34.あの大国が沈んだ時から

「さて」


と彼は言った。あたしは少しだけ身構える。


「やっと話をする時間が取れた」

「怒ってる?」

「怒ってる? どうして?」

「あたしが暴走したから」


 それはなあ、と彼はベッド脇に椅子を持ち出す。濃い眉が大きく寄せられる。


「当然だろ」


 やっぱり。


「でもそれが仕事というなら、俺には何も言えない。俺だって、そういう仕事してるんだからな。でも」

「でも?」

「はらわたは結構煮えくり返ってるんだぞ。おい」


 あたしは苦笑する。


「お前さ、その仕事、辞める気はないのか?」


 ない、とあたしは短く答える。


「首相の命令か?」

「違うよ」


 少しだけ、目をそらす。そういうことじゃあないのだ。


「『スリーパー』」


 あたしは目を伏せる。その単語が出たか。


「お前、その一人だったんだな。鎖国前の日本が、あの国から受け入れた、日系人たち」

「『日系人』だけじゃあないのよ」


 「越境生」、それにあたし達を支援してくれる各地の人々。

 それらをまとめて「スリーパー」という。

 あえてそこで英単語にされた、内閣総理大臣の直属の部下。

 本当の戸籍を持たない部下。


 あの大国が沈んだ時、この国は住民の受け入れを拒否した。

 「日系人」をのぞいて。

 ただこの場合の「日系人」の定義はあいまいだった。

 大ざっぱな定義としては、あの大国に市民権を取って住んでいた「もと日本人」もしくは「日本人の子孫」。

 それが日系人だとしたら、その中には、その定義が当てはまらない者もいた。

 長期の留学、家族ぐるみで駐留していた商社マン。観光ビザでやってきていた若者。就業ビザで働きながら滞在していた大人。皆あの時には一緒くたにされた。総勢百万を超えていた。

 正規のルートで帰ってくることもできたはずなのに、早すぎる天変地異に乗じておきた混乱は、それすら彼等にさせなかった。

 当時家族が散々捜し回り、現在でもその子孫が探している場合もある。

 だがそもそも「受け入れ」自体が非公式なものだった。「全ての受け入れを拒否する」のが当時の建前だったのだ。

 鎖国することにより、物資の輸入をも拒否するというリスクを負った上での安息。少子化が進んでいたとはいえ、これから生活を切り詰めざるを得なかった、人口密度の高い国に一気に「広義のジャパニーズ」百万人を入れることは。

 あたし達「日系人」は、秘密裏に国内に入った後、ほぼ強制的に凍らされた。当時開発途中であった、冷凍睡眠装置コールドスリープだ。当時の「都内」の臨海地区にあった倉庫群と山間地の施設が、その場所に当てられた。

