20・お熱なエリスと東のドラゴン.序

 エリスが熱を出してしまった。


 ヨモルでの依頼から数日。俺達が約一週間ぶりの住まいに到着したと同時に、事切れたかのように彼女の体調が崩れた。短期間で周囲の気温などと言った環境が大きく変化しすぎたことに加えて、予想外の襲撃を二度も受けたのだ、無理もないことだった。


 それに関連して懸念が一つあった。ホノカや指揮官と呼ばれていた白鎧らがここを襲ってくるのではないか……森での戦闘からそれなりに時間が経っており、調査の波は静まってはいるものの、既にこの家の場所が割れていても不思議ではない。


 帰還してから彼女が引越しの予定を立て始めたのだが……


「い、いいよ、私がやるから……」

「こら、寝てなきゃだめだろ」


 俺が皿を洗っている時、掃除をしている時、その他諸々の時、彼女がフラフラの状態で手伝おうとする。

 俺は泡だらけの手でエリスの細い身体を抱き上げ、寝室に運搬する。


「寝てなさい」

「えへへ、ごめんね?」

 紅潮した頬を上げて笑う。エプロンで両手を拭きながら、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。


「引越しの話が出るのももう何度目だか忘れたが、薬屋はどうするつもりなんだ?」

「む……」


「前は勝手に店仕舞いはしたくないって言ってたな」

 少し悩む素振りを見せた後、答えた。


「今は……それどころじゃ無いから」

「……ホノカ達か。いつ追っ手が来るか分からないもんな……」


 そもそも杞憂で、追ってこない可能性だってある訳だが。

「なぁ、その……」

「どうしたの?」


「昔のお前に何かあって、それで因縁付けられてるんなら、なんだ……和解したりとかは出来ないのか?」

 彼女が身体を起こし、はっきりと述べた。


「それは、出来ないの」

「そう、なのか……」


「ん……無理だと思うし、したくても出来ない、と思う……」

 それっきり黙りこくってしまった。実は心の隅で痴情のもつれが原因かなどと考えている自分が居たが、そんな軽いものじゃ無いのだろう。


 俺が立ち上がると、服の裾が軽く引っ張られる。


「あのね、お、お腹すいた……かも……?」

「へいへい、すぐ持ってくるから寝ててくれよ」


 俯き気味に告げてきた彼女の手を軽く握り返した。言われてみればもう昼だ。いそいそと台所に戻り、食事の準備に取り掛かる。


 手速く麦粥を作り器に盛る。後は……薬だ。エリスの作業部屋にお邪魔して、目につく棚を記憶を頼りに漁る。確かこの辺りだったはずだが……


「む……」

 無い。いつも目にする丸薬が入った小瓶が空になっていた。なぜ必要な時に限って物は無くなるのだろうか、生涯解けそうにない謎の一つである。


 一先ず寝室に戻り、彼女にあーんしながらその事を告げる。

「そっか、切らしちゃってたかぁ……食べて少し休んだら調合を……」


 手に持っていたスプーンで制した。

「や、待て。俺がやるから」


「おぉっ、イイの?」

「そのくらいはやらせてくれ。材料と分量だけ教えて欲しいんだが……」

「分かった、ありがとね。えっとね……」


 俺が差し出す粥をパクパクやりながら手順を教えてくれる。


「よし、任せておけ」

「ちょこっと不安だけどね……うん、お願いね」


 食器を片し、再び作業部屋へ向かった。俺一人でここで作業するのは初めてだった。いつもはエリスの助手のような感じで側に控えていたため、変な緊張が室内に漂う。教師と生徒じゃあるまいし……と誰にともなく呟いて必要なものを捜索していく。そして指定された木箱を開くと、


「……無い……」

 中には植物の屑が僅かに残っているだけだった。まさか材料から切らしていたとは。


「なぁエリス、どこで手に入るんだ?」

「珍しいものじゃないから、街で普通に手に入るよ……ほんとごめんね、お願いしても良い?」


「そうなのか……それなら医者から薬をもらったほうが早いんじゃ」

「だめ、そっちのほうが高くつくでしょ?」

「分かった分かった、じゃぁ行ってくる」


 彼女から金を預かり、早速外に出る。空には雲ひとつ無く、春の穏やかな陽光が丸太小屋のある広場を暖めていた。さてチャチャっと行って帰ってくるぜと意気込み馬を一直線に飛ばしたは良いものの。


