し当てた。


「私、全てが、良い方向に向かう方法、知ってるんです」


 どうしますか? と、覗き込んでくる瞳に、思わず、ふたつ返事していた。



          ◇


 ずるっと、よだれを拭いながら、孝介は目を覚ました。


「なんだ。寝てたのか、俺」


 昔の夢を見ていた。美弥子と付き合いだした頃の夢。告白されて舞い上がっていた頃の。


 朦朧もうろうとした頭で、目の前の小箱を手にした。


 純白の小箱。中には大枚はたいて買った婚約指輪がある。


 おもむろに、箱から指輪を取り出し、蛍光灯の明かりにかざした。


 美弥子の誕生石ブルートパーズ。まわりを取り囲むダイヤが、人工的に造られた光をも、高貴な光として放っている。


 美弥子が行きたがっていた、カントリー風のレストラン。日時は追って連絡するということで、窓ぎわの席を予約しておいた。そこで、この指輪を渡すのだ。


 そう決めたのだが。


 孝介は、慌てた様子で指輪を箱に仕舞った。


 はたして、美弥子は喜んでくれるだろうか。眉間に皺をよせ、考え込んだ。


「いや、ちがう」


 5年も待ってくれたのだ。嫌なら、とっくの昔に捨てられている。


 ふうっと深呼吸して、孝介は携帯電話を手にした。1コール、2コール。何度目かのコールで美弥子が出た。


『ごめんなさい、すぐに、でれなくて。どうしたの?』


 いつもと違う、押し殺した声だった。


「あのさ、今、時間ある?」


『あっ、今? 今じゃなきゃ、だめかな? 今夜は送別会があって』


 美弥子の応えに、身体から一気に力が抜けていった。そうだ、今夜は寿退社する同僚の送別会があるのだ。


『でも、急用なんでしょ。どうしたの?』


 孝介は唸った。このタイミングで言うのか。


「うん。でも、まあ、いいんた。今、言う事でもないから」


 やっと発した言葉は、曖昧な返事だった。


『そう、なら今度ね』


 少し落胆したような、美弥子の声を聞きながら、自分に納得させる。


 そうだ。やはり大事な話は会って話さなければ。


 視線を感じ、何気にベランダの方を見ると、3日前から姿を見せなかった麻呂様が、じっと、こちらを窺っていた。


 少し青みががった目を、まん丸にして、呆れたと言わんばかりに、ゆっくり背中を向ける。


 久々に来て、なんだよ。


 自分の度胸のなさを見透かされた気がして、麻呂様に指輪を見せた。


 今度こそ、男らしく申し込んでやるよ。


 声をひそめて言う孝介に、電話の向こうで美弥子がいぶかしんだ。


『だれか、いるの?』


「いや。何でもないんだ」


 手のひらに収まった指輪。ブルートパーズ。その石が一瞬、煌めいた。

 この青さ。どこかで見たような。


 宝石の角度をかえるたび、何か思い出しそうな気がする。


『先輩は頂きます。悪く思わないでくださいね』


 孝介は頬に手を、おいた。

 どうしようもなく、悲しい思いをしたような。なにか、大事なものを失ってしまったような。


『孝?』


 宝石の光の中で、真っ白なドレスをまとった美弥子が、切なそうに手を差し伸べてるような気がした。


「あのさ、美弥子」


 今、この手を離しては、いけない。


「俺と」


 美弥子が微笑みかける。



「結婚しよう」


 

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時を刻め 紅音こと乃(こうねことの) @amatubu

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