葬列とそれぞれの旅立ち

「陵駕、どうしたの?」

 馬の背でふと黙り込んだ陵駕に、ふり返った桃が尋ねる。共に逃げた時に慣れたおかげか、桃は馬の背にまたがるのも随分様になっていた。

 小柄な桃を前に乗せ、その後ろから陵駕が手綱を握る。馬は歩かせゆっくりと進んでいるが、それでも徒歩よりは随分と早い。

 空は快晴。青く澄み切った空には、雲ひとつない。

「いいえ、ちょっと考え事を」

 にっこり笑ってごまかした陵駕に、それでも桃は安心したように笑みを返してくれた。

 桃が三晩世話になった宿を出て数刻。そろそろ都を出る頃だった。

 知らなくて良い事もある。

 身代わりで処刑されたのが誰だったのかも。魂を分け合った妹の桜が、どういう運命に流されて行くのかも。

 あの日のことが脳裏に浮かぶ。

「其方の父は、息子が禁忌を犯した上に謀反を企て、処刑されたことに絶望し自害した。そういうことになる」

 その柑子の言葉に、牢の外へ出て長槍を受け取った陵駕は頷くしかなかった。

「葬儀は明日、桜の宮で行う。離れた場所からその葬列を見送ることは許そう」

「はい」

 父の犯した罪を全て背負って、陵駕は罪人として処刑される。その陵駕が葬儀に参列することはできない。

 それでも良かった。この手で処刑することになった友魂の罪が、それでそそがれるのならば。

 友魂は、罪を犯さなかった。罪を犯したのは息子の陵駕。だから葬儀も出され、手厚く弔われることとなる。

 あまりに辛い罰。それでも陵駕に選択肢はない。陵駕が処刑を出来ずとも、結局大罪を犯した友魂は処刑される。それならば、せめて。

 ただその思いだけで、あの川原に立ったのだ。

 友魂の葬儀は、翌日に荘厳な楽に送られながら執り行われた。その楽だけを父の居住していた寝殿で聴き、その場で別れの篳篥ひちりきを奏でて。

 そして、見つけた。文箱の横にそっと折りたたまれ置かれた、薄水の紙を。

 友魂は、どこまで先を見通していたのだろう。陵駕がここへ再び戻ることがあることまで読んでいたのだろうか?

 しかし、そうとしか思えぬ、それは陵駕へ宛てた世辞の句に違いなかった。

 夕刻。神殿内の火葬場へと向かう葬列を回廊の影に隠れるようにして見送った。そして、空に昇っていく煙を。

 主のいなくなった寝殿のがらんとした庭で、友魂のふみを焼く。たしかに受け取った。だから、この文は空へと上げよう。父のいる場所へ。それで、自分が受け取ったことを知ってくれるだろう。

 夜半過ぎ、神殿内の火葬場へ赴く。それが、桜の宮での最後の仕事。

 陵駕が一人で、蘭を荼毘だびに付した。罪人として処刑された蘭は、本当なら遺体は捨て置かれる。人払いしてとはいえ、こうして火葬するのは異例のことだ。

 蘭を助けることは出来なかった。これが、家主である柑子の出来る救いの全てだったのだ。

 まだ暗い朝、やっと柑子へ出立の挨拶に出向いた。そこで彼は小さな木箱に収まった遺骨を抱き、何事か言ったが聞こえなかった。それで良かったと思う。

 その遺骨を持ち、桜の宮を発ったのは空が白み始めた頃。早馬を走らせ、蘭の遺骨を彼女の実家へと帰す。それで、貴族としての陵駕の仕事は終わった。

 蘭の実家へ着いたのは昼過ぎ。宿下りして待っていた蘭の母であり桃と桜の乳母は、黙って頭を垂れた。その姿が目に焼き付いている。

 そのまま宿で倒れるように休み、そして夜更けに駆け出した。

 桃の元へと。

 一生、このことを背負って生きて行かねばならない。自分の我儘で愛する人を辛い目に合わせた己の甘さ、不甲斐なさとともに。

 この先も、辛いことはあるだろう。常に誰かにかしずかれて生活していた根っからの貴族が、突然外の世界で生活出来るはずもない。柑子が桃のためにと用意してくれたお金も、いつかは尽きる。それまでに、生きる術を見つけなければならないのだ。

