罪と罰

「私とて人間、人を愛する気持ちは知っているつもりだ」

 凛とした柑子の声が、あたりの空気を震わせる。

 鞭で打たれ痛む身体などお構いなしに、陵駕は牢の中に立っていた。手当もされず今だ傷口が開いたままの右足を少し庇って。

「だからこその罰だと……?」

「そうだ。愛する者の死は、なによりも辛いことだろう?」

 その柑子の表情は、本当にそのことを知っている者の顔だ。

「けれどそれはあまりにも……‼︎」

 辛い。辛すぎる。愛しているからこそ。

「出来ないようであれば、其方は一生をこの牢で過ごすことになるぞ? そうなれば、其方の死を信じた桃は自害するだろうな」

「そんな……」

 しかし、それは十分にありえることだった。目の前で陵駕の処刑を見ることになるのだ。実際に処刑されるのは身代わりの罪人だが、それを陵駕だと思い込まされた桃の衝撃は察するに余りある。

 自分を持ち、命をかける強さを持つ桃。だからこそ、自害の道を選ぶことは目に見えている。

「それがあの娘への罰。そして其方には……これが罰なのだ」

 そう言って柑子が差し出したものは、長槍。

「この桜の宮から出て、桃と一緒になりたくば陵駕よ」

 柑子は告げた。厳しいその瞳で、陵駕の罰を。

「見事、己が父と蘭、その二人を処刑してみせよ————」


   ◆ ◇ ◆


 陽の光が曇天に遮られ、昼間なのに薄暗い。それでも、瑠璃川の流れは清涼な音を響かせている。それは、まるで止まることのない時間を、陵駕に知らしめてくるようだった。

 逃げられない。時間は戻すことも止めることもできず、流れていくだけ。

 白の狩衣と烏帽子、そして金色の髪のかづら。そして、白い面。

 それらを身に付け長槍を持ち、陵駕は刑場に立つ。

 これから陵駕が処刑する二人の人物は、川沿いに立つ支柱に縛り付けられている。

 一人は父。一人は、愛する人の姉とも言うべき侍女。

 父である友魂ゆうこんの頭は、陵駕に似せるために散切りにされ、深緑の束帯を着せられている。蘭は、桃に似せるために髪を切られ、美しい小袿こうちぎを纏っていた。

 この光景を、桃はどこかで見ているはずだった。常盤と共に。

 右足首が鈍く痛む。

(父上————)

 なぜ、どうして謀反など。その思いが胸中を駆け巡る。

 決して権力などは欲していなかった。むしろ、貴族を嫌っていたところがある。だからと言って、桜や蘭を巧みにそそのかし、謀反を起こすなど。

 友魂が柑子に告白した内容は、理解し難いものだった。柑子を亡き者にし、理想の貴族社会を構築せんとしたのだと。

 そのために、現状から一歩もはみ出ない貴子と柑子が邪魔だった。そこで陵駕を恋うていた桜をそそのかし、蘭を刺客としたのだという。

 貴子は、桃と陵駕の噂のことで相談があると人払いをした極秘の面会を申し出て、蘭と友魂の二人で殺めた。これは友魂の独断。

 対して桜は、柑子を懐柔し叔母と甥の婚姻を認めるよう説得して欲しかっただけで、謀反の意思はなかったという。しかし、友魂が桜の命として、柑子を殺めるよう蘭に伝えたのだ。それを信じて蘭は————。

 謀反人として捕らえられていた桜は、友魂に騙されていたことがわかり罪は軽くなった。しかし、騙されていたとはいえ、貴子を殺め、柑子を刺した蘭の罪は重かったのだ。

 桜の気持ちには気づけなかった。しかし、気づいたからとて、この結末が変わったとは思えない。

 全てが悪い方へと転がってしまったのだ。そう思うことでしか、気持ちの整理が付けられそうになかった。

 自分が桃のことを恋う気持ちは、曲げる事が出来ないのだから。

「桃姫、確認しました」

 陵駕の着替えを手伝ってくれた神官がそっと囁いてくる。

 桃がどこで見ているかは知りたくなかった。彼女が嘆き悲しむ姿など見たくはない。

 足が重い。その足を引き摺るようにして、二人の罪人の前に進み出た。二人とも気を失っている。意識がないのが、せめてもの救い。

 ゆっくりと長槍を父に向けて構える。

(父上……‼︎)

