第36話 光司

 俺、芦谷敏雄としおはいじめられていた。高校一年生の時だった。


 きっかけは同じクラスの別のいじめられっ子を庇ったことだった。曲がったことが大嫌いだった俺は我慢できなかった。


 ひ弱な男子生徒は運動部の男子生徒数人に取り囲まれ、プロレスのような技を無理やりかけられていたのだ。それも常習的に。


 見かねた俺は、厳しく注意喚起した。「そんなくだらないことはやめろ」と。


 すると、いじめの標的は次の日から俺になった。


 驚いたのは、今までいじめられていた、つまり俺が助けようとした生徒もいじめに加勢していたのだ。


 現実は残酷だった。


 先生に助けを求めてもまともに相手をしてくれない。


「あいつらがそんなことするわけがない」


「じゃれてるだけじゃないのか」


「被害妄想はやめろ。友達いなくなるぞ」などなど。


 そんな日々が続いたある日。


 いじめっ子たちは誰も咎めない状況にいい気になったのか、普通に人目のある廊下で、日常茶飯事であるプロレスごっこを執り行ったのだ。


 今までは物影とか、人目につかない所だったのに。


「おーいがり勉。今日も遊ぼうぜー」


「何が弁護士になるだ。自分の身も守れないくせによっ」


 ああ。始まった。いつものだな。まず、左腕を拘束しながら、喉を圧迫するやつな。


 はいはい。非力な俺が悪いですよ。


 この時点で俺は心が折れていた。反抗する気力もなかった。


 俺が慣れた痛みを味わいつつ、早く終わらないかなーと他人事みたく天井を見上げていたときだ。


 そいつの声を初めて聞いた。


「お、何やってんの?ドッキリ?」


 そうわざとらしくとぼけた様子で、この場に居合わせたのが、冬知屋光司ふゆちやこうじだった。


 こいつは状況をわかっているのかわかっていないのか判別できなかったが、少し周りを見渡してから、こう言った。


「プロレスごっこか。俺も混ぜてくれよ」


 なんだ、こいつも同類か……と落胆したのも束の間、こいつはいじめっ子たちへ攻撃を仕掛けたのだ。


 それは一瞬の出来事だった。


 俺が自由に動けるようになっていた時には、すでに数人いたいじめっ子は一人残らずどこかしらを流血して、気を失っていた。


 ちょっとやりすぎてないか。


 眼前に広がる信じられない光景に目を丸くしていると、こいつが手を差し伸べてきた。


「大丈夫か?」


「あ、ああ」


 俺はそっけなく答え、尻に付いた埃を払いながら立ち上がった。


「俺は冬知屋光司こうじっていうんだ。よろしく。君は多分、芦谷君だっけ?」


「なんで俺の名前を知ってるんだ?」


「なんでってそりゃあ学年一位の成績で有名だからだよ」


「ああ。そういうこと」


 クラスが違う男子生徒、冬知屋光司に知られているわけがはっきりしたよ。


 このときの俺は壊れていた。いじめにいじめぬかれ、現実の残忍さを目の当たりにした俺は助けてくれたお礼も言えないほどに。


 いじめっ子や先生に洗脳されるかのようにずっと言われてきた。


「お前が雑魚だから悪い」


「お前がもっとちゃんとしていればこんなことにならずに済む」


 だから、全ては俺の責任。俺に降りかかる不幸は俺が非力なせいだからと脳の深い部分にまで刷り込まれていた。


 そんな闇の奥底にまで堕ちてしまった俺を引っ張り上げてくれたのが、光司だった。


「お前は賢いのにバカだなぁ」


「なんだと?人を馬鹿にするなら明確な根拠を示せよ」


 俺はいきなりバカ呼ばわりされ、つい気がたってしまった。


 だが、光司は間を空けることなく即答した。


「全部自分で背負い込んでるからだ。だからバカなんだよ」


 そう言って、俺にデコピンをしてきた。でもそれは全然不快に感じなかった。


 むしろ、光司の今の言葉で俺を苦しめていた闇がきれいに取っ払われた気分になった。


 そう。俺は光司に救われたんだ。


 このときからだ。


 俺が光司と友達になり、よく一緒に過ごすようになったのは。


 俺は自分で身を守れるように光司からけんかの極意を学んだ。


 光司は急に医学部を目指すとか言って、俺から勉強を教わっていた。


 光司と過ごしている間、いろんな人に出会えた。いじめられていた時は人間なんてろくなやつがいないと思っていたが、そうじゃないことが証明された。


 その過程の中で、俺は今の妻、直美に出会った。


 彼女は天真爛漫で可愛くて、そこにいるだけでみんなを元気にしてくれるような明るい女の子だった。


 まあ、俺と初対面の時。


「敏雄って言うの?私のおじいちゃんと同じ名前なんだけどー。面白ーい」


 って言われたときは、なんだこの女はって思ったけどな。


 こうして俺たちは高校三年間ずっと一緒に過ごしてきて、三人とも無事同じ大学に入学できた。


 光司は天才だった。医学部に現役合格だけでも素晴らしいのだが、その中でも成績はトップクラスだったそうだ。


 大学に行ってからも学部は違うが俺たちは一緒にいることが多かった。


 光司は大学で出会った女の子と付き合いはじめた。それが彼の今の奥さんなのだが。




 とにかく俺が言いたいことは一つだけだ。


 光司がいなければ今の俺はいなかった。直美にも出会えていなかった。


 きっと人の美しさを知らないまま弁護士にもなれず、野垂れ死にしていただろう。


 俺にとって光司は人生の恩人だった。そんなあいつが。



 まさかあんなことになるなんて……

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