弐 徒然なる日々

親睦

 うららかな春の日。外では少し寂し気になった桜の花が、散り行きながら舞い踊っている。

 御簾みすが上げられた部屋からは、その風景が美しい一枚の絵のように見えていた。

「じゃあ、なに? わたしのこと結構知っているのね」

「母上がお小さかった頃ならもう。鈴鳴家の桃姫と桜姫と言えば、双子というだけで有名でしたし。加えて、母上はおてんばでしたから」

 桃の真向かいに座ってにっこりしている陵駕りょうがに、桃は軽いめまいを覚える。

「少なくとも、鈴鳴家の者で、母上を知らないという方はいないでしょうねえ」

「そ、そうなの……」

 そんなこと考えたこともなかった。

 たしかに双子というのは稀だ。双子は、昔から縁起が悪いとされる。ゆえに、双子が生まれるとすぐに、片方は里子に出されてしまうのである。

 それが、桃と桜は一緒に桜の宮で育っている。

 もちろん二人が生まれた時に、姉の方を里子に出そうという話はあったのだという。しかし、母である常盤ときわが二人を離さなかったのだ。

(母は強し、ということね。おかげでわたしたちは仲良く育って来たのだし)

 怒ると怖いが、常盤には感謝している。しきたりや神託を重んじるこの世界で、それに反することを貫き通した常盤は強い人だ。貴子もそうだが、意志の強さが常人のそれではないのだろう。

(結局、こうしてわたしが姉になることで釣り合いが取れたのでしょうけど)