 いまだ目的地もない。けれど、不思議と恐れはなかった。

 大丈夫。二人なら乗り越えて行ける。

『ねえ、はるかお兄さま。わたしね、遼お兄さまに嫁ぐの。だってね、だってわたし、遼お兄さまを恋うているから』

 いつかの幼い桃の声が聞こえる。

 桃を一生忘れないだろうと思っていた。大きく育った桃も、一目でそうとわかった。変わらぬ桃が愛しくて……。

 たとえ、桃が遼と陵駕を別と考えていても、それはそれでいいと思う。きっと遼は幼い桃の良き兄として、彼女の中に残っていてくれるだろう。

 あの時の、他愛のない約束。それはこうして、多くの犠牲を払って果たされようとしている。

 だからこそ、幸せにならなければ。桃とともに。

「ねえ、陵駕」

 ふり返らずに、声だけで桃が呼ぶ。恥じらったようにこちらを見ず、それでも陵駕の手を握ってお願いをする桃。その香りに瞳を細める。

「私の目を見てお願いして下さったら、考えますけど?」

「も、もう! 陵駕の意地悪っ」

 怒ったような口調とは裏腹に、両手で顔を覆ってしまう桃。その姿に笑いがこみ上げる。ああ、なんて……。

 やがて、意を決したようにふり返った桃は、情緒もなにもなく一息に言い切った。そのまま、さあどうなの? と言いそうな瞳で陵駕を見つめてくる。その姿にまた笑ってしまい睨まれた。

 返事など決まっている。

「あなたがそう言うなら。後からなかったことになんて言っても聞かないよ、桃」

 花が開くような笑み。

「これでちょうどいいわね」

「そうだね。私たちは夫婦になるわけだから、これくらいがちょうどいいところだ」

 ふふふと肩をすくめて笑った桃が、その背を陵駕の胸に預けてくる。頭を肩に乗せて陵駕を見上げた。

 その重みが、胸に熱を灯す。

「陵駕、大好き」

「私こそ、変わらずあなたを恋うているよ、桃」

 瞳を合わせてほほ笑み合う。

 見上げた空は青く、その下の二人の側を一陣の風が通り抜けた————……。


   ◆ ◇ ◆


 桜の宮から都へと続く門の前で、桜は立ち止まった。一度ふり返り、生まれ育った荘厳な寝殿を望む。至る所に植えられた、愛した桜の木も。

 これから桜は、一人でこの場所を去る。

 もう二度と桜の宮には帰って来られない。もう誰にも会うことは叶わない。けれど、桜にとってそんなことはどうでも良かった。

 桜の宮から、愛する人達は姿を消してしまったのだから。

 桜は、友魂に騙されていた事が認められ、罪は軽くなった。それでも、家主に対する謀反の片棒を担いだ罪人であることには違いがない。

 罪人は罪人。桜は、宮からの追放を言い渡された。今日がその日だ。

(なぜ、わたしは生きているの……)

 全ての原因を作ったのは桜だ。その自覚があるからこそ、今こうして生きながらえていることが信じられない。

 自分が陵駕を恋わなければ。友魂に陵駕の妻にして欲しいと頼まなければ。蘭に柑子を懐柔したいと相談しなければ。貴子を憎む気持ちを吐露しなければ。

 柑子をほふって欲しいなどと頼まなければ。

 たくさんの、こうしなければが頭を過ぎる。

 桃と陵駕は、桜とは関係なく惹かれあったかもしれない。それでも、貴子が殺められ魔と化さなければ桃が襲われることもなかった。

 結果は変わっていたはずだ。二人はそのまま母子になっていたのではないか。そう思えてならない。

(友魂殿は、どうしてあんな嘘を……)

 桜には柑子を屠る意志があった。そうして欲しいと確かに言ったのだ。

 それなのに、それはなかった事になっていた。全ては、友魂の独断だったと。桜と蘭は騙され利用されたのだと。

 騙され利用されたというのが事実かはわからない。もしかしたらそうだったのかもしれない。それは、桜には永遠にわからないことだ。

 しかし、桜自身が望み、蘭に頼んだことになんの疑いもない。

 釣殿つりどので友魂と言葉を交わしたことを思い出す。あの時から友魂はそのつもりだったのだろうか。だから、あんなことを?

