第23話 本気

「なんだ?またお前は俺の邪魔をするのかぁ?」


「千花さんには何もするな」


「まだ何もしてねぇだろうがぁ」


 まだ……か。こいつ本当に何か、おそらく冬知屋さんが予知した通りのことをするつもりだったのか。


 僕の注意喚起に苛立ちを覚えたのか、今村は掴んだ僕の手を大仰に振り払った。


「お前ここに何しに来たんだ?」


「言っただろぉ?振られたから、新しい女に会いに来たってぇ」


「嘘だろ」


 確信はあった。動画の件があるのにわざわざこんな目立つやり方をこいつは選ぶか?本気で千花さんと付き合いたいなら悪手過ぎる。成功するビジョンが見えない。


 まあ、どんなシチュエーションでも千花さんは了承しないだろうが。


 今村はクククと忍び笑いをしてから、開き直ったかのように高笑いした。


「あーあぁ。そうだよぉ嘘だよぉ。本当はそこの貧乳女には興味なんざねぇ。俺はただお前とその周りの人間をズタズタに傷つけて、お前をむちゃくちゃに壊してやりたかったんだよぉ。芦谷ぃ!」


「何を言っているんだ?」


「わからないなら説明してやるよぉ」


 今村は歪んだ笑みを雑に貼り付けている。だが、雑なため、溢れんばかりの僕への憎悪が垣間見えている。


「あの時からずっと離れねえんだよぉ。俺には絶対に見せなかった紗希の女の顔がよぉ。それをお前みたいなうすら寒い奴が引き出したと思うと。俺がお前に負けたと思うと、もうはらわたが煮えくり返る気分なんだよぉ。ぶち壊してやりてぇ。今はそれしか頭にねえ」


