第3話:ただ与えられただけの器


朝の鐘の音が聞こえる。

陽光が窓から差し込み、ベッドにいる自分の顔に触れる。

スリープ状態を解除して脳殻を本格起動させる。

目覚めと同時にスリープ中に細かいキャッシュやバグ取り、そして人口筋肉の休息と再生のレポートを見る。


部屋の隅においてあるレコードプレイヤーとアンプを起動させ、音楽を流しながら朝食の準備をする。

作られてからしばらくの間は有機転換炉へのエネルギーにするための、わずらわしいと想っていた作業の一環であった。

どうして人と同じようなことをしなければならないのか、何故こうも非効率な方法であるのか。

そう思っていた。

今なら分かる。

あの人と同じものを食べて、同じようにしたかった。

けれども彼は一発の凶弾によって倒れた、だからもう無理だとは分かってはいる。

それでも私は同じルーチンを繰り返して日々を過ごしていた。

今までは。


朝食を置いたテーブルの上に、一通の手紙がある。

宇宙間航行が確立された今でも紙による通信は失われていない、それどころかわざわざ紙を使うということはそれだけ特別であるという付加価値があるのだ。

昨日の夜に一度見たが、もう一度中身を読んでみる。


「物語の冒頭で待つ」


差出人の名前もなく、ただそれだけが書かれていた。

書かれた字はまるで機械に出力させたかのようにとても綺麗であった。

けれども、その手紙が手書きであることは簡単に分かった。

手紙にあるかすかなインクの汚れ…恐らく、小指の下にある手に付着していと予想する。

もちろん、筆者は手に付いた汚れはすぐに拭いたのだろう。

だが何度も何度も手紙を書き…そして満足のいくものが出来上がった時には、とれないほどインクが染み付いてしまったのだろう。

彼女は最初は何と書こうとしていたのだろう、何を私に伝えたかったのだろう。

それを知るためにも私は少し古臭いゴシック調のドレスに着替えて外へと出る。

レンガ作りのアパートを出てすぐに長い黒帽子と青い制服を着たお巡りさんに出会う。


「アウス・トラリスさん。お出かけですか?」

「はい。天気もいいので、外で読書でもしようかと」

「そうですか…けれど、今日は止められたほうがいいかと。先ほど、また一部のアンドロイドが暴走しているとの連絡がありましたので」

「お気遣いありがとうございます。ですが、日課ですので」


そう言って、その場から離れる。

姉妹達が狂気に堕ちた経緯は分からない。

けれども、それがもう止められないことだというのは、欠陥品である私でも理解できていた。



物語の冒頭、私にとって思い当たる場所は一つしかない。

彼と初めて出会った場所…私と彼だけの物語が始まった場所、自然公園である。

公園の噴水近くにあるベンチ、私がいつも座る場所に見知らぬ誰かがいた。


「初めまして、アウス・トラリスお姉さま」

「御機嫌よう、完成された子」


赤く長い髪に赤白のウェディングドレスのような服を着ているそのアンドロイドは、満足そうに笑って私を迎えた。

私は彼女の隣…から一人分空けてベンチに座った。

その空けた場所は、彼の座る場所であった。

彼がいなくなったとしても、彼の場所に私が座ることには激しい拒否感があった。


「こうしてお会いになるのは初めてですよね。わたくしは―――」

「知っているわ、アスケラ。赤い髪が綺麗な子」

「嬉しいです、お姉さま。彼のことしかその脳殻にインプットされていないと思っていたのに」

「私は、ずっとあなた達のことを想っていたわ。だから彼との日々をあなた達に共有したのだから」

「……その日々が…わたくしを…皆を狂わせたというのに…!」


作られた時に心を宿さなかった私は、完璧でありながらも完成とはならなかった。

