File:2 名無しの森の小鹿の正体



 廊下から駆け足で近づいてくる足音に顔を上げると、ドアが勢いよく開いた。

「やっほー! 三輪っち!」

 会議室に漂う陰鬱いんうつな空気を吹き飛ばす声は、廊下の端から端まで響き渡る勢いだ。

 慌てて全開になったドアを締める竹輔をよそに、野村のむら紅葉もみじは両手を合わせ、わざとらしくしなをつくる。

「なんかすごーく変わった死体って聞いたから急いで来ちゃったぁ! すごく楽しみにしてきたんだからぁ、早く見せて見せて!」

 きらきらと目を輝かせる様子は、食べたくて堪らなかった話題のスイーツを食べるために長距離を移動してきたようなテンションだが、相手は死体なのだからどう反応すべきか毎度悩む。

 とはいえ、さすがに半年ほど経って慣れてきた。蕗二は準備万端と長い机の前に野村を案内する。

 白く長い机は表面がディスプレイを兼ねていた。そこに大きく映し出されている画像を見て、野村は大きな歓声を上げた。

「わーお! 透明標本じゃーん! すっごーい!」

 机に飛びつくやいなや、じっくりと画像をながめ、さらに拡大して隅々すみずみまで目を通していく。

「やっぱり分かるのか」

「もちろーん! 私の大学の研究室でもやってるもん。私は本剝製メインだけどぉ」

 すべての写真を一巡いちじゅん見終わって、勢いよく顔を上げた。

「ね、ね、三輪っち、これ本物は見れないのぉ? 見たい見たい、ちょー見たい!」

「ああ、すまん。今はもう科捜研に回されて、ここにはない」

 すると野村は関節が外れたのではと思うほど肩を垂らし、唇を尖がらせて机にしな垂れた。

「そっかぁ、本物見たかったなぁ……人間規模なんて見た事ないもーん」

 頬を膨らませてしょぼくれる姿は、玩具おもちゃを買ってもらえなかった子供のようだ。

 だがしかし、彼女の下に映っているのはどう見てもご遺体なのだが。

 蕗二は己と野村の気持ちを切り替えるために、机を2回ノックする。

「なあ野村。そもそも、その透明標本ってやつは何の為にやるもんなんだ?」

 美しい標本と言われているそれは、元は何かしら観察するための物だと思うが、まさか芸術のためだけに生み出されたものではないだろう。

 蕗二の疑問に野村は体を起こして、人差し指を頬に当てると、言葉を選ぶように視線を宙に向ける。

「うーんとねぇ、骨格が取り出せない場合に使うんだけどぉ……ほら、理科室とかで人の骨の模型標本があったりするでしょ? あれが骨格標本なんだけどねぇ? あれは骨を見るために作る標本でぇ、本物を作るにはまずでたりして骨を取り出すんだけどぉ、小魚とか幼体ようたいは骨が小さかったりもろかったりして骨が粉々になっちゃうことがあるのぉ。ちまちまピンセットで骨を取り出すのも大変だしー? あと軟体動物は骨格ないしー? でね、この透明標本にすれば、解体しなくていいの。薬品で筋肉を限りなく透明に近づけて、軟骨を青く硬骨を赤く染めることで、簡単に骨格が観察できるんだよぉ。便利でしょお?」

「犯人は人間を観察するためにやったわけじゃないだろ?」

「うーん、ちゃんと骨格がある人間を、わざわざ透明標本する意味はないからねぇ……脳とか部分的に透明化することはあるんだけどぉ」

「ちなみに、その透明化の手順は、どんな感じなんだ?」

 蕗二の問いに、野村は広げた手のひらを上にして、指を折りながら数え始める。

「えーっとねぇ、まずホルマリンで『検体』が崩れないように固定するでしょ? そのあと、透明化の見栄えが悪くならないように内臓と皮膚をいでぇ、エタノールで脱水して、アルシアンブルーで軟骨を染色して、ホウ砂で中和してからトリプシンで透明化させてぇ、アリザリンレッドで硬骨を染色したら、余計な染色を取るためにもう一回透明化してぇ、体から液体をグリセリンに置き換える作業があって、最後はグリセリン100%と防腐剤のチモールを加えて容器に入れて完成ぇ! って感じ?」

 料理のレシピを語るように楽しげに話す野村に、蕗二の眉間のしわが深くなり、竹輔はだんだん青ざめていく。

「薬品が何種類もあるんだな」

「うーん、端折はしょったのもあるけど10種類くらい? 代替品でもできるけど、完成度を上げようと思ったらちゃんとしたのをそろえた方がいいよねぇ。でも、試薬の取り扱いには資格だっているしー、『検体』の下処理も丁寧にやらないと出来栄えが悪くなっちゃうから手も抜けないよねぇ? あとはぁ、『検体』によって染色条件が変わるから、作ってる途中で何回も様子を見ないといけないねぇ? 染め過ぎたら真っ黒けになっちゃうし、漬けこんでる薬品も汚れるからこまめに変えたり、作ってる環境条件とか季節によっては温度管理もしないといけないから、薬液を作って死体をどぼーんって漬けてほったらかしもできないし、すーごく手間がかかるんだよねぇ」

