叶わぬ夢
遠くを見つめるような眼差しでそう言った陵駕に、少し目を見張る。陵駕は、最初から桃が母という立場になることを認めているものだと思っていた。
桃が母で、陵駕は息子。それに納得していると。
それは、違う?
やはり認めきれていなかったのだろうか。歳下の姫が母になることに。
「ねえ、陵駕」
いくら考えても、桃に陵駕の気持ちがわかるはずもない。そう理解して、桃は素直にその事を訊いてみる。根が正直な分、訊き方も率直だ。
「ちょっと考えてくれればわかるでしょう?」
陵駕は、桃の質問に肩をすくめて見せる。そこには、先ほどのような皮肉な響きは感じられない。
「あなたは自分より歳上の養子⁉︎ と頭を悩ませませんでしたか? 私も自分より歳下の母上⁉︎ と随分悩んだんですよ、これでも」
これでも、と語尾についているあたり、自分がそうは見えていなかったのだということを十分わかっている。
性格は食わせ者だが、やはり頭脳明晰だという触れ込みは真実らしい。
「あぁ、そうなの。そうなのね」
お互いに同じ気持ちだったことに、少し嬉しくなってしまう。微かにほおが緩んだ。
歳上の養子になんて会いたくないとさえ思っていた桃だ。多少、罪悪感のようなものが胸に残っていた。
しかし、これでおあいこだ。
「そう、そうよね。だってどう考えても無理があるものね。認め合うのなんて、これからよね」
認めてもらえるような自信はないのだけれど。少なくとも、桃が陵駕のことを歳上だと思っているうちは。
「そういうことになりますね」
陵駕も同意して笑う。
「それ聞いたら、気が軽くなったわ」
そうだ、なにも無理することはない。ゆっくりでいい。
これから先の人生は、まだまだ長いのだから。
「そういうわけで、私は手始めにあなたのことを母上と呼んでいるのですよ」
「ええ、そうね、陵駕」
二人で含み笑う。なんだか可笑しい。まるでごっこ遊びのようだ。
一人は母と呼び、一人は子として名を呼ぶ。そういう遊び。
「あら。ではわたしは叔母上と呼ばれるのですか?」
陽だまりのような声色。
衣擦れの音ともに現れたのは桜だった。部屋の入り口で、ふんわりとした笑みを浮かべて首をかしげる。
「そうですねえ。桜姫は、桜姫でよろしいのでは? まあ、立ち話もなんですから、中にお入りください」
一体誰の部屋だと思っているのか。陵駕は我が物顔で桜を部屋に招き入れる。
「ありがとうございます、陵駕殿。あ、お姉様。蘭もご一緒していい?」
蘭は、桃と桜の乳姉妹で、桃付きの女官だ。しかし、幼い頃から一緒に育った気安さも手伝い、桜は蘭と共にいることも多い。
桃も、蘭のことは女官というより姉妹のように思っているので、それを咎めることもない。女官なら蘭の他にもいる。でも、桃と桜の乳姉妹は蘭だけだ。
「そこまでお菓子を持ってきてくれているのよ」
蘭は女官という仕事柄、いろいろな話を耳にする。だから暇な時などは、桃も桜も蘭を話し相手にすることが多い。
「わたし付きの女官なのだけれど。陵駕?」
「どうぞどうぞ」
当然でしょうと言わんばかりの陵駕の反応。それを見てから、桜に頷いて見せる。
蘭は話し上手だ。気配りだって行き届いているし、心も優しい。身のこなしだって洗練されていて、桃よりよっぽど姫に見える。
そんな蘭が、女官としても一人の女人としても誇らしく、大好きだ。
やがて桜の声に呼ばれて、手にお菓子の乗った盆を持った蘭が姿を現す。藤色の上着が、蘭の美しい顔と黒髪に映えていた。
ふわりとほほ笑んだその顔は、決して主張のない優しいものだが、どこか華やかさも含む色香が漂う。
「どうぞ」
蘭の差し出してくれたお菓子は、どれも桃と桜の好物ばかりだ。長年一緒に育ってきたその経験は伊達ではない。
