第12話 不穏

 映画を観終わって、外へ出ると、辺りは街灯の光が目立つほど、暗くなっていた。感想を言い合いながら、並んで帰路についている。


 驚くことに、再び冬知屋さんから手を繋ぐことを要求されたから……まあ、そういう形になっている。だが、さっきよりは慣れ始めて、むしろ気持ちが落ち着くまである。ナニコレコワイ。


「いやーまさか主人公が二重人格だったなんてねー。だから記憶の齟齬があったんだね」


「そこだよな!最初のシーンが伏線になってたことに気づいた時は衝撃だったぞ!」


「そうだよねー。何気ない会話だとしか最初は思えなかったわ」


「いやー今日は観に来て正解だったなー」


 確かに映画は満足だったのだが、それと同等レベルで、冬知屋さんと同じ空間で、手を繋いでいるというシチュエーションに緊張しっぱなしだった。


 つまらない映画だったら、絶対内容が頭に入ってなかった。助かったぜ。


 おかげで、今繰り広げられている会話にも苦しむことなく興じられている。


 というか、こうやって話していると、冬知屋さんと感性が似ているのかもと思わないこともない。

 気を遣うこともなく、スラスラと言葉が口から流れていく。


 あぁ……楽しかったなぁ。この時間がもう終わると思うと、非常に名残惜しい。もっと喋りたいな。この時間がずっと続けばいいのにとさえ考えてしまう。我ながらベタな思考回路してるな、僕。


 からかっているときの冬知屋さんは生き生きしていて、強かな小悪魔のような印象なのに、黙っているときは見た目の清楚さも相まって、とても大人っぽく見える。耳に髪を掛ける仕草とか不覚にもドキッとしてしまう。


 こういったところで、冬知屋さんへの好意を自認するのだ。


 冬知屋さんとの甘美な雰囲気に飲み込まれていると、自然と僕の正直な気持ちが口をついて出てきていた。


「まだ語りたい映画の話とかもあるからさ……冬知屋さんが良かったらでいいけど、またどこか遊びに行かない?」


 言ってから、恥ずかしさが込み上げてきたけど、不思議と後悔は微塵もない。よし。言ってやったって気分だ。考えているのは、ただ冬知屋さんと一緒にいたいということだけ。


 すると、口を半開きにして、ぽかんと驚き交じりに呆けているように見える冬知屋さんの表情を窺えた。そして、すぐに目を逸らし、口をもにゅもにゅさせて呟いた。


「う……うん……君が言うなら……いいよ……」


 若干顔が上気しているように見えるが、辺りはもう暗いのでよく見えていないだけだろう。


 やった!なんとか次のデートの約束ができた。えらいぞ、僕!


 そのまま歩いていると、僕らが通学には利用しない駅の前まで来た。映画館から冬知屋さんの家までの道のりの途中に駅はあるので、ここは避けられない。


 それなりに広く、公共交通機関ということもあって、この時間でも、割と人がいるようだ。


 何が言いたいかというと、ちょっと恥ずかしくなってきたということだ。


 さっきまでは人通りが皆無と言っていいほど少なかったんだけど、現状はそうは言えない。手を繋いでいるとなると周りの目を意識せざるを得ない。絶対恋人だと思われてるだろ。


 ていうか、今思えば、恋人同士じゃないのに手を繋いでるって違和感の塊じゃね?順序が破天荒というかなんというか……


 そこまで考えると余計に面映ゆくなった。冬知屋さんはどうなんだろ。気恥ずかしくないのか?と思い、パッと視線を向けると。


 パチリと見事に目が合った。至近距離で。


 刹那、ものすごい勢いで僕は赤面した顔を逸らしてしまった。


 一瞬の出来事なので定かではないが、冬知屋さんも焦って僕と同じ行動をとった気がする。気がするだけかもしれないが。


 先に口を開いたのは冬知屋さんの方だった。


「どうしたの?そんなに慌てて。まさか手を繋いでいるだけでそんなに顔を赤くしているの?ウブだね」


「べ、べつにそんなんじゃねーよ。ただ、周りの視線が気になるっつーか……」


 僕はカリカリ頬を掻きながら、視線を足下に固定しながら消えそうな声を出した。


「私はこれくらいで恥ずかしいなんてこれっぽっちも思わないよ。やっぱりウブだね」


 そう言う冬知屋さんはどうなんだよと僕はバッと顔を上げると、冬知屋さんの後頭部が視界に入った。


 視線が合わないどころか、そもそもこちらを全く見ていない。僕のいる方とは正反対側に顔を向けながら話している。


 なんだこれ?


「どうしたの、急に黙っちゃって。恥ずかしがっちゃって何も言えなくなったの?ウブだね」


 冬知屋さんが全然顔を見せようとしないので、僕は強引にそれを覗き込んだ。


 なんということでしょう。冬知屋さんの頬がほんのり桜色に染まっているではありませんか。ニヤついてしまいそうな口角を必死に堪えながら、今も、僕に羞恥の顔を見せまいと背けようとしているが、手遅れだ。


 めちゃくちゃ無理してるじゃないか。僕以上に。そんな必死になるほどからかいたかったのか?