 困った表情で溜息をつく野村に、顔面蒼白の竹輔が震える指先で画像を差す。

「って、ことは、つまり、その……犯人はご遺体を加工中、近くでずっと出来栄えを見てるってことですか?」

「うん、透明骨格標本はぁ、指一本くらいの小さいのでも1ヶ月くらい平気で時間かかるからぁ、人間規模を作ろうとするとぉ、もっと時間かかるねぇ?」

 のんびりと語られる事実に、ついに竹輔がハンカチを口元に当てて視線を逸らした。

「1か月以上もご遺体と一緒にいるなんて、そんなの、正気じゃないですよ」

 竹輔の横顔を不思議そうに見ている野村の隣、蕗二は深く頷いた。

「ああ、≪マーク判定≫でかなり高い異常数値を出していてもおかしくないだろうな。野村、その透明標本を作る時に必要な薬品名、全部リストに出せるか?」

「もちろーん、まかせて!」

 野村は画面を右から左へとスライドさせる。大きく映っていた画像は小さく縮小され、デスクトップが浮かぶ。野村はすぐに文章作成ソフトを呼び出し、タッチパネルのキーボードを両手の人差し指でリズミカルに文字を打ち込んでいく。

 ホルマリン、無水エタノール、トリプシン、氷酢酸ひょうさくさん……と次々にリストアップされる薬品に、ほとんど覚えはない。

「ぶっちゃけ、ほとんど毒劇法どくげきほうで入手規制されてる薬品ばっかりだからぁ、無免許じゃあ絶対に手に入らないんだけどぉ」

「それなら、個人で購入してる奴、しかも大量に購入している奴をチェックしたら足がつきそうだな」

 できたよぉ、と野村が文章ソフトを蕗二の前にスライドした。すぐさま蕗二は文章を保存し、画像に置き換えて液晶端末へ飛ばす。ひと呼吸もしないうちに蕗二と竹輔の端末が震え、無事に画像が届いたことを知らせた。

 ハンカチで口元を押さえていた竹輔の背を叩いて座るようにうながすが、竹輔は首を振ると気を取り直すように深呼吸して端末を操作し始める。

あずま検視官に、リスト送ってもいいですか?」

「ああ、もちろん。約束だし、これでボコボコは回避だな?」

 蕗二は自分の顔を殴るふりをすれば、竹輔が小さく笑う。顔色は悪いが素早く端末を操作し始めた竹輔を横目に、蕗二は片岡へと薬品リストを送り、毒物劇物取扱者資格を所持したうえでリストの薬品を購入した人物を探すように指示する。その間、手持無沙汰てもちぶさたになり、机に両肘をついて再び画像を眺めていた野村が、画像を指で拡大しながら思い出したように呟いた。

「あ、そうそう。透明標本ってねぇ、すごーくお金かかるんだぁ。試薬の中には1グラム3万円くらいするやつとかもあるしー?」

 蕗二の動きが止まる。

「え? 1グラム何円なんぼって?」

「安くても3万。メダカ一匹染色するのに、合計10万円くらいになるかなぁ?」

「はあああああああ?? メダカいっぴき10万!? 高ッッッ! なんやそれアホちゃうか!?」

 蕗二の絶叫に、期待していた反応が返ってきて嬉しいのか、野村が手を叩いて喜んだ。

「でしょでしょ? ぶっちゃけ自分で作るよりも完成品かった方が安いくらい、めーっちゃ高いのぉ! 失敗するのが怖くなっちゃうくらい!」

 竹輔と入れ替わりに青くなった蕗二を気にする様子もなく、野村が見ていた画像の中から3つ選んで並べた。3件それぞれのご遺体の画像だ。

「だからかな、3つとも出来が違うんだよねぇ。1番目はすごく慎重だったのかなぁ、色の発色も綺麗で丁寧だなぁって感じ。だけど、2番目は試薬をケチっちゃったか、漬ける時間が短かったのかなぁ、アルシアンブルー染色にムラがあるんだよねぇ。透明化もちょっと足らないしー……うーん、ぶっちゃけ雑ぅ? で、3番目はすーごく綺麗なの。pH管理もマメにやってたんだろうなぁ、文句なしで完璧!」

