7 茨姫の凱旋
「あんたは、茨の魔女ではないんだよな?」
約束通り王になった彼は、私を城に招くつもりらしい。
忙しいはずだというのに、城を抜け出して森へ来た彼は、私の方を見ながらそんなことを呟いた。
「それよりも王子様……いえ、王様。今は忙しいのでしょう? 私はいつまでも待っているから、落ち着いてからここへ来ればいいじゃない」
「いや、それであんたの気が変わったら困る。魔女は気まぐれだと散々言ったのはあんただろ?」
私に王様と呼ばれた彼は、鼻の横を人差し指で掻いて視線をスッと逸らす。それから
翡翠色の瞳で見つめられると、胸の奥が温かくなるだけじゃなくて、少しだけ締め付けられるように苦しくなる。妹と同じ瞳の色なのに、どうして見つめられると胸が早鐘を打つように高鳴るんだろう。
「ちがう。こんなことを言いに来たわけじゃ無くてだな」
そう呟く彼に、私はなんと言って良いのかわからないまま、長い睫毛を伏せて考え込むような表情で黙っている彼の横顔を見つめた。
森の入り口では、泣きそうな顔をした番兵たちが、細い声で主の行方を捜すために声を上げている。
「俺の名前は、
彼が余りにも躊躇なく手を伸ばしてくるものだから、慌てて茨を解いて彼の手を取る。
私を包む茨で傷ついたらどうするつもりなのだろう。せめて、木に変わってしまった方の手を伸ばせばいいのに。
「茨の魔女でいいのよ。どうせ誰も私を名前で呼ばないのだから」
知っていて敢えて呼ばなかった名を、彼が名乗る。
彼の手を離して、私は再び身体を茨に包んだ。
「いいや、そんなことはない」
真剣な表情で、彼が私の顔を覗き込んでくる。茨に包まれて隠しているはずなのに、表情を、心を読まれてしまいそうで、私は思わずその言葉を笑い飛ばそうとした。
「俺は、あんたのことを名前で呼びたい。それに、あんたに名を呼ばれたいんだ」
ああ、それなのに。なんでこの人はこんなに私の欲しい言葉を言ってくれるんだろう。
長い間生きてきたけれど、私の名を呼んでくれる人なんていなかった。
「じゃあ、その前に昔話のお姫様がどうなったのかお話してあげるわ」
真剣な彼の顔を見ながら、私は言葉を続ける。
「茨に包まれて生まれてきた彼女は、茨姫と呼ばれていました。本当の名を呼ばれたのは、名付けられた時の一度きり。城を茨で包み、妹が目覚めた後、森へ姿を隠した彼女はいつの間にか、茨の魔女と呼ばれ始めたの」
「森へ姿を隠した方の姫の名は……」
「
身体を包んでいる茨を解いて、顔を露わにした私に彼は柔らかく微笑む。
頬に、彼の伸ばした手の甲が触れる。
「ソーン、今度は俺がお伽噺をしてやるよ」
首を横に振る。涙で景色が滲んで、目の前にいる彼の顔がぼやけてしまう。
「白薔薇の名を持つ王子様と茨の名を持つお姫様は、仲睦まじくいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたしってさ、ならないかな?」
彼の優しい声がすぐ近くで聞こえる。拭っても拭っても流れる涙で、彼の表情が見えない。
ふっと肩に手を回される。少しだけ彼の方へ引き寄せられて、身体が彼と密着した。
息を吸おうとして、唇になにか柔らかいものが触れる。
身体の芯が熱くなって、私の茨に次々と真っ白な薔薇が咲いていく。
「キスをしたって呪いまでは解けないみたいね」
涙で滲む景色でも、この距離なら彼の顔だけははっきり見える。
翡翠色の瞳をじっと見つめて、私は微笑んだ。
「それでもいいさ。呪われていたって、俺はこうして生きてる」
彼は悪戯っぽく笑いながら、私の茨から摘んだ一輪の白薔薇を差し出してきた。
そっと薔薇の花にキスをした私は、彼の唇に自分の唇を重ねる。
「アルバ……ありがとう。愛してるわ」
両腕で彼をしっかりと抱きしめた。
何かの間違いで生き残ってしまった私の
でも、アルバがいれば少しだけ……彼の生きている間くらいは人間としての生き方を取り戻せるかもしれない。
そう思った私は、かつて自分が憎んでいた城へ彼と共に脚を踏み入れた。
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