「そんなことしたらあの動画、本当に流すぞ。お前は困るんじゃないのか?」


「そんなのはもうどうでもよくなったっつってんだろ!ただお前を壊せればそれでいい。刺し違えても壊してやるよ!」


 狂っている。よほど気に障ったのか正常な判断ができないほどに怒り狂っているようだ。黒野でさえも顔を引きつらせている。


「俺は本気だぞぉ。退学とか知ったこっちゃねえ。こっちは男も女もぶっ壊す準備は整ってんだよぉ」


 すると、今村の後ろにその奴隷たちが五人控え始めた。その中にはヘラヘラとこれから起こる事件に胸躍らせている者もいれば、迷いが生じている者もいる。


 が、ここで重要なのは、今村が完全に暴走状態であり、手が付けられなくなっているということだ。


 今更、話し合いでは解決しないだろう。ましてや、今村は僕にたいそうご立腹と見た。


「あーしたーにくーん。ピンチだねぇ。今からボロボロに壊れるお前の顔面を想像するだけで射精しちまいそうだぜぇ」


 今村はこの状況を待ちわびていたかのように、いや実際待ちわびていたんだろう。その表情は愉悦と憎悪でぐちゃぐちゃに混ざり合って、気味の悪さが全面に押し出されている。


 これから何が起きるのか、想像できるようで想像ができない。もしかしたら予想外のことをしでかすかもしれないからだ。それくらい今村は狂い溺れている。


 黒野や冬知屋さんたち、そしてこの部屋で目立たないようビクビクと縮こまってこちらの様子を窺っている他の生徒はそう思っているのだろう。


 だが、暴力に訴える展開である限り、それは僕にとってはでしかない。


「そうか、お前には僕がピンチに見えるんだったな」


 端から今村の喧嘩の強さは眼中になかったので、ぽろっと心の声が漏れてしまった。


「おい、芦谷。俺の感情を逆撫でするようなことはもう言うな。うっかり殺しちまいそうになるだろぉ」


「大丈夫だ。そんなことには絶対ならないから安心しろ」


 どす黒い殺気がビシビシ肌から伝わってくる。予定通りだ。


 これで攻撃対象はまず僕に向かうだろう。怒りで頭を埋め尽くされた奴を操るのは容易い。思考が単純になるからだ。


「今村さんに舐めた口きいてんじゃねえぞ、雑魚が!」


 今村よりも先にあるじに心酔している奴隷が襲い掛かってきた。それが試合開始のゴングを鳴らした。


 そいつはごくごく普通に右の拳で僕の左頬に狙いを定めた。それを僕は軽くかわして次の出方を窺う。


 だが、再度同じ行動をとってこようとしたので、僕はカウンターに出る。


 そいつは身長百八十センチメートルは超える大柄な男子生徒なため、僕からすれば、顎ががら空きだ。


 僕はそいつが踏み込んだ左足を思い切り上から踏み抜いた。


 ドンっという鈍い音が部屋中に響き渡る。「いでえ」とそいつは痛みのする足元に意識を向けた。が、その一瞬がそいつにとって命取りだった。


 僕はそいつの顎を掌底打ちした。「がっ……」という断末魔を最後に、そいつは意識を失った。


 何が起きたかわからないといった雰囲気が僕の周りから生まれたが、すでに怒りで染まりあがっている今村には関係ないといった様子だった。


「マグレで調子こいてんじゃねえぞぉ!」


 怒鳴りながら、その憤怒を込めたかのような拳が横殴りの雨のように何度も降りかかってくる。が、ひらりひらりと薄い旗がはためくかの如く、僕は避ける。避ける。避ける。


 避け続けては一向に終わらないので、何度目かの拳をダンっと左手で受け止める。


 今村は掴まれた右手を戻そうと何度も引っ張るが、抜けない。僕が抜かせない。


「離せ。このっ。くそがぁ!」


 今村のさっきの拳の連打を見て、確かに喧嘩は弱くないんだろうとは思った。やり慣れてる。先輩に圧勝したといううわさも真っ赤な嘘ではなさそうだ。


 だが、それだけだ。先輩に勝てただけであって僕に勝てることにはならない。そんなことは万に一つもありえない。


「今も、そして前回も僕がマグレで攻撃したり、かわしたりしていると勘違いしている時点でお前の力量はその程度なんだよ」


 このまま今村の右手を握りつぶそうと考えていた。だが、後ろから迫る攻撃の気配を感じ取ったため、今村を拘束から解放し、右方向へと回避行動をとった。


 今村は急に手を離されたので、勢いのまま後ろによろけた。


 僕を背後から襲った人間を確認するため、そちらへ振り返ると、先ほど意識を失った奴とは異なる奴隷が椅子を片手に握りしめていた。おそらく、椅子で殴りつけてきたんだろう。