 管理はほとんどコンピュータの自動制御で、数少ない管理者も、何を冷凍保存しているのかは、知らなかったらしい。

 それが合意であったのかどうか、今では定かではない。その件に関する資料が残っていないのだ。

 そしてあたし達は、そのまま忘れ去られた。何十年もの間。

 正直、あたし達が生き残り、解凍されたのは、奇跡に近い。

 百棟がところあった中で、生き残ったのは、その中のたった一棟だった。

 他の棟は、突発的な停電や、地震や豪雨による浸水などで、装置そのものがいかれてしまったという。

 もちろん、中の人々も、眠ったまま死んでいった訳だ。


 ―――見つかったのは本当に奇跡だ。


 現在の内閣総理大臣が、その地位を押しつけられた時、彼はまず、旧都地区の施設を一つ一つ確認に行った。

 使えるものと使えないものを、自らの目で確かめることが必要だと思ったらしい。それは正しい。

 彼はそれまでの代々の首相と比べ、四十代初め、と平均年齢が下がったこの時代でも、ずいぶんと年若かった。

 誰もこの地方分権が強力な中、実権があまりにも少ないこの地位につこうとする政治家は少なかった。

 彼は決してその地位を自分から欲しいと思った訳ではなかったが、ついてしまったからには、その役目をきちんと果たさなくてはならない、と思った。

 その上での視察である。

 誰の手を借りる訳でなく、秘書一人連れ、それこそ一般市民同様に自転車と手弁当で一つ一つを確認していった。

 必要だと思ったら、専門の者を呼んだが、必要と思うまではそうしなかった。


 ―――そして、海沿いの倉庫群を見つけた。


 既に数十年前からそこは「開かずの倉庫群」となっていた。

 重い扉を開くと、そこには、死臭が漂っていた。それも、遠い昔に封印した様な。

 中を確認し、それが何なのか意味を理解した彼は、他の倉庫に慌てて自転車を走らせた。

 一つ、二つ―――どの倉庫も同様だった。

 最後の倉庫の扉を開ける時、彼はほとんど期待はしていなかった。

 だがその倉庫は生きていた。ひどく冷たい空気が、全体に漂っていたのだ。

 みきくん、と彼は秘書を呼んだ。

 この中の人々は生き返るだろうか、と。

 彼女はわかりません、と言った。だけどやってみる価値はあると思います、と。

 何の価値があったのか判らない。

 だが、とにかく彼は、関東管区の自分の母校から、その道の専門家を秘密裡に呼び寄せた。

 専門家は、自分のルートから、医師を手配した。解凍プロジェクトチームが作られた。


 結果として、解凍は成功した。


 最後の倉庫に眠っていたほとんどが、再び体温を取り戻し、数十年後の世界によみがえったのである。

 目を開けることがなかったのは、赤ん坊と老人だった。

 だが喜んでばかりはいられなかった。

 おおもとの1/100にも満たない人間達であったが、既に自給自足体制となっていたこの国において、その存在はずっと秘密にされてきた。秘密にしなくてはならなかったのである。