 わからない。もう、全て終わってしまった。

 結局、全ての罪の引き金を引いたのは自分だ。その自分の罪を告白する事は、それが命を失うことになるという自覚があったからこそ、恐ろしかった。

 謀反の意思があったのだと、蘭に命じたのは自分だとは言えなかった。友魂の忠告を守ったのではない。ただただ、怖くてなにも言えなかっただけだ。

 結局、友魂が言うように、覚悟など出来ていなかったのだ。自分の命を惜しみ罪を告白することも出来ず、それなのに庇われ生き残ってしまった。

 なんという非道。過去に貴子を罵ったことが本当に浅ましい。人の心を持っていなかったのはどちらなのか、今ならはっきりとわかる。

 自分が少しでも人の心を持っていたのなら、蘭はあんな事にはならなかった。後悔してもしきれない。償おうにももう蘭はいないのだ。

 これから外の世界へと出る。

 そこはおそらく、貴族としてしか生きる道を知らない自分には厳しい世界だろう。誰も供もなく、世話もしてもらえず、生活する術もない。

 それでも桜はまだいい方なのかもしれなかった。桜の髪は栗色。神色を宿す髪は桜の元々の身分を暴くが守りもするだろう。

 せめて、この与えられた神の力を人々のために使おう。それが、桜にできる唯一の罪滅ぼしなのだと思えるから。

 この非道な心が祓われるまで。いや、その後も生かされている限りは。

 踵を返す。今この時、桜のために開かれている桜の宮の門へ向けて一歩踏み出そうと足を上げた、その時。

「待つが良いぞ」

 空気を凛と響かせた声にはっとしてふり返った。寝殿のきざはしに人影。それは、やはり母の常盤ときわだ。

 その姿は、今の桜と同じように着物を壺折って着付け、杖を持っている。旅装束。

「母上。そのお姿は一体どうされたのです……」

 彼女には先刻、別れを言ったはずだ。それなのに、見送りに出てくれるというのだろうか。

 そんなことをされると、別れが辛くなるだけだというのに。

「どうしたと? まこと、愉快な娘よ」

 常盤は、その瞳をゆるめて笑ったようだった。階を降り、そこに置かれていたのだろう草履を履いた。桜の側へと歩み寄って来る。

「其方、一人で出て行くつもりかえ?」

「え……?」

 それはどういう意味なのだろう。そう考える間もなく、常盤の口が言を継ぐ。

「其方の姉は、桃は一人ではない。が、桜よ。其方は一人。ゆえに、この母が共に行こうぞ」

「母上⁉︎」

 なんの罪もない常盤が、桜の宮を捨てるというのだろうか。二度と戻って来ることは叶わないというのに。

「母上、いけません……わたしは罪を犯したのですよ」

 胸が詰まった。常盤の瞳は、強い光を写している。その輝きは、桜がどんなに辞退したところで、折れない強さをたたえている。

 そう、桜の半身である桃に受け継がれた強さを。

「桜よ。そもそも、其方は里子に出される予定であった。そうしておれば、罪を犯させることはなかったろう。これは、わらわの我儘が招いたこと」

「ちが……っ」

 忌み子として嫌われる双子。先に生まれた方は魔を宿すという言い伝え。桜は里子に出されるはずだった。それを、常盤が強い意思ではねつけたのだ。

 後から生まれた桃を姉とし、魔の力を封じた上で側に置くと。

 その親心こそが原因だったのだと思わせてしまっているのは、自分の心の醜さゆえだ。それが心底情けなく、惨めに思われた。

 罪を犯したのは母ではなく、自分なのに。

「忘れてはいまいか、桜よ」

 常盤の澄んだ瞳が、輝きを増す。その奥に光るのは、母親という優しさ。

「わらわは其方の母。わらわは一人、娘を手放した。その上其方まで手放すわらわの気持ちがわかるかえ?」

「母上……っ」

「わらわはもう、誰も手放しとうない」

「ははうえ」

 胸が熱くなり、どっと涙があふれ出た。

 幼い頃から、ずっと厳しい人だった。桜だって、幾度となく常盤に叱られた苦い思い出を持っている。特に、神子に生まれた桜への厳しさは、桃へのものとはまた違ったものだったと思う。

 思い出せるのは、母親らしい慈しみよりも厳しさばかり。

 しかし、やはり常盤は本当に桜の母なのだ。たった一人の。

「母上、いいの……?」

 ゆるく頷く常盤。その顔は今までのどの顔よりも優しい。

「行こうかえ、桜」

「はい」

 深く頷き、歩き出した常盤の後に続く。

 常盤がいれば安心だ。彼女はなにを言わずとも、その瞳で他を圧倒できる。

 桃は……陵駕は今頃どこにいるのだろう。

 自分の魂の半分、半身である桃は、桜の犯した罪を知らないままだという。けれど、それで良かった。

(わたしは、わたしの道を行くから……)

 償いきれぬ罪を償い、この身に宿した醜い心を祓えるように。

 またいつか、心から笑って過ごせるように。

(さようなら、お姉様……)


   ◆ ◇ ◆


『……本当に? じゃあ、桃姫と一緒になれるのを、楽しみに待っているからね』


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