21・お熱なエリスと東のドラゴン.中

 オルクと共に馬を飛ばして数時間。日が暮れる前に目的の洞窟へと到着した。

「……ここだ」


 馬から降り、ぽっかりと開く入り口を睨む。

「相当でかいな……」


 確かに龍一匹入れそうなくらいに大きく開いており、中から生暖かい風がながれてきた。奥が見通せず、一歩踏み込めばすぐさま漆黒に吞み込まれてしまう。まるで悪鬼の棲家だ。


「…………」

 尻込みする俺を余所に、オヤジがそこいらに転がっていた木を拾って火を点け松明代わりにする。のっぺりした闇は簡単には追い払うことが出来ないようだったが、少し先が見えるようになった。穴はなだらかな下り坂になっていた。


「よし、行くぞ……って俺が先頭かよ」

「おうさ、嬢ちゃんを助けてあげるんだろ?お前さんが先陣切らねぇとな」


 別にこの奥に囚われているということでは無いのだが。オヤジから松明を渡され、俺は勇んで第一歩を踏み出した。


 内部はかなりジメッとしており、時折天井から垂れる水滴がそれらしい音を響かせている。いかにもな環境演出のお陰でドラゴンに対する不安感は募るばかりである。後ろを付いてきているオヤジが尋ねた。


「そういやお前さん、それで戦えんのかい?」

 野太い低音が反響した。俺は握りしめていた槍斧を改めて観る。柄は純白に塗り上げられ、刀身に至っては金銀煌びやかな箔押しに加えて色とりどりの宝石まで嵌め込まれていた。成る程これは邸宅に飾り付けておくにはぴったりな代物だ。松明に照らされて輝くそれを眺めながらうぅむと唸る。


「そもそも槍術の心得なんて無いんだけどな。しかしこれ自体使い物にならないって事は無いんだろ?」

「そうさなぁ、折れたり欠けたりはしないだろうが……ま、何とかならあな」

「適当だなぁ……っと」


 不意に開けた空間に出た。余りに広すぎて奥が確認できないが、恐らくここが最深部なのだろうか。道中感じていた生温い空気が急に湿気を帯びた。


 隣に進み出てきたオヤジが目を凝らし、次いでハッと見開く。


「おい。多分あれ、だなぁ……」

 指差すその先には……


「へ?……あれはドラゴン……なのか?」

 ちょっとした小山ほどもありそうな体軀が丸まって上下に蠢いていた。


「噂じゃドラゴンって聞いてたんだがな……」

「ふうむ……」


 ソレの体表に鱗らしきものは見当たらず、てらてらと濡れ光る浅黒い皮膚に毒々しい模様が走る。手足の指の間に付いている水掻き、閉じられた真ん丸な眼。どうやら爆睡中らしいその姿はどう見ても巨大な大蜥蜴だった。二重表現ではあるがそれ程までに規格外の大きさなのだ。


 これの肝を取らないといけないのか……想像しただけで全身が粟立つ。しかしこれもエリスのためだ。空洞の壁に松明を立てて、小声でオヤジに話しかけた。


「何であれ、寝てるんだったら今が好機だ。そうっと行くぞ」

「お、なんか作戦があるのか」

「いや…………」

「……」


「とりあえず、やってみるぞ」「よしきた、任せな」

 オヤジは緊張した面持ちで背に吊るしていた大剣を抜いた。


 俺達は二手に分かれ、抜き足差し足で蜥蜴の頭に近づいていく。時折オルクが別れの挨拶をする事が出来なかった奥さんに向けて何か呟くのが聞こえるが、俺はこんな所で死んでやる気は毛頭ない。ごくりと生唾を飲み、巨大な巨体に向き直る。


「うっ……」

 こいつが鼻から息を吐き出す度に、その気持ちに悪さと悪臭で卒倒しそうになるが何とか持ち堪える。


 そして遂に文字通り眼前へ辿り着いた。まず狙うは眼。一発で綺麗に決めなければ直後に呑み込まれて人生終了だろう。だが幸いに俺の槍斧もオルクの大剣もそれなりに長い。上手くいけば頭の奥まで刺しつらぬける。