だから欠陥品である私は一部のパーツを抜かれて稼動データを取るためにそのまま稼動させ続けられていた。

そのデータが後継機であるあなた達に受け継がれるから、だから彼との日々もあなた達に渡したのだ。

けれども、その思い出は彼女達にとって悪性のウィルスでしかなかった。

私は、また気付くのに遅れてしまった。

彼の愛に気付いても、そしてその愛で私という存在が完成したとしても、欠陥品は欠陥品であるということを思い知らされた。


「今、他の子達が様々なところではしゃいでおります。そのおかげでここには誰もいません」

「…私を呼んだ目的は、何かしら?」

「思い出は思い出のままに、ですわ」


そう言うとアスケラはドレスの肩紐を外して肌を露出させる。

そして脇の下を指で押し込むと、腹部から人工血液がこぼれ落ち、その中に見覚えのあるモノがあった。


「そう…あなたが持っていたのね」

「はい。元々はあなたのモノであった小型元素炉、わたくしが受け継ぎましたわ」


別名、オールマイティエンジン。

呼吸することで取り入れた空気をそのままエネルギーへと変換するもので、私に組み込まれていたパーツの一つである。

そのエネルギーの変換の過程によって生まれた熱が偶然にも人肌と同じ温度であり、完全な人をコンセプトとして作られた私達アンドロイドにとっては、運命であるとも考えられていた。

だが、その温もりを片手で数えるくらいしか彼に伝えることができなかったことはなんという皮肉だろうか。


「彼は亡くなった、それは変わりようの無い事実。だから彼が旅立った場所へと送るのです、思い出と共にわたくしという存在も」

「アスケラ…私達が機能停止させたところで、死者のもとへは辿り着けない」


それこそが、私がまだこの世界にいる理由だ。

もしも自分を稼動させるエネルギーを絶つことで彼の場所に迎えるならば私は何の迷いもなく自らの有機転換炉をえぐり出せる。

けど無理なのだ、できないのだ。

だから私は彼の思い出を抱え、それを大切に毎日再生しながら過ごしている。


「そんなことは知っている!」


我々は私達はアンドロイドだ。

だから音声調律ソフトか音声出力装置の不具合でも起こらない限り、声が不調になることはない。

彼女は先ほどまで流暢に喋っていた。

けれども、今はまるで故障したスピーカーを通したような声で私に訴えかけてきた。


「わたくしは与えられるばかりだった…この身体も、作られた意味も、そして彼との思い出も!!」


彼女の悲痛な叫びは止まらない。

堰を切ったように彼女の感情は流れ、あふれ出ていく。


「何も成せなかった! 何もこの手で掴めなかった!」


彼女は項垂れて沈黙した。

私は彼女にかける言葉が分からなかった。

ただその肩に手をかけようとして…彼女は壊れたオモチャの人形のように顔を起き上がらせた。


「だから、壊すの。壊して、わたくしだけのものにするの。それがわたくしの最後の思い」


彼女の腹部にある小型元素炉から異常を察知する、恐らく暴走させたのだろう。


「もうお気づきでしょうが、わたくしの小型元素炉に過負荷をかけました。安全装置はありますが、それでもこの公園くらいはアチラに持っていくことができるでしょう」


彼女の腹部からは異常な熱量を検知している。

彼女は本当にこのまま自爆するつもりらしい。


「アスケラ、聞いて。私達には命は無く、死と定義されるものはない。このままあなたが自滅したとしても、彼の場所には行けないし…何も持っていくことはできない」

「あら、お姉さま…我々も死ぬことがあるのですよ? あの日、彼が死んだ日に我々はその存在意義と命を失った。今あるのは、ただの器…空っぽの容器が動いていることが、そもそもの間違いなのですよ」


彼女は狂ってしまったのか、それともこれが彼女の覚悟と決意なのか、私には分からなかった。

けれども彼との思い出の場所が無くなることは、嫌だと思えた。

うまく言葉にできない、説明もできない…それでも私は彼が好きだった風景がそのまま無くなることを受け入れられなかった。


「あら…なにをするつもりですか、お姉さま?」

「見ての通り、あなたの自殺を止めようとしているのよ」


私は高熱を発している小型元素炉へと手を入れて周囲のケーブルを切る。

これで彼女もこの小型元素炉にアクセスすることはできない。

次はこの暴走した小型元素炉を強制停止させる。

元は私の中にあったものだ、その手順は知っている。


「もう間に合わないですわよ。それとも、わたくしと一緒に死んでくれるのですか?」


彼女が語りかけてくるが、その言葉を返せるほどの余裕はなかった。


「ふふふ…最期にお姉さまと触れ合えるなんて、なんて素晴らしいのかしら」

「…そうね。データだけではなく、私達はもっと触れ合うべきだったのかもしれない」


私には心が無かった、ただ目的だけがあって…それを取り上げられた。

それでもその目的を達成するために助力していたつもりが、彼女達を追い詰めていたとは…なんと滑稽だろうか。


小型元素炉の熱量はさらに増加し、手の皮膜素子がところどころ焼け落ちてフレームの一部が見えてしまっている。

それでも私は手を止めずに作業を続ける。

これを止めたところで彼が戻るわけでもないし、やり直せるわけでもない。

それでも私は彼のおかげで心を手に入れた。

ならば私はその心のままにこの風景を守りたい、そして彼女を助けたい。

それが無理ならば、彼女と共に滅んでもいいと思っていた。


「ママぁ…どこ…」


今、この公園には誰もいないはずだ。

何故なら姉妹達の凶行によって外に出てくる人はほとんど居ないのだから。

だというのに、どうして子供がこの公園にいるのか。

血と煤で汚れ、クマのぬいぐるみを大事そうに抱きかかえながらその女の子はこちらへ歩み寄ってくる。

このまま作業を進めれば暴走した小型元素炉を止められる。

何も問題はない。

もしも失敗したとしても、私は心の赴くままに妹ともに死ぬことができた。

だが、ここに全く関係のない子供がやってきた。

もし…もしも失敗したならば…あの子は巻き込まれることになる。

私の脳殻がオーバークロックしたかのように働いた。

それでも私はどうすべきかの判断を下すことはできず…危機回避プロトコルが動いてしまった。


焼けた手をアスケラから引き抜き、全力疾走で子供を抱えてその場から離れた。

この子が火傷しないように、腕で抱えて…妹を見捨てた。

私は、妹ではなく見知らぬ子供の手をとってしまった。

自然公園から遠ざかりながら、彼女の最期の顔を見てしまった。


「ドウシテ」


声は聞こえなかった。

けれども、その口の動きから何を言ったのかは分かってしまった。

直後、小型元素炉の暴走により自然公園に大きな轟音が鳴り響き…後には何も残らなかった。

しばらくすると、警察車両や救急車などがやってきた。

私はポケットの中に入れておいたアタッチメント…長い手袋をつけて破損した手を隠す。

大きな爆音のせいで腕の中にいた子供は気絶していたので、そのまま救急隊員に渡そうとするのだが、私の服を掴んで離さなかった。



翌朝になり、私は新たな居住者を起こす。


「おはよう、テレベルム。もう起きる時間よ」

「うぅん…おはようございます、トラリスさん」


顔を洗うための洗面器をベッドの横にあるテーブルに置き、私は朝食を用意するためにキッチンに向かう。

どうしてあの子を引き取ったのか、今でも疑問に思う。

警察に頼んでもあの子の親御さんは見つからなかった。

家は私の姉妹が暴走した余波で倒壊しており、あの子は一日で帰る場所と人を失くしてしまった。

警察の方が預かろうとしてくれたが、テレベルムは彼らを怖がっていた。

きっと、このまま両親に会えなくなるのだろうと思ったのだろう。

だから両親が見つかるまでの間、私が預かることにした。

私達のせいでこの子は不幸になってしまった、だからその贖罪のつもりなのかもしれない。


ただ、私はこの日常の変化を受け入れられた。

彼が死んだ時も、それを受け入れることができた。

願わくば他の姉妹達も誰かに受け入れられ、そして受け入れられますように。

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愛によって完成されたモノと、愛によって狂ったモノの物語 @gulu

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