 双子は、先に生まれた方に魔が宿ると言われている。そのため、後に生まれた方を姉とすることで、先に生まれた者の力を封じることとしたのだ。

 つまり、桃は桜よりも後に生まれた。本当は桃の方が妹なのだ。

 双子に関する口伝は、曖昧で不確かなものだと思う。なぜ先に生まれたものに魔が宿るのか。そもそもどんな魔が宿るのか。全て雲がかかったような言い伝えばかりだ。

 実際、桜に魔が宿るなんてことは考えられない。魔は宿れば怪異を起こす。しかし、桜にそれはありえない。

 なぜなら、桜は神から愛され力を与えられた神子みこだ。未婚のうちは神の妻として仕える。それは、魔を祓う側だ。

「母上?」

「————ッ⁉︎」

 悶々と考え込んでしまった桃の顔を、ひょいと陵駕がのぞき込んできて驚く。

 反射的に身を引いた桃に、陵駕は心外そうな顔をしている。

「なんですか。人の顔を見て驚くなんて」

 そんなこと言われても。

 考え事をしていたのだから、驚くというものだ。驚きすぎて胸が早鐘を打っている。

 怒涛の対面からしばらく。陵駕はよく桃の元へ訪れるようになっていた。母上との親睦を深めるというのが目的だというが、おそらくただの暇つぶしだろう。

 桃は桃で暇が多かったので、二人の利害は一致していた。

 それに、この堅苦しい世界で、気安く話せる陵駕の存在は桃にとっては幸いだった。桃にとって双子の妹の桜と、乳姉妹の女官だけがこれまで気安く話せる人の全てだったのだ。

 だから、ただ楽に気を遣わず話せることが、桃にとってはなによりも嬉しく、また楽しみなことだった。

 もうそろそろ桜が来るが、それまでは用事もない。

 陵駕は宿直とのい明けだというから、今日は出仕しなくていいはずだ。

「でも、どうして陵駕……は、わたしの小さな頃しか知らないの?」

 陵駕。その名前が口の中でもつれる。

 一応息子になるのですから、呼び捨てで良いですよ。私も母上とお呼びしますから。そんな陵駕の提案を受け、呼び捨てで呼んでみたがつっかえた。

 これは、慣れだろうか。

「接点があったのが、母上がお小さかった頃だけなんですよ。元服してからは、遊んでばかりいられませんからね」

 それもそうだ。

 桃も遊んでばかりいるわけではないが、殿方と比べれば時間があるのは確かだ。桃は神子でもないので、桜と違い神殿勤めもない。

 東雲が生きていれば、彼の仕事を手伝うことも出来たから、もう少し違っていただろうが。

「母上は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、結構お話もしましたよ」

「そうだったの。ごめんなさい」

 本当に覚えていない。あの頃すでに、陵駕と面識があったなんて。

「いや、いいんですけど。まだお小さかったですし」

 さらっと言われた言葉の調子は、皮肉。言い返そうにも返せない自分が悔しい。

 そういう、反論出来ないところを刺して来るのは、大人気ない。しかしそれを指摘すれば、自分は養子こどもですからと言うのはわかり切っている。

「ええそうね」

 かわりに思いっきり肯定する。ほおは引きつってしまったが、肯定してしまえばそれ以上突っ込みようもない。

「本当に大きくなられて……」

 まるで親かのような言い草だ。その言い方が少々癇に障る。

「何度も遠くから見かけたり、すれ違ったりはしましたけどね。でも、そうしょっちゅう見かけるわけではないですから、見るたびに大きくなられたなぁと思っていたのですけれどね」

「ふぅーん……」

 自分の声がやけに冷たく響く。まだ言うか? という気持ちが素直に声に出てしまっていたが、仕方がない。

 桃が言い返せないのをわかっていてこの仕打ち。以前家主の器だと思ったが撤回する、陵駕は家主としては器が小さい! 小さすぎる! と心の中で罵倒したが許されるだろう。

「だから桜姫のことも知っていますよ。母上にべったりでしたからね」

 陵駕は桃の声色を無視した。おそらくわざとだろう。皮肉ばかり言ってくる彼が、そういうことに気づかないなんてことがあるだろうか。いや、ない。

(なんなのよ。やっぱり変な人だわ)

 皮肉も嫌味も言うくせに、妙に爽やかで。瞳がきらきらしていて憎めない。

 本当に初めてだ、こんな人。

「桜姫は、お顔は本当に母上に似ていらっしゃいますね。だた、受ける印象は全く違いました。それは今も変わらないようですね」

「そうね、変わらないわね」

 よく母の常盤が言っていた。二人の顔は瓜二つだけれど、身に纏う雰囲気は全く違うと。

 桃は強くて濃い。桜は淡くて儚い。

 たしかにそうなのだ。桃は負けん気が強くておてんばで正直でまっすぐで、鋭くて。

 対して桜は、度胸はあるけど穏やかだ。お上品で、曲がったことでもなんでも、そのふわっとした笑顔で覆い隠してしまえるよう。ちょうど、桜の花のように。

 表情だって違う。桃は目まぐるしく、感情に合わせて表情が変わる。しかし桜は、めったに表情を変えない。いつでも優しそうに淡くお上品にほほ笑んでいる。

 二人は同じようで実は全く違うのだ。今も昔も。

「まあ、私としては違っている方が嬉しいですよ。母上みたいなのが二人もいたら……」

「ちょっとそれどういう意味なの陵駕」

 ついきつい口調で返したおかげか、今度は陵駕の名がすらりと唇から飛び出した。しかし今はそれどころではない。

 陵駕の皮肉な冗談だろうことは分かっているが、冗談だとしても腹が立つ。

「褒めているんですよ? 二人もいたら、この桜の宮もずいぶん明るくなるなと思いまして」

「————ッ‼︎」

 やられた。完全に桃の負けだ。

「……敵わないわね。歳の差を感じるわ」

 やはり人生経験が豊富な者の方が、いつも一枚上手のようである。あと七年桃が早く生まれていたら、釣り合いが取れただろうに。

「ははは。そう言われると、急に老け込んだ気分になりますねえ」

「そう?」

「ええ。母上が母上に見えなくなってしまいます。七つ下のに見えてしまうのですよね」

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