 3つの画像を拡大しては満足そうに頷く野村に、東検視官へのメールの送信が終わったのだろう竹輔が液晶端末から顔を上げた。

あずま検視官も、2件目は雑な気がするって言ってました」

「やっぱりー? さっすが東っち!」

「と言われても、どれも同じに見えるけどな」

 ご遺体を見比べてみるが、何がどう違うのか全く分からない。竹輔も首を左右に捻っている。

 二人の反応に、野村はつまらなさそうに口を尖らせた。

「うーん、わかる人は解るんだけどなあ。あ、そういえば、東っちは来ないの?」

「ああ、捜査会議に出席するのに忙しくてな」

「そっかぇ、東っち偉い人だもんねぇ。でもなぁ、東っちがいたら絶対わかってくれるのになぁ。そしたらいっぱい語れるのに……」

「わかる人」

 ふと引っかかる。蕗二は腕を組んで、東の言葉を思い出す。

 衝動的で被害者を襲うほど我慢ができない、自己顕示欲じこけんじよくが強く目立ちたがりで自己主張が激しい奴。

 1件目の犯行は丁寧だった。それで自信がついたのか、2件目は見せつけるように大衆の目に触れる場所に置いた。しかし作りは雑だと野村は言う。

 しかも事件はあまりにもるいを見ない事件で、厳重な緘口令かんこうれいが敷かれて隠されてしまった。

 犯人は不満なはずだ。もっと主張を激しくしてもおかしくない。

 だが3件目は人目につかないような場所へ、まるで隠すように置かれていた。

 手間と金をかけて作ったにも関わらず、予想とは違いニュースにも取り上げられなくて自信を失ったのか。いや、だったらもう二度とやらないのではないか?

 なぜ7年も経った今、また同じ犯行をした? その理由は何だ? 自己顕示欲が満たされるようなことは何だ? 注目されたい? いや、もっと根本だ。

 認められたい。標本を正しく見てもらいたい。ちゃんと、理解してもらいたい……

「そうか! か! 分かったぞ!」

 突然声を上げた蕗二に、竹輔と野村が画像から顔を上げた。

「蕗二さん、もう違いが分かったんですか?」

「違う違う! 標本じゃなくて、犯人だよ。犯人は警察に見てもらいたかったんだ!」

「えっ、どういうことですか?」

 眉をひそめる竹輔に、蕗二は人差し指を立てる。

「今回の犯人は、わかる人に見せたかった……つまり、警察に見せるつもりだったかもしれない」

「警察に? どうしてまた?」

「正確には鑑識だ。警察はありとあらゆる事件に関わる。言ってみれば検死のプロ、死体を見ることを合法とされているのは警察だけだ。もし鑑識が分からなくても、捜査協力として大学とかいろんな場所に解剖の依頼ができる。より多くの専門家が見るだろ? つまり、透明標本の出来栄えがちゃんとにたどり着く。東検視官は、この犯人は自己顕示欲が高くて、目立ちたがりって言ってたろ? 10年前も7年前も一般人に見せたところで評価されなかった。だから警察だけに見せようって思ったんだ」

 蕗二の推理に、同意だと野村が嬉しそうに手を叩いた。

「それすっごい分かるぅ! 上手にできたら人に見せたいし、ちょっと自慢したい! 解んない人に見せたってフーンって感じで寂しいんだもん! ちゃんと見てくれる人に見てもらいたいなぁ!」

「だろ? 今回の遺体遺棄場所の意味も、これで分かる!」

 珍しく意気投合する蕗二と野村とは反対に、竹輔はまだ納得できないとばかりに首を傾げる。

「でもなんでまた、7年も経って急にそんな事を思いついたんでしょうか?」

「さあな。それはご遺体が誰だったかで、分かるかもしれない」

 7年もの月日を越えて衝動が爆発した、そのきっかけは何だったのか。

 俺たちが考えたって分かるはずはない。きっと理解はできないだろう。答えは犯人にしか分からない。だが分からなくても犯人に近づき、逮捕する。その為には、まずご遺体の身元を判明させなければいけない。

 だが、大人しく待っているのも性に合わない。

「気が早いかもしれないが……周防耕作の周辺を聞き込むぞ」

 足早に部屋から出ようとする蕗二の腕を、竹輔が掴んで引き止めた。

「待ってください、蕗二さん! いくら何でも早すぎます。被疑者に警察が動いていると知られれば、逃げられるかもしれません」

「いいや、逆だ。警察が動かないなんて暢気のんきなこと、犯人が考えるわけないだろ。すでに過去2件で経験済みなんだからな。むしろ、10年も捕まってない犯人だからこそ、すぐにでも証拠を掻き集めて追わないとまた逃げられる」

 確かに2件とも証拠不十分で、逮捕までにはいたらなかった。

 だがもうすでに3件も犯行が行われている。4件目の犯行だって起こす可能性が高い。野村から聞いた透明標本にする手順を考えると、準備などを考えて、次の犯行までは猶予ゆうよがあるはずだ。

 これ以上の犯行は、何としてでも阻止そししなければいけない。

 もし捕まらないからと胡坐あぐらを掻いているのなら、チャンスでもある。

「10年前と違うのは、【俺たち】がいることだ。絶対に解決するぞ」



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