 愛している。父を愛している。いつでも味方でいてくれた人だ。貴子が陵駕を葵の宮へと追いやった、あの時も。

 たった一人、味方をしてくれた人だった。

 そして、葵の宮から戻った時も、あたたかく迎え入れてくれた。陵駕という名も良い名だと言ってくれた。

 友魂のした事は、到底許されることではない。しかし、だからと言って父への情愛は変わることがない。陵駕にとっては、最も敬愛出来る一人の男だった。

 友魂の罪と、陵駕の情愛とがせめぎ合い思考を引き裂く。

 愛しているのに、この手でその命を奪うことになるなんて。

 これが、罰だと言うのか。

「父上、愛しています————」

 涙が一粒こぼれた。次の瞬間、陵駕は駆けていた。構えていた長槍を、ありったけの力を込めて繰り出す。狙いは肝。

 せめて、苦しまずに一瞬で逝くことが出来るように。

 槍が肉に突き刺さる生々しい感触。友魂の身体が跳ね、瞬間瞳をきつく閉じた。ぐっと腕に力を込める。

 愛しているからこそ、苦しめることなど出来ない‼︎

 ざっと長槍を引き抜くと同時に吹き出す返り血が舞った。白い面と狩衣を赤く染める。わあっと周りの群衆が声を上げたのが聞こえた。

 それと不釣り合いなほどに、荘厳な楽の音も。

 知らず涙が頬を濡らす。しかし、その涙は面に隠されている。

 大量の血で束帯に染みを作り続け、絶命している父の姿を見ていられず、蘭の前に移動する。

 蘭。桃の姉とも言うべき少女。優しく、慈愛に満ちた娘だった。

 まだ、こんなにも若いのに。

 それが父のせいでその人生を狂わされ、処刑されるまで追い詰められてしまうなど。

(蘭、許してくれ……)

 父の過ちに気付かず、助けられなかったことを。

 槍を構える。

 その時、気を失っているとばかり思っていた蘭の首が揺れた。ゆっくりと、その頭が持ち上がる。

「蘭ッ————」

 その顔はほほ笑んでいた。穏やかに。

 鞭打たれて腫れていた顔も、赤黒い痕を除けば以前の通りに戻っていた。その瞳は、陵駕から見て左手の方向を見つめている。

 そちらへ陵駕も視線を向け、そこに一人の少女の姿を見つけた。

(桜姫……)

 そこにいたのは桜だった。桃ではないのは、その髪の色からも明らかだ。いつもふんわりと笑っていた桜は、蒼白な顔をして竹柵を握り締めている。

 じっと蘭を見つめる瞳が、苦しげに歪んだ。

「桜姫……」

 小さな、歌うように綺麗な声が風に乗って陵駕の耳に届く。

「桜姫。こうしてお側にいられて、蘭は幸せです」

 蘭の瞳もまた、桜だけに注がれている。まさか、正気なのか⁉︎

 いや、言っていることが的を射ていない。正気ではない。そう思いたかった。

 蘭に向けた槍先が、鈍く光る。

「桜姫が笑って下さるなら、なんでもします。それが蘭の幸せ。だから、泣かないで……」

 胸が詰まった。これ以上聞いたら処刑人としての役割を果たせなくなる。

 腕を引いた。足に力を込める。右足首が鋭い痛みを訴えた。

「桜姫、愛しています」

 力を込めてくり出した長槍が蘭の胸を貫く。桜を見つめ、苦痛の表情を浮かべることもなくほほ笑んだまま、その首は力を失い深く落ちた。

 もう動かない。

 返り血がまた白を染める。陵駕の心さえも。

 わあっと上がった群衆の声が、こだまのように陵駕の頭の中を支配する。胸に鈍痛が走った。苦しい。手足の感覚が失われたかのように、なにも感じられない。

(蘭は、もしや……)

 視界には、二人の罪人の絶命した姿。

 最期の言葉が、蘭が謀反に加担した理由だったのだろうか。ただ、その愛のためだけに。ただ、笑っていて欲しいという、狂気にも似た愛がそうさせたのか?

 真実はわからない。もう、終わってしまったのだ。

 愛する父と、父に騙され大罪を犯した少女。二人の罪人を、陵駕がその手で処刑した事によって。

 視界には、二人の罪人の絶命した姿。

 涙があふれて止まらない。二人分の返り血を浴びた狩衣は、壮絶な色に姿を変えていた。

 これが陵駕の、罪と罰。


   ◆ ◇ ◆


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