 お前も好戦的だな。でも道具を使うのは悪くないな。実にクレバーだ。


 その奴隷は間髪入れず、椅子を大きく振りかぶって、僕を叩き潰そうとした。


 いくら僕でも硬い無機物を素手で受け止めれば、それなりのダメージを被るので、いささか趣向を凝らすことにした。


 僕はポケットにいつも入れている手を拭くための大きめのハンカチを取り出して、敵の顔面目掛けて投げつけた。


 相手は視界を突如塞がれ、一瞬たじろいだ。顔にかかったハンカチを払いのけようとしたのだ。


 その間わずか一秒。でも、僕にとってはされど一秒なのだ。


 その一瞬で間合いを一気に詰め、椅子攻撃の死角から相手のみぞおちに重い一撃をめりこませた。


 そいつは椅子をガタンと手放し、「うぅ……」と苦しそうに呻きながら、そのまま地に伏せ、動かなくなった。


「てめえ!」と今村は僕の胸倉を掴もうと手を伸ばすが、僕は鋭く、その手を振り払った。


 だが、それはおとりのようで、今村は僕の視界の外から左足で蹴りをかましてきた。


 まあ、視界に入ってなかっただけで、予測はしていた。ゆえに、その蹴りを僕は何の苦も無く、ひらりとかわした。


 すると、本能で反撃を恐れたのか、今村は咄嗟に僕と距離を取った。


 やっぱり喧嘩慣れはしてそうだな。でも駄目だ。胸倉を掴むのはナンセンスだろ。服には痛覚がないので、掴んで引っ張っても相手に反抗されてしまう。


「掴むならさ……」


 僕は真正面から堂々と今村目掛けてダッシュして詰め寄る。


 今村は僕の単調な動きに戸惑いを見せたが、すぐに切り替え、迷わず接近する僕の左の側頭部を打ち抜かんと拳を振るう。


 が、僕は走る勢いはそのままで、今村の右フックを左手でただ単純に力で受け止めはじき返した。


 あっという間にゼロ距離まで近づくことに成功し、僕は今村の両耳を掴んだ。


「髪か耳だろ」


 掴んだ両耳をグイッと引き寄せると、今村は引っ張られまいと後ろへ戻そうとすると耳が痛むので、僕にされるがまま前傾姿勢を取る形となった。


 僕は両耳を掴みながら、今村の顔面に容赦なく飛び膝蹴りを食らわせた。


 ゴスっという何をすれば生じるのかわからない音とともに、今村は苦悶の表情を浮かべた。


 だが、倒れはしなかった。なので、即、みぞおち辺りに刺すような鋭さで蹴りを入れて、後方へ突き飛ばした。


 今村はガタンガシャンという音を立てて、硬質な丸テーブルにぶつかった。意識はまだある。残しておいた。


「お、お前らもぼさっとしてないで早くそいつをやれぇ!」


 今村は鼻からボタボタと血を垂れ流しながら、自らの奴隷に指示を出した。


 しかし、その声音にはさっきまでの威勢は微塵もなく、初めて味わうかのような怯えと恐怖に震えていた。


 奴隷は明らかに躊躇していたが、残り三人のうちの一人が、ためらいがちに襲ってきた。どう見ても戦意がなかったので、僕は気乗りしなかった。


 だから、こいつはケガしないようにと、いわゆる柔道の背負い投げで対応した。


 やられたという大義名分があればこいつも楽だろう。


 あとの二人は動こうともしなかった、いや、動けなかったのかもしれない。なので、倒れこんでいる今村の方へと僕は悠然とした足取りで向かった。


 目の前までたどり着き、僕が今村をひどく見下げる形となった。


「どうして僕がお前の暴行動画を残したと思う?」


 意識を刈り取らなかったのはこのことを尋ねるためだ。


 今村は今村らしくない掠れた声で、泣きそうになりながら答えた。


「お、俺がお前らに歯向かえないようにするためだろぉ?」


「半分正解だが、百パーセントの回答ではないな」


 今村は、何を言ってるのかわからないといった表情を見せる。


 僕は怒るでもなく、優しく諭すでもなく、ただ冷淡に事実を告げた。


「正当防衛を立証するためだよ」


 それでもわからないといった感じなので、僕はしゃがんで、やっぱり言葉を続けた。


「お前と一緒で僕もお前のことを前からボコボコにしたいと願ってたんだよ。冬知屋さんといるときにお前が絡んできたあの日から。でも、だからといってそう簡単に暴力に頼ることはできない。そこで証拠動画だ。お前の暴虐性が証明されれば、僕が反撃しても、正当防衛と認められる」


 正当防衛が成り立つかは正直微妙なラインだ。僕の場合、過剰防衛と認識されてしまう可能性だってある。どちらかというとそっちの方があり得る。だが、今村を納得させるには問題ないだろう。


「まあ、僕も鬼じゃないんだ。今村が何もしてこなかったら、僕からは危害を加えるつもりはなかったんだ」


 これで今村への怒りが収まったというわけではない。できれば暴力に訴える手段を選びたくなかったというのも僕の本音だ。


「でもお前は僕と大切な人たちを壊そうとした。だからさ」


 僕は周りの誰にも聞こえない、今村にしか聞こえないように脅しをかけた。




「今から僕に壊されても文句はないよな?」




 ゴンっと僕は倒れている今村の顔の真横、つまり冷えた床を勢いよく殴りつけた。


 気が付くとそいつは目を回して、気絶していた。うっすらアンモニア臭がしている気がする。


 ちょっと痛みを味わっただけでこのざまか。意外とあっけなかったな。


 よっこらせっと立ち上がると、周りは未確認生命体を目撃したかのような騒々しさだった。


「あいつ取り巻きごと今村ぶったおしたぞ」


「誰だあいつ?」


「今村って喧嘩超強いんじゃなかった?」


「やばっ」


「かっけー」


「強すぎだろ」


 一応大それた喧嘩だったので、先生に報告しに行った生徒ももういるだろう。


 しかし、この部屋には当事者である僕を咎める者はおらず、異様なほどに畏敬の念を浴びせてきた。


 慣れない視線にもどかしい気持ちを覚えていたら、背後からガバっと何者かに抱きつかれた。気が緩んでいたので、気が付かなかった。


 だが、背中に柔らかい感触がするので、誰なのかは想像がつく。そっと振り返ってみた。


 

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