第24話 覚悟

「本田さん……」


 美咲は、耕平に肩を貸しつつも、ちらりと背後を振り返った。


「なんとか時間を稼いで見せる」と言った彼女を残し、4人は地下街を急いでいた。


「だーくそ、ダリイ。歩くの飽きた」

「おい! 何言ってんだ啓介!」


 少し開けた場所に出たところで、啓介はそう言い、肩を借りていた宮内から離れると、どかりと腰を床に落とした。


「うっせぇよ。好きにさせろ」


 啓介はそう言って胡坐をかき、ポケットから取り出したタバコに火をつけた。


「ちょっとアンタ!」


 美咲がそう言おうとした時、耕平の肩に逆側から手が差し伸べられる。


「ちょ、ちょっと」

「奴が好きにやるって言ってんだ、こっちはこっちで好きにやるさ」


 宮内はそう言ってただ前だけを見た。


「おーう、そうしろそうしろ」


 啓介は後ろを振り返ることなく、ひらひらと手を振った。


「じゃあな、大将」

「おう、じゃあな」


 ふたりは、顔を合わせる事無く、そう言った。


 ★


 足音が遠ざかっていくのを、啓介は煙草の煙で見送った。


「死んだろうな、あの姉ぇちゃん」


 啓介はポツリとそう呟いた。

 敵は明らかにこちらを殺す気で来ていた。

 襲い掛かる自動車のミサイルや悪魔の群れがそれを明確に物語っていた。

 ならば、そう言う事になっただろう。


 彼は孤児だった。

 親がいなかった訳では無い。

 親はいた。

 だが、最低の親だった。

 彼の記憶にあるのは、罵詈雑言の応酬を繰り返す、今では顔もよく思い出せない一組の男女だった。

 彼はそこから逃げ出し、警察に捕まり、そしてとある児童養護施設に流れついた。

 彼を迎えに来るものは誰も居なかったのだ。


 だが、そこも最低だった。

 そこは力が全ての無法地帯だった。

 子供同士争いあい、傷つけあった。

 もちろん、職員からの虐待は目を背けんばかりのものだった。


 当時の啓介は、そこに行くまで育児放棄を受けていた身であり、今のように体格に恵まれていた訳では無かった。

 蹴られ、殴られ、突き飛ばされた。

 自分を助ける者は自分だけで、誰も頼るものなどいなかった。


 彼はそこも逃げ出した。

 そうしなければ死んでいただろう。


 そして、路上生活を送っては、警察につかまり、また別の施設に送られるという事を繰り返した。

 彼には、信じられる他人などは存在しなかった。


 やがて彼は青年と呼ばれる年になった。

 その頃には身長は伸び、体も分厚くなった。

 そして、体の奥底にしみ込んだ、力が全てのルールに従って行動した。

 そうして、暴力と共に生きている内に、彼の周りにはたくさんの取り巻きが引っ付いていた。


 彼は他人を信頼していない、興味すらない。故に他人の評価など気にしなかった。

 その事が、器が広いと勘違いされ、いつの間にか皆の先頭に立っていた。


「うーん。やっぱ死んだだろうなぁ」


 少々表情が硬すぎるが、それ以外は極上の女だった。

 少し勿体なかったなと思いつつ、彼はぷかりとタバコを吹かす。


 手を握り、開く。

 力は何時もの十分の一と言った感じだった。


「ったくあの野郎」


 彼はそう言って右目を閉じた、すると視界は真っ黒になった。


「やっぱりだ、あの野郎にやられた傷は回復しねぇ」


 彼はそう言って口をとがらせた。

 彼の悪魔――ディープ・ブルーには回復能力が備わっている。

 本人もその影響を強く受け、派手な悪魔戦をしても小一時間も立てばある程度の力は回復する、筈だった。


 だが、ジャバウオックの滅世の爪により抉られた場所は何時まで経っても回復の兆しは見られなかった。


 そして、ジャバウオックが抉り取ったのはディープ・ブルーの左顔だけでは無かった。彼の内臓はその大半が機能を停止していたのだ。


「まっ、どうせ碌でもない人生だ、ここで終わっちまうのもまた一興よ」


 彼はそう言って俯き無邪気な笑みを浮かべた。


「いたぞ! 奴だ! 冬木啓介だ!」


 もはや立ち上がる力も無い彼に、どやどやと喧しい声が届き、彼は顔をしかめた。

 彼がゆっくりと顔を上げると、そこには10人前後の若者たちがいた。


「あー、そう言えばあの嬢ちゃん、テープ渡すの忘れてんじゃねぇかよ」


 彼はポリポリと頭を掻きながらそう言った。

 そんな彼を他所に、若者たちは手にしたスマホをかざす。

 スマホからノイズが鳴り響き、一斉に悪魔が召喚された。

 彼は自らを殺すために現世に現れたそれらを眺め――


 ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。


「俺が何回バトルをやって来たと思ってんだ?