「ありがとう、蘭」
「いいえ。それよりなにをお話してらしたのですか?」
「うん、別に大したことじゃないのよ。親子関係の上下をはっきりさせておきましょうってね」
そうだ、大したことはない。歳上の養子なんて、今までだってあったことだ。
でももし、桃と陵駕が違う出会い方をしていたらどうだろうか。母と子ではなくて。
夫の東雲が生きていて、桃には子がいて。東雲はきっと陵駕と一緒に仕事をして、それで出会うのだ。
(そうだとしたら、良い友にはなれたかもしれないわね)
皮肉ばっかり言い合えるのは、それはそれで気安い。東雲とも、そんな風に話したことはない。
皮肉を言い合うのに、後腐れなくさっぱりとできるのは、貴族の中では少し浮いている桃にとってはありがたい存在だ。
陵駕と友になる。それも良かったかもしれない。なかなか面白そうだ。
(もし、もっと早くに出会っていたらどうだったのかしら。東雲殿と婚姻を結ぶ前に……って、なに考えてるのよッ)
ぶるぶると頭を振る。陵駕は桃の息子になる人だ。それ以上も以下もない。あってはならない。
想像したところで、叶えられることはないのだ。
陵駕をちらりと見やると、それに気づいて笑みを向けられ、慌てて目をそらす。微かに胸の奥が疼いた。それに少し困惑する。
「お姉様が母上というのはいかがですか、陵駕殿?」
にこやかに尋ねる桜に、陵駕は大げさなほど肩をすくめて見せた。虚を突かれたような顔をした桜を見て、可笑しそうに笑う。ありったけの爽やかさを集めたような顔で破顔した。
「楽しいですよ。母上はゆかいなお人だ」
「まあ、そうですか」
ふんわりとほほ笑んだ桜に、陵駕が頷いている。
(そうかしら)
どちらかというと、ゆかいなのは陵駕の方だ。明るくて爽やかなのに、皮肉屋で。貴族としては、やや性格に難ありというところか。それは、桃もそうだが。
それでも、そつなく生きて行けそうだと思える。聡明だから、対する人によって自分を変えるくらいの事はできるだろうと思う。桃と違って。
目が再び陵駕を追った。
「ええ、そうです」
「では、わたしは?」
「桜姫ですか? 桜姫は可愛いお人です」
「まぁ……」
顔を朱に染めて恥ずかしそうに笑う桜。少しうつむきかげんに、袖で自分の顔を隠す。
陵駕が声を立てて笑った。
こういうところが桜の可愛らしさだ。桃でもそう思う。同じ顔なのに、桜の方がずっと可愛い。それは、性格と所作の違いによるものが大きいだろう。
桃に、可愛らしいという評価はないに等しい。同じ顔なのに雰囲気を含めて非常に愛らしい桜がいるから、余計に桃は目立つ。
桃がもらえるのは、聡明だとか、気丈だとか、そういうものだ。
あの貴子の孫で、常盤の娘なのだから、さもありなんという気はするのだが。
「本当ですわよ、桜姫」
蘭も、慈しむような笑みを浮かべている。
桃以外の三人は、それだけでなんだか絵になると思え、内心ため息をつく。自分にこんな貴族らしさがないのは、一体どうしたことか。
「みなさん仲がよろしくて、蘭は安心しました」
蘭はまるで母親のようなことを言っている。蘭にもそろそろ縁談が上がってもおかしくはない頃だ。彼女はきっと、良い母になるだろう。
「そう言っていただけて嬉しいですわ、陵駕殿」
いまだほおを染めたまま、それでも顔を上げて桜が笑う。それは、今まで桃が見てきたどんな桜の表情とも違っている。
少し、熱に浮かされたような、それでいて歓喜に満ちた笑み。
桃の胸が鳴った。なぜ、などそういう事はわからない。わからないけれど、桜は自分の魂の半分。だから感じる。
もしかしたら、桜は……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます