電氣ブランに蜂蜜を ① クリプトクロムと電氣蜂


「北緯38度1分11秒」


 シベリア寒気団が見える。


 この冷気でニット帽を脱ぐのは嫌だ。糸異側いといがわサラシナは忌々しく思った。呼気がまとわりついて、まつげが凍ってしまう。


「東経139度54分58秒」


 しかし通信のためには仕方がない。アクリル毛糸では通信にノイズが入る。やっぱり天然物のウール毛糸が欲しい。


 サラシナは風に晒されて冷え切った髪を撫で付け、短い黒髪をニット帽の中にしまい込むように耐寒帽をかぶり直した。


「正体不明の熱源をロストしたのはここら辺で間違いない」


 ゴーグル型眼鏡を額まで上げて分厚いネックウォーマーを下ろし、真冬の冷気にまだあどけなさが残る素顔を晒す。美しく切れ長の目をした少女は白く凍て付いた世界に目を凝らした。


「見る限り、なーんにもなさそうだけどね」


 ぴんと背筋を伸ばし、どれだけ目を凝らしても、見える光景はいつも同じ。見渡す限り雪と氷に埋もれた廃墟群だ。装甲雪上車がすれ違えるほどの広さの道を挟んで、もはや誰一人と住んでいない建物が並んでいる。放棄された旧商店街のようだ。


 動くものは風に吹き飛ばされる雪の粉ぐらいで、まるで色を塗り忘れた一枚絵のようなモノクロの町跡。びゅうと、時折吹く強めの風しか声を上げる者はいない。空気の匂いすらやたらと冷たく胸がきゅっと締まる気がする。


「どうする? 一応、軽く調べてみるけど」


 ゴーグル型眼鏡をかけ直し、ネックウォーマーに鼻まで潜る。サラシナは少し沈黙して相棒の声を待ったが、何の音も聞こえてこない。


「ちょっとベニバチ、聞いてるの?」


 振り返ると、相棒の少女は随分と遠くに立ち尽くしていた。ぽかんと大きく口を開けて、深くかぶった白いベレー帽に手をかけて重くのしかかる灰色の空を見上げている。


「サラシナちゃん、アレ」


 ようやく返事をした酉古獲とりこどり・マリーノヴツヴェート・ベニバチが空を指差す。サラシナはその指の先、煙る空を見上げた。


「アレさ、撃ち落せないもんなの?」


 はるか上空。冷気をまとった強い風が吹いているのか、重たく塞いでいた灰色の雲は見る見るうちに形を変えている。その細い切れ間に青い空が覗く。


 その小さな薄青色の隙間にぽつんと浮かぶひとかけらのゴミ。高高度衛星軌道発電所のドットのようなシルエット。


「撃ち落とせるなら……」


 サラシナは右手で拳銃を形作って人差し指の銃口を空の隙間のドットへ向けた。狙いを定め、バンッ、指鉄砲を撃つ。


「……とっくに墜としてるよ」


 サラシナの空想のレーザービームを避けるように、地上よりはるか八千キロメートル、高高度衛星軌道発電所は雲間に姿を消した。


 宇宙に浮かぶ発電所はサラシナとベニバチが生まれる前から、はるか地上へマイクロウェーブ送電を行なっていた。


 宇宙空間での大規模太陽光発電により人類のエネルギー不足問題は解消されたが、同時に増築された発電所群は地球規模での異常気象をもたらした。と、サラシナは幾度となく聞かされてきた。あの宇宙発電所に熱を奪われて、地球は恐ろしく冷えた惑星と化したのだ、と。


 雲に隠れた宇宙発電所さえなければ、こんな寒い思いしなくてもいいのに。人間の数が十分の一になっても、機械は動き続けて地球の熱を喰らい尽くそうとしている。サラシナはネックウォーマーの中で白いため息をついた。


 ロシア共和国極東連邦ニッポン自治州トーホク管区は今日もよく冷える。もう五月だというのにマイナス二十度を下回る気温だ。そんなひどく冷たそうな灰色の雲を睨んでいると、サラシナは風の中に高周波音の羽音を見つけた。


「あっ。帰ってきたよ」


 ぼんやりと灰色空を眺めていたベニバチが嬉しそうに言う。その言葉通り、羽音の主が廃墟群の奥から姿を現した。


 それは一匹の機械仕掛けの蜂だった。


 マットブラックに塗装されたボディにイエローのラインで輪郭が縁取られ、器用に折りたたんだ脚をずんぐりとした胸部へ寄せてロボットの蜂は飛んできた。ベニバチが操る電氣蜂でんきばちだ。


「ご苦労っ」


 フィルムのように透き通った四枚の翅を目にも留まらぬ速さで震わせて、わくわくとした笑顔のベニバチの目の前でホバリングする。ベニバチの頭部ほどもある大きさの電氣蜂なのでその翅の風力も強い。ベニバチの焦げ茶色に薄金色のメッシュが入った長い髪がぶわっと流された。


「寒っ」


 電氣蜂はそのままベニバチの足元に着地する。くるり、丸っこい機体を翻してとことこと雪原を歩き、ぶるぶる、腹部と四枚翅がぼやけるほどの速度で振るわせる。


「ふむふむ」


 ベニバチが電氣蜂に深く頷いて見せる。それに応えるように電氣蜂の8の字ダンスは続けられる。


 ベニバチと電氣蜂との儀式的な時間。まるで機械が人間に求愛しているかのようなダンスは雪原に大きな8の字を描き出す。時にゆったりと翅を重ね合わせ、時に大きく羽ばたいて雪を白く舞い上がらせる。


 サラシナはベニバチと電氣蜂との会話を見るのが好きだった。健気にダンスで8の字を描く電氣蜂と、ともにリズムを刻んで踊るように長髪を揺らすベニバチ。異なる構造をした人間と機械が同じモーションで紡ぎ出す濃密な熱伝導のような情報交換。


「そこの旅館跡に熱源があるって」


 不意に白いベレー帽がこっちを向いた。人間と機械のダンスに見惚れていたサラシナは思わず視線をそらす。もっと調和の光景を見ていたかったが、蜂使いとしての任務もある。早いとこ熱源を探そう。


「それとね」


 ベニバチは続けた。急にしゃがんで足元の雪を両手で掻き集めて大きな雪玉を作り、ぽいっと投げてよこす。なにこれ、と雪の塊を胸で受け止めるサラシナ。


「サラシナちゃん、狙われてるよ」


 あははっ、と笑うような声でベニバチは言った。何のことか理解できずサラシナは小首を傾げる。その瞬間、胸の雪玉が火花を散らして溶けて弾け飛んだ。


 狙撃? 撃たれた? 自律車両の襲撃? いや、撃たれてない? 胸が熱い? 熱弾の射撃? 敵の電氣蜂に襲われた? 敵って何よ? 何が起きたの?


 瞬時にさまざまな疑問が頭に浮かぶ。サラシナは反射的に仰向けに倒れ込み、冷たい雪に塗れるのも構わずに身体を捻って横に転がり、廃墟の壁際、雪溜まりに身体を投げ入れた。視界が真っ白く埋まる。


「ベニバチ! 隠れて!」


 叫ぶ。ネックウォーマーがずれて雪が口に飛び込んでくる。頭を低く、さらに雪に潜る。二発目、三発目の着弾を腰と太ももに感じる。熱い。でも、痛くない。冷たい雪がガードしてくれたか。白さがニット帽からこぼれ落ちて顔中が冷たさに包まれる。雪に埋もれてふっと射撃音が小さくなる。


「生きてる?」


 遠くからかすかなベニバチの声。ずいぶんと余裕ありげに聞こえる。しかしサラシナにはこれっぽっちも余裕はない。


 雪溜まりの中、撃たれた胸に手をやる。防寒ジャケットは濡れているが、痛みはない。やはり熱弾による狙撃だ。撃たれる直前、ベニバチが投げた雪玉が熱緩衝となってノーダメージだ。腰と太ももにも熱さは感じるが痛みはない。雪で熱ダメージを吸収できたようだ。


「ベニバチのバカ! 見えてるんなら、さっさと教えてくれればいいのに!」


 目の前の白い壁を掘る。ぽこっと明るい穴が空き、冷たい空気が流れ込んできた。外の様子を覗く。


 いた。小型車両のような金属製の体躯が八本の脚で地団駄を踏むように回頭して周囲を観察している。廃旅館脇の駐車場に放置された車に同化して潜んでいたようだ。


 巨大な昆虫の形をした外骨格機動脚エクソスケルトンだ。見失った獲物を探しているのか、その場でぐるぐると砲塔を回転させている。


 腹部に二基の砲塔を装備した巨大なコオロギのようなロボット、外骨格機動脚の向こう側に小さな人影が走っていく。ベニバチだ。外骨格コオロギの熱射撃をいとも簡単に身を翻して躱している。


 ベニバチは電磁波を見ることができる蜂使いだ。空間に描かれた電磁波のラインを目で追えば射線を見切ることなど容易い。射速の遅い熱エネルギーの無形弾丸くらいなら目で見て避けられるレベルだ。


「サラシナちゃん! 何秒欲しい?」


 雪の上、白いステージでステップを踏むように華麗に舞う一人の人間と一匹の電氣蜂。それを楽しんでいるかのように笑顔でベニバチは言った。


「二十五秒! 私の蜂で撃つ!」


 雪の中、外骨格コオロギの熱センサーから隠れてサラシナが応える。寝っ転がりながらサラシナ専用のハンドガンを構えて、雪溜まりからそうっと銃口だけを覗かせて、狙う。


「あいあーいっ!」


 小柄なベニバチの身体に合ったサイズの低反動サブマシンガンを両手で構えて、電磁波が見える人間は青白い光のラインが乱れ飛ぶ白銀のステージに舞い戻った。


 外骨格コオロギが極太の後脚を伸ばし、金属光沢のある丸々と太った腹部を持ち上げて電磁波を帯状に照射する。電磁波の跳ね返りで攻撃対象の移動位置を把握するのだが、ベニバチにはその青白い光のカーテンがしっかりと見えていた。


 ひらひらと揺れるスポットライトを上半身を反らして躱し、外骨格コオロギの頭部から発せられた光のラインを飛び越えて、ぴたり、その黒光りする複眼式アイセンサーに銃口を重ね合わせる。


 音が吸収されてとても静かな雪溜まり、一発だけの熱弾射撃音がサラシナの耳に届いた。


 照準が固定されるまであと二十秒。もっとベニバチのダンスを見ていたいが、さすがにあの大きさの外骨格機動脚を相手にするのは無理がある。ベニバチの火力では倒せるわけがない。十九秒。アクリル毛糸のニット帽が電氣蜂との通信を邪魔する。もう、ノイズが入るわ、とサラシナは白いニット帽を脱ぎ捨てる。十八秒。


 熱弾がヒットして表面温度が上昇した外骨格コオロギの頭に、ベニバチの電氣蜂が張り付いた。そして四枚の翅と丸っこい腹部を小刻みに震えさせる。一匹だけの機械仕掛けミツバチの熱殺蜂球攻撃だ。この熱ダメージで外骨格コオロギの頭部センサー類は機能停止する。これで熱センサーでベニバチの姿を見ることはできなくなる。攻撃対象を見失った外骨格コオロギはさらに広域に電磁波を散らした。


 次にベニバチは外骨格コオロギの重い巨躯を支える中脚に狙いを定めた。姿勢を低く落とし、ぴったりと外骨格コオロギの懐に潜り込み、まるで溶接機を押し当てるようにサブマシンガンを接射した。大量の熱弾を一点集中、中脚の関節皮膜を焼く。

 

 そんなベニバチの躍動を、サラシナは雪溜まりの中から観察しながら思った。無駄弾一発も撃たないなんて、さすがはベニバチ。


 変な話だね。心の中でカウントダウンしながらつぶやく。


 人と機械とが熱を求めて戦う。熱エネルギーの塊を消費してお互いを撃ち合い、生き残った方が撃ち破れた方の熱を奪う。シンプルに明日も生きるために。


 高高度衛星軌道発電所からは絶え間なくマイクロウェーブが照射され、無尽蔵の宇宙送電が行われているというのに、人も機械も、不毛な熱の奪い合いを繰り広げている。本当に無意味な熱交換だ。


 残り、三秒。


「サラシナちゃん! いいよっ!」


 外骨格コオロギの中脚がついに火花を散らして耐熱皮膜が溶け破けた。関節駆動モーターが熱ダレを起こし稼働を止める。コオロギは中脚一本の機能を失って、機体バランスを崩してその場にうずくまった。ベニバチはぴったり二十五秒で外骨格コオロギの動きを奪ってみせた。


「ベニバチ! 撃つよ!」


 ベニバチと電氣蜂が外骨格機動脚から飛び退くのを確認し、雪溜まりの中で、今度は指鉄砲じゃない。サラシナ専用の特殊ハンドガンのトリガーを引く。


 一瞬の静寂。すべての音が雪に吸収されて、まるで世界は一時停止されたようだ。


 射撃手のサラシナには何も見えなかったが、電磁波を感知できるベニバチは一筋の青い光が天から降りてきて外骨格コオロギを刺し貫くのが見えた。


 光が収束する。熱が雪原に渦を描く。外骨格コオロギが動くのを止める。ぽつん、外骨格にオレンジ色の小さな穴が開く。


 熱を帯びた轟音が雪を巻いた。外骨格が瞬時に溶け落ちて、捻れ曲がり、虹色の焼け跡を残した。


 はるか上空、高度二百キロメートルからのレーザービーム射撃。この暴力的な熱量に耐えられる金属は存在しない。外骨格機動脚の胸部ど真ん中は完全に溶けて朽ち果てていた。




 高度二百キロメートル。サラシナがコントロールする蜂はそこにいる。細長い翅がソーラーパネルで太陽エネルギーを集め、くびれた胸部からは安定翼の役割を果たす長い脚が伸びている。尖った腹部からは、地表に向けてレーザービームの銃口が向けられていた。射程距離二百五十キロメートルの超低軌道衛星レーザー砲。それがサラシナの電氣蜂だ。




「熱いわ」


 ベニバチは防寒ジャケットのファスナーを下ろした。外骨格コオロギの残骸の中心、そこはもう雪も溶け、アスファルトに小さなクレーターを作り、地面が露出していた。雪が蒸気を吹き上げて蒸発し、残骸の周りにもうもうと立ち込める。


「これじゃパーツも回収できないね。もったいない」


 ベニバチがけらけらと笑う。しょうがないじゃない、とサラシナは少し不貞腐れて見せた。


「私、撃たれたんだよ。三発も。ちょっと出力上げ過ぎたかもしんないけどさ」


 サラシナはもうこれ以上余計なつっこみは要らないとばかりに話題を変えた。


「で、熱源はこっち? 外骨格機動脚はこの廃旅館を守ってたね」


「うん。自分の縄張りだって言ってたよ。熱源はきっと旅館の奥。行こ」


 ベニバチは電氣蜂を背負うように背中にしがみつかせ、サブマシンガンを構えて廃旅館の中に侵入した。サラシナはふと空を見上げた。


 灰色の重たそうな雲にぽっかりとまん丸い穴が開いていた。小さな丸い青空が見える。あの穴の向こうにサラシナの電氣蜂がいる。超低軌道とは言え、さすがに衛星軌道の高高度から建物の中まで見通すことはできない。なるほど、熱源をロストするわけだ。熱源が動き回って位置座標がわからなくなったのではない。熱は一度大きく拡散し、そして一箇所に小さく留まっただけだ。


 廃旅館の奥間、熱源はそこにあった。


 源泉掛け流し風呂だ。


 とうの昔に枯れ果てたと思われる天然温泉が、何らかの理由で再度吹き出して旅館周囲にまで溢れ出し、その熱がサラシナの人工衛星蜂にキャッチされたのだ。


「温泉! あたし初めて!」


 ベニバチがはしゃぐ。廃旅館の大浴場は造りもしっかりとしていて壁や屋根が抜け落ちていたりもせず、ちゃんと温泉風呂として機能していそうだ。


「はじめて?」


「うん! 浸かるっ!」


 はたして、温泉は浸かるものなのだろうか。入るものなのだろうか。サラシナは悩んだ。そう言うサラシナも、温泉なんて聞いたことはあるけど、入ったことなんてない。水着が必要なのかしら?


「サラシナちゃん、この旅館をあたしたちの秘密基地にしようよ」


 ベニバチは早速防寒ジャケットを脱ぎ始めた。目をキラキラとさせて笑いながら。よほど温泉に浸かりたいらしい。


「別にいいよ。私はなんか使えそうなものとか、着るものないか、ちょっと旅館内を探索してみるよ」


「あーん、サラシナちゃん、一緒に浸かろうよっ」


「浸かるって表現は嫌。なんか染みそうな匂いしてるし」


「温泉ってこんなもんさ」


 極寒の五月、ベニバチは速攻で全裸になって温泉に飛び込んだ。

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