 なるほど、さっきからウブに語彙力吸い取られていると思ったら、これがカラクリだったか。


 なので、僕は未だに強がっている小悪魔に反撃することにした。


「ウブだね」


「~~~~~~~~~ッッッ!?!!!?!」


 冬知屋さんは繋いでいた手を離して、ポカポカと叩いてきた。全く痛くねぇ。むしろ可愛いだけでしかない。


 愉悦に浸りながら、今日というすばらしい一日の余韻に浸れれば良かったのだが……





 よりによってこのタイミングで、一番会いたくない人物に声を掛けられた。


「おい!なんでそいつと一緒にいんだよぉ紗希ぃ?」


 そんな鼻につくような話し方をするから、嫌でも理解してしまう。今村だ。


 さっきまでの二人きりでいたときの熱は一気に冷めてしまった。


 というか、紗希?なんでこいつ呼び捨てなんだよ。


「勝手に下の名前で呼ばないでもらえる?」


「おいおい。つれねえなぁ。俺と紗希の仲だろぉ。なぁ?」


「仲良くなった覚えなんて少しもないんだけど」


「相変わらず冷たい女だなぁ。横のクソ男にはベッタリみたいだがなぁ」


「芦谷君のこと悪く言わないでくれる?」


「いいなぁ。紗希にこんなに良く言ってもらえるなんてぇ。嫉妬しちまうじゃねえかよぉ。えぇ!?」


 威圧するような態度で、グイグイと僕に近寄ってくる。部活の帰りなのだろうか、他の部員、もとい下っ端も数人後ろに控えている。


「とりあえずその紗希って言うのやめろよ。本人が嫌がってるだろ……グハッ」


 僕が言い終わるのと同時に今村は僕の鳩尾にドスッと膝蹴りをかましてきた。痛ぇ。


「お前忘れてないよなぁ。散々俺のことコケにしやがってぇ。この程度で済むと思うなよぉ?」


 今村は顔を憎悪に歪ませながら、左手で僕の髪の毛をグシャッと鷲掴みにした。


「ちょ、ちょっとやめて!今村!芦谷君けがしちゃうから!」


 冬知屋さんは血相を変えて、今村の左腕をギュッと両手で懸命に掴み、懇願してくれた。


「紗希ぃ。俺にはそんな女の顔見せなかったくせに、こいつには見せるのかよぉ」


「当たり前よ!芦谷君はあなたと違って人としてかっこいいもの」


 こんなときでも、冬知屋さんにかっこいいと言われて嬉しくなっている自分がいる。そんな場合じゃないのに。


「あぁ。俺はこんなやつよりかっこよくないって言うのかよぉ。こいつに負けてるのかぁ?」


「ええ。そうよ」


 冬知屋さんは固い意志を持って、はっきりとした声音で言い放った。


「そうかぁ。紗希がそこまで言うならぁ……」


 先に続く言葉がきっと良いものだろうと冬知屋さんは安堵したのだろう。ホッと息を吐いたのも束の間。


 今村はどこまでも人を馬鹿にするような下卑た笑みを浮かべた。


「こいつをカッコ悪くしてやるよぉ!」


 そう言って、僕の鼻頭に強烈な頭突きが飛んできた。抵抗もなく、まともに食らってしまった。ポタポタと鼻血を垂らしてしまうほどに。


 今村の後ろからヘラヘラと不快な笑い声が聞こえてくる。


「お、お願いだからやめて!!!」


 冬知屋さんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら上擦る声で今村に訴える。


 だめだな。僕は。女の子を泣かせるなんて。


 自責の念に駆られているうちに、すぐさま第二撃の膝蹴りが僕の全身をグラグラと震わせる。


 終わったかと思うと、今村は冬知屋さんをじっと視界に捉えていた。


「本当は惚れた女は小細工なしで落としたかったんだが、仕方ねぇ」


 僕の髪の毛を掴んでいた左手を乱暴に離すと、今度はガシッと冬知屋さんの腕を強引に握って、こっちへこいと言わんばかりに、引っ張った。


「ちょ、痛い。やめて。離して!」


 その悲痛な叫びが僕の耳朶に重く響いた瞬間、我慢の限界だった。


「いいよな、父さん。こいつら黙らせても……」


 ボソッと呪文のように呟き、冬知屋さんを今村から遠ざけようとしたとき、今村の方から冬知屋さんを拘束から解いたようだった。


 怒りに染まった頭をクールダウンさせつつ、周りを見渡すと、どうやら僕らは目立っていたらしく、「あれやばくない?」とか「警察に連絡した方が……」といった野次馬ができ始めていたのだ。


 そのため、目立つことを嫌う今村が僕らへ危害を加える行動を突如止めたのだった。


「まあいいやぁ。えーっとぉ。芦谷だっけぇ?次俺の目の前で紗希と一緒にいてみろ?病院送りは約束してやるよぉ」


 ポケットに両手を突っ込みながら下っ端と共に踵を返した。


 それを見た野次馬も何事もなかったかのように、元の駅の喧騒に戻っていった。


「芦谷君……鼻血……」


 僕は手渡されたポケットティッシュで簡単に処置を施した。


「ご、ごめんね。私のせいで……」


 冬知屋さんは未だ泣き止むことはなく、どちらかというと慟哭に近い雰囲気で、謝罪をさっきから繰り返している。


「冬知屋さんのせいじゃないって。僕こそ……その……すまん……」


 僕は何と言っていいかわからず、ただ曖昧に謝罪の言葉を呟くしかできなかった。


 お互いがひとしきり謝り終わってから、それでも不安げな足取りで帰路に就くことを再開した。


 冬知屋さんの家に着くまでに彼女が話してくれたのだが、今村とは中学校が同じで、昔、告白されたことがあるらしい。もちろん冬知屋さんはきっぱりと断ったのだが、今村が諦めていないらしく、しつこくつきまとっているそうだ。それで、あの太々しい態度。


 思っていた以上に迷惑な奴だった。


「じゃあ、また明日学校でな」


「………………うん……」


 それから約一週間、僕は冬知屋さんと一言も言葉を交わすことができなかった。

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