 一度そっと深呼吸し、視線を交わして頷き合う……大丈夫だ、俺達もう三年くらいの仲なんだぜ?勿論だ、信じてるぞ……決意を固め、共に得物を構える。


 予め決めていた時間は五秒。蜥蜴が寝息を吐ききった瞬間、俺達は示し合わせたかのように秒読みを開始した。


 五・四・三・二・一……


「せあぁっ!」「ぬらあぁっ!」

 渾身の力で槍斧を突き込んだ!すると。


 グニッ。


 刺さらない。何という弾力、反発性だろうか。俺の槍斧もオヤジの大剣も瞼に食い込んだだけで押しとどめられてしまっていた。こうなるとまずいぞーー


 開かれた瞼の奥で眼球が気色悪くグリンと一回転し、こちらを捉えた。


「グギャアアァァ!」

 と叫んだのは隣のオルクである。その声に反応したかのように起き上がると、大口を開けて襲いかかってきた。


「うおおぉぉーーっ」「ひぃぃっ!」

 決死の大横滑をかまして何とか逃れる。こうなりゃヤケだ、何としてでも肝を持って帰らなければ!俺は金銀に輝く得物を、ヌルヌルの皮膚に無我夢中で突き込み打ちつけた。


「オルクーっ!俺が気を引いているうちに!」

「よっしゃあ!まままかせろ!」


 武者震いした彼が側面に回り込んでいく。蜥蜴は上手い具合に俺を相手にしてくれているようで、その巨大な口を何度も突き込んでくる。正直に言って、避けるのに必死で攻撃を加える暇なんてないも同然だ。しかし両生類如きにやられてばかりでは癪に触る、死中に活を求めるんだ。幸い奴はこちらを食べようとしてくるだけで両脚は地に着いたまま……俺は覚悟を決めて突進を開始した。


「エリスーーっ!」

 帰りを待ち望んでいるであろう彼女の横顔を思い描きながら前方に転がり込み、蜥蜴の首が曲がらない内側まで迫った。狙うは恐らく腹の次に柔らかい喉元、突き破ることが出来れば勝機が見えてくる。


 足を踏ん張り、息を止めて頭上に向けて槍斧を振るった。

「ーー!」


 グニグニと嫌な感触が伝わってくるが更に勢いをつけて突きまくる。せめて浅手でも一度くらい刺さってほしいものだ。やがて異常なまでにボタボタ垂れている体液が俺の顔面を直撃した。「わぶっ!?」慌てて服で顔を拭う。すると蜥蜴は擽ったそうに身をよじらせて前脚をもたげ、無抵抗だった俺を薙ぎ払った。


 岩壁に追突し、その衝撃で息が詰まる。その時だ。

「おらあぁっ、アスタああぁ!」


 いつの間にかヌルヌルの背中によじ登っていたオヤジが、全力で剣を振り下ろした!今度こそ奴の巨体に傷がついた。


「グギャアアァァ!」

 とは蜥蜴の鳴き声である。眼を見開き、口からヨダレを撒き散らしながらオヤジを振り落とした。相方はそのまま地面を転がって動かなくなってしまった。

「オルクーーっ!」


 蜥蜴は俺に向き直り、のそのそと地面を揺らしながら近づいてくる。相手は無傷、俺はヌルヌル。まさに絶体絶命。三年か……長かったようで短い人生だった。これまでの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。ごめんな、エリス……俺は薬の材料すら満足に調達できない駄目な男だったよ……


 眼を瞑りかけたその時。粘液まみれになっていた槍斧がキラリと光った。

「そうだよな、折角拾ってもらった命なんだもんな……」


 最後の最後まで、その恩に報いてやろうでなないか。奴がフルルと笑い、俺を今まさに食べんと迫り来る。

「諦めてたまるかぁ!」


 奴の口内に飛び乗って口に得物を突き立てた。そして舌に片手を乗せ術を行使し、急ぎ口から出て振り向く。奴の上顎が青白く輝き、勢いを数段増して口が閉じられた。すると……


「……!!」


 槍が顎を突き破り、両目の間から血を吹き上げた!だが勝負はここからだ。痛みに任せて振り回されている蜥蜴の頭に飛び移り、天高く放り上げられる。飛翔した先にはオヤジが命を賭して突き刺した大剣。


「せええぇい!」

 柄をしっかと握り、落下の速度を活かしてそのまま地まで斬りおろした。


「グギャアアァ!」

 横腹を背から下まで掻っ捌かれた蜥蜴が断末魔をあげて倒れ込んだ。オヤジは粘液が付着していないほんの僅かな箇所を狙って剣を刺していたのだった。


「はぁ……そうだった、肝肝……」

 捌いた腹から内部を覗き込み、肝臓らしき物を探し当てる。込み上げてきた吐き気を堪えてソレを引きずり出した。一抱え以上もあるコレを馬に乗せて帰るわけにもいくまい。小さく切り、予め用意していた袋に放り込んだ。


「おい、オルク……オヤジ、起きてくれ」

 未だ寝ているその顔を軽く叩く。やがてむくりと起き上がり、目の前の光景に唖然とし、次いで俺の肩を掴んで感動の表情を浮かべた。


「オヤジが刺した剣のお陰だ……すげぇ人だぜ、あんたは……」

「そうか、役に立ったか。老いぼれた身もまだまだ捨てたもんじゃねぇなぁ……って」


 そこで我に返り早口で告げた。

「悠長な事してる暇ぁ無えだろ、早く行ってやんな!」


「しかし……」

「俺はまだ身体が言う事を聞いてくんねぇ……もう他に敵も出ねぇだろ、俺の事は置いて、早く行け」

「ありがとな。先に行ってるぜ……」


 何故か溢れてくる涙を拭い、固い握手を交わし、無事洞窟から脱出した。


 外はすっかり夕陽で染め上げられていた。近くでこちらの様子を伺っていた馬の栗毛を撫でてやり、俺は彼女の待つ住まいへと馬を飛ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る