 「たった一万人」なんて言葉は既に使える社会ではなかった。

 鎖国しているからと言っても没交渉という訳ではない。対外的にこの結果は、まずい。

 国内的には、その存在を明かさなかったのは正解だったろう。この国全体が生き抜いていくためには。

 ただ何より当事者達に対し、「忘れてしまった」こと。それは問題だった。

 このまま自分が見つけなかったら、と思うと、若い首相はぞっとするものを感じた。


 彼は生き返った彼らを自分の直属の部下とした。

 ただし、正規の戸籍は出さない。その時の必要に応じて必要な場所に生きていかせることができるための「戸籍」を発行したのである。

 彼はその時、自分の権限を最大限に生かそうと決意したらしい。野心が、目覚めたらしい。

 一方、蘇生した彼等にも問題は残っていた。

 冷凍した時の処置に問題があったのか、解凍した時なのか、そのあたりははっきりしない。

 彼らの頭からは、その個人的な記憶がそっくり抜けていたのだ。

 正確には、その個人的な記憶に対する脳の道筋が閉ざされてしまった、というべきだろう。

 もちろん、生活はできる。毎朝起きて、顔を洗って、食事をして――― そんなことはきっちり記憶している。

 ただ自分が誰なのか、それがさっぱり判らなくなっているだけなのだ。

 目覚めた仲間の中に、家族もいるのかもしれないが、それすらも判らない。

 彼らは習慣も環境も違う場所で、絶望的に孤独だった。

 だが人間は強いものだ。それでも生きて行こうとはするのだ。

 過去にどうだったかは判らない。

 だがこれからを一緒に生きて行こう、という者は共に組み、首相の指揮のもと、各地に住処を決めた。


 だけどあたし達は。


 当時、中等学校や大学における「学生」となりうるのは、二百人ほどいた。

 そのうちの半数は、「学生」であることをやめて、この社会の中へと出ていった。更に半数は各地で普通の生活をするために短い訓練後、移転していった。

 そして残りがやや長い訓練を受けて、各地の学校へ「越境生」として派遣された。

 彼らがどういう実績を上げたか、はあたし達は知らない。首相も言わない。

 越境生制度自体は鎖国当初からあった。

 だがこの時期、それは半ば形骸化されていた。「越境生」が自分の学校に来た、などというのは遠い昔のできごとであるかのように。

 首相はその制度を利用したのである。


 あたし達の歳の十二人はまだその頃、中等の歳頃だった。

 ちょっとしたサバイバル訓練と、この現在の世界に関する知識、そしてどの高等に行っても通用するような教育を受けていた。

 当初は皆、英語で喋り合っていた。皆それが当然のように。

 今でもそうだ。気を抜くと、つぶやきは英語になる。

 でも日本語が話せない訳ではない。特にあたしは。

 そしてその教育の中には、裁縫も料理もなかったわけだ。


「『日系人』ではなく、ただ、たまたまそこにいた日本人だった、という可能性もあるのよ」


 あたしは顔を上げる。


「だからミキさんは言うのよ。あたしが好きと思う恰好をしてみろって。その気持ちを素直に態度に表してみろって。そうすることによって、あたしが『日系人』だったか『日本人』だったか判るかもしれないって」


 彼女によると、当時の日本の「女子高生」と、アメリカで暮らしてた「日系人」の高校生とはずいぶんと文化も態度も違うらしい。


「だからお前、髪の色を変えてるんだ」


 大きくうなづく。


「馬鹿だよなあ」

「馬鹿だよ。悪い?」


 彼はそっと、あたしの髪に手を伸ばした。あたしは微かにびく、と震える。


「料理もできないし裁縫もできない。口は悪い」

「うるさいわね」

「わがままで強引で」

「ええそーだわよ。久野さんに言われるまでもなく」

「ほらそうやって、名字で呼ぶし」


 え?

 そう言えば、そんなことを遠山も言っていた。


「結構仲が良かったのに、女の子はともかく、お前ずっと、あの野郎ども、名前で呼ばなかったろ」

「だ、だって……」


 事件の掘り起こしが一つ終われば、皆別れてしまう連中なのだ。そこまで親密になりたくはない。


 だって別れてしまう時が辛いじゃない。


 そう、言おうとしたら。


「だから馬鹿だっての」


 え。顔を上げたとたんに、にやにやと笑う彼と目が合った。


「あいにく俺は、お前がもしこの先仕事を続けたとしても、あちこちで出会うことができるんだよ」


 何を、言おうとしてるんだろう。軽く首をかしげる。すると彼は、何やら真面目な顔になって。


「前にお前、俺に聞いたよな」

「ななななにを」


 なななななにを。何動揺してるんだ、あたし。


「お前がただの女の子だったら、協力するかっていうの」


 そう言えば、聞いた気がする。


「あの時は結構頭キレてて」

「答えようか? 協力しない」


 息を呑む。予想してなかった言葉。 


「だけど誤解するなよ。ただの女の子だったら、そいつには、絶対誰かしらいるじゃないか。もしもそこでつまづきそうになったとしても、親だのきょうだいだの友達だの」


 心臓が飛び上がる。


「だけど、お前には誰もいない。だから」

「同情ならお断りよ!」

「同情じゃねえよ!」


 彼は声を張り上げた。


「同情でなあ、お前、二十七の男が、十も下の奴に真顔でこんなこと言えるかっていうの!」


 へ。


「好きなんだよっ! お前に、惚れてるんだっ!」


 あたしは思わず凍った。

 凍った、と言うか。

 視界が、ぱあっと明るくなったような、そんな。


 あ。


 言ってしまってから、彼は脱力したように、あたしのベッドの上に頭と腕を投げ出した。


「みろ、こんなこっぱずかしいこと言わせるからだぞ…… 一日分の気力体力全部使っちまったじゃないか」


 あはははは、とあたしは笑った。

 笑って、彼の背中に勢いよくのしかかった。

 肩が動かせたら、その背中を思い切り抱きしめてやりたかった。

 重いぞ、とうめくような低い声が背中ごしに聞こえる。

 あたしは笑い続けた。

 笑いながら、泣いていた。

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