 ノイズなんて頭の中でなりっぱなしだぜ」


 彼はそう言うと、タバコを投げ捨てる。


「来いよディープ・ブルー! 最後の宴だ!」


 彼の叫びと共に、地下街を埋め尽くすような巨鮫が現れる。

 その顔半分は抉り取られ、裂けた横腹からはだらりと内臓がはみ出している。

 全身至る所傷だらけな巨鮫は、それでも闘志をむき出しにしてカチカチと牙を鳴らす。


「吼えろや! ディープ・ブルー!」

「――――――――――――!!」


 巨鮫は外壁にひび割れを刻むほどの超音波の雄叫びをあげた。


 ★


 巨鮫はその鋭利な背びれで地下街の天井を削りつつも、敵悪魔たちに向けて突進を開始した。


「散会しろ! 包囲して集中攻撃だ!」

「はっはー! 片っ端から食い殺せ!」


 啓介たちを包囲しようとする敵に対し、ディープ・ブルーは氷の槍の弾幕を張り、敵の動きを制限しようとする。

 だが、敵は損害に構うこと無く、巨鮫を網の中に捕えようとする。

 氷の槍が、胸を穿ち手足を吹き飛ばそうとも、敵は笑いながら進撃する。


「ちっ! 奴らも大概にイカレてんな!」


 啓介はそう舌打ちをしつつも、弾幕を放ち続ける。


(だがやべぇ。そろそろ弾切れだ)


 密度を減らした弾幕の間を縫うように、敵の攻撃が飛来する。

 炎が、雷が、剣が、槍が、弓が、爪が、大小様々な攻撃が傷だらけの巨鮫に突き刺さる。


「くはははは! その程度ッ!」


 だが、限界を超えているのは啓介も同じこと。

 彼は、傷だらけの巨鮫をあやつり、敵をかみ砕き、押しつぶす。


「悪魔はいい! 本体だ! 本体を狙え!」


 まるで、死を忘れたかのように暴れ回る巨鮫に、敵は攻め手を変化させる。


「ちっ、上等ッ」


 啓介はそう舌打ちをする。

 一体でもディープ・ブルーの横を素通りさせればそれで終わり、今の彼は一歩たりとも動けるような状態ではないのだ。

 右から、左から、上から、下から。

 敵は数少ないチャンスをもぎ取らんと、あらん限りの攻撃を仕掛けて来る。

 その姿は生を妬む死霊の群れ。

 正しく悪鬼羅刹、冥府魔道の進軍だった。


 啓介はディープ・ブルー巨体を盾として、剣として縦横無尽に振るいまわる。

 地下街の天井は崩落し、床は当の昔に崩壊した。

 だが、敵は諦める事など知らずに突進して来る。


 啓介を狙って放たれた攻撃の幾つかは、ディープ・ブルーの守りを突き抜け彼を襲う。

 絶え間ない激痛に襲われる彼を、更なる激痛が襲う。

 いや、既に彼の体は痛みなど感じやしない。そんな限界など当の昔に振り切っている。


 だが、彼は笑う。

 故に、彼は笑う。


 過去など、いらない。

 未来など、興味が無い。


 彼にあるのは、今だけだ。


「もっとだ、もっとよこせ!

 全部だ! 全部もってけ、ディーーーーーープ・ブルーーーーーー!」


 彼はそう雄たけびを上げる。

 紅蓮に染まったその両眼から、既に視力は潰えても、その力は奪えない。

 彼の悪魔も、彼の叫びに呼応して雄たけびを上げる。


 その時だ。


 地下街は深海に沈んだ。

 

 崩壊しかかったディープ・ブルーからあふれ出した海水が、一瞬にして地下街を深海に連れていく。

 そこは、光さえ届かない遠い世界。

 地上では想像すら及ばない、超高圧の水圧の世界。

 ディープ・ブルーに攻撃を仕掛けていたもの、その横を通り過ぎようとしていたもの。

 その区別なく、深海はそれらを飲み込んだ。

 彼らは一瞬にして、水圧に飲み込まれ、言葉を発する隙も無く絶命した。


 暗闇の世界。


 一組の主従は、ニヤリと頬をゆがめマリンスノーの中へ沈んでいった。

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