「店が……無い?」


 拾われ先が薬屋の俺が他の薬屋の場所を把握している訳もなく、この辺りだろうと目星を付けて突入した場所は全て空振り。それならば大通りを散策するのもアリなのだが生憎市が開かれるのは明後日であった。


 しょんぼり肩を落としつつ、偶々通りかかったオルクの工房へと足を運んだ。ベルを鳴らして扉を開けると、カウンターではゴツいオヤジと先客の黒髪男が額を突き合わせて火花を散らしている真っ最中だった。


「それじゃあかかりが長すぎるんだって!祭儀に使うんじゃ無いんだからさぁ」


「うるせぇ、これでぴったしなんだよ!要は軽くして欲しいだけなんだろ!」


「な訳あるか!」


「なんなら柄から芯だけすっぽ抜いて作り直してやるぜ、ぶん回したら真ん中でへし折れて見栄張り斧付きレイピアの完成だな!」


 どうやらオルクが優勢のようだ。


「第一てめぇなんで槍斧なんか頼むんだ!初めっから槍か細剣にしときゃええんだ、てめぇこれの重さ知ってんのか、両手でええからこの程度ぶん回してみせろや!」


「趣味であつめてんだよ!文句あるか!」


「文句しかねえわ!模造でええだろ、骨董屋でも掃くほど転がしてるぜ!態々うちに来やがってぇ、折角の休みが何日か潰れたわ!」


 見事圧勝したオヤジは細身の男を追い出すと、煙草を取り出しふぃ〜と一服した。俺は軽く挨拶して手近な椅子に腰を下ろし、置かれていた槍斧を手に取る。


「歩兵か何かなのか?あの人」

「あんな軟弱野郎、雑兵の内にも入んねぇさ、ったくよぉ」


 愚痴を零しつつ、煙で輪っかを作ってみせた。俺はごとりと長物をカウンターに置き、本題に入る。

「オヤジさ、薬屋が何処にあるか知ってるか」


 事の顛末を話して聞かせると、白髪が目立ってきている頭を掻いて済まなそうな顔になった。


「いやぁ、俺にも分かんねぇなぁ……そういうのは全部女房に任せっきりだからよ」

「奥さんは居るか?」

 今出かけているそうだ。戻るのは夜になるらしい。


「参ったな……」


 早く帰ってやりたいが、成果無しのままで帰宅するのは面子が立たない。切らしている薬草は解熱剤や頭痛薬等の汎用薬の基盤になるそうなのだ。せめて、何か代わりになるものが見つかれば……すると頭を抱えてうんうん唸っていた俺に救いの手が差し伸べられた。


「そういや、お前さんたちがランザッドにいた間にな、でっかいドラゴンが出没したって噂がだな……」

「今する話か、それ」


「まぁ、最後まで聞け。ほいでそのドラゴン、なんでも肝が病の特効薬になるらしいぜ?」

「なんだと!!」


 オヤジがニヤリと笑う。

「さぁ、どうする。こんなとこで油を売ってる場合じゃねえんじゃ無いのかい?」


 その笑みに触発され、勢いよく立ち上がる。大した用向きでも無いからと愛剣を置いてきてしまっていた。だが取りに戻っている時間は無い。俺の意思に応えるようにキラリと刀身を光らせた槍斧を引っ掴み、オルクの首根っこを摘んで引きずる。


「おい、待て待て、俺も行くのかよ!?」

「当たり前だ、場所知ってるのはオヤジだろ」


「俺だってもう年だぜ!鍛冶屋だからって剣がうまく振れる訳じゃぁねえんだ!」

 振り返り、遥か年上に向かって叱咤する。


「じゃあ何だ、あの男に偉そうなこと散々言っておいて、自分は逃げるのかっ」

 キッと眉が吊り上がった。挑発大成功である。


「言ってくれるじゃねぇの、行くぞ、すぐ行くぞ!」

「おお、その意気だ!ドラゴンは何処にいる!」

「ずっと東に行った所の洞窟だって話だ、さあ行くぜ、エリスの嬢ちゃんの為にぃ!」


 うおおぉぉーーっ!

 野郎二人の太い声が重なる。


 街の外の厩舎へ走りながらも、俺の頭の片隅にはギリギリ冷静さを保つ理性がまだ残っていたようだ。ドラゴンなんて伝説上の生物だろ、前にもこんな事があったのを忘れたか、ガセに決まってる、と呼びかけてくる。そんなの知ったことでは無い。


 寝室で一人寂しく外を見つめて涙を零しているであろうエリスの姿を想像しながら、俺達歳の差即興コンビは東の洞窟へと旅立っていった。

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