第3話

 ステラが休暇をいただいた日――。

 彼女は馬を借りて、アザミの街から出立していた。平原に吹き渡る風が涼しい。周りの田んぼを眺めながら、深呼吸し――脇の少女に、声を掛けた。

「では、行きましょうか。ルカ様」

「え、ええ……そうね」

 振り返ると、そこにはぎこちない笑みを浮かべたルカの姿があった。

 小袖姿で、一本に束ねた髪を揺らしながら、馬の腹を軽く蹴り、前に進みながら彼女は額を押さえてため息をつく。

「ごめんなさい……貴方の休暇を邪魔するつもりはなかったのだけど」

「いえ、気にしないでください。一人で里帰りも寂しかったですし」

 ステラは笑いながら言葉を返すが、それでもルカは申し訳なさそうだった。

 二人で馬首を並べ、のんびりと馬を進めていく。その中でルカは小さく囁いた。

「その、リヒトがたまには休暇を――って」

「はい、安心しました。ルカ様がちゃんと休暇取られていると分かって」

「私だって休暇くらい取るわよ……ただ、旅行なんて久しぶりね」

 ふと思い出したように目を細め、小さく懐かしむように言う。

「お父様とお母様が時間を作ってくれて。ウルハバ州でバカンスに行ったの」

 ウルハバ州は、カグヤの南にある土地だ。比較的涼しいカグヤに比べて、ウルハバは温暖な気候である。ステラが見守る中、ルカは言葉を続ける。

「女王様が、別荘を貸してくれて。湖畔の近くで、のんびりしたわね」

「そうなんですね。シズマ様も家族想いというか」

「あら、お父様は重婚しているけど、その分、しっかり二つの家庭を顧みているわよ。普段は女王様にお仕えしているけど、お母様へのサービスも忘れないし」

 ルカはそこで苦笑いをこぼす。緊張がほぐれたのか、割と口も軽くなる。

(やっぱりルカ様は、シズマ様のことが大好きなんだな……)

「だから、重婚は悪いことではない――とは思うけど。ただ、お父様みたいな、すごい人というか、小さなものにも真剣に向き合える人だからできるのだと思うわ」

「ケンカしたときも、雨の中、ルカ様を探してくれましたからね」

「もう、思い出させないでよ、ステラ」

 二人で思わず笑い合う。ステラは馬の手綱を引きながら会話を続ける。

「じゃあ、旅行はそれ以来、一度も?」

「ええ、アザミを出ることは公務以外になくなって。仕事でツカサ城や王都にはよく向かうのだけどね」

「ダメですよ。ルカ様、たまには息抜きしないと」

「ふふ、そうかもしれないけど、休みの日でも用事がないとアザミの外に出ないから。今までは、お父様がよく連れ出してくれたのだけど。二人で遠乗りとか」

 そこでふと思ったようにルカは首をゆるやかに傾げた。さらり、と彼女の一本に揺られた髪が背で揺れる。

「家族以外で、旅行に行くのは――初めてね。そういえば」

「じゃあ、初めて二人きりでの旅行なんですね」

 ステラは笑って頷くと、ルカはぎこちなく視線を泳がせて頷いた。

「そ、そうなるわね……うん」

「あ……」

 ふと、意味深長な言葉を発してしまったことに気づき、ステラも遅れて赤面する。なんとなく気まずい空気が満ちてしまい――ルカはそれを振り払うように、明るい声を発した。

「そ、そういえば――ステラの故郷ってどこかしら」

「え、えっとですね……カグヤの西の方です。少し、山に囲まれているのですが」

「フィラ丘陵の方かしら」

「あ、大体、その辺です」

 フィラ丘陵は、カグヤ自治州と王都の州境沿いにある、小高い丘の連なった地帯だ。フィラの地上絵、という観光で有名な場所がある。

 主要街道から逸れた、ひなびたところにある。ルカは納得したように頷く。

「あまり、そちらには行かないわね。大昔に、行ったことがあるみたいだけど」

「……そうなんですか?」

「うん、本当に子供の頃、お父様に連れられて……らしいけど、どうにも記憶が曖昧で」

「まあ、子供の記憶なんてそんなものですよ」

 視線を合わせ、二人で微笑む。まだぎこちないが、空気は緩みつつあった。


 二人で時折会話を挟みながら、ゆっくりと馬を進めていく。

 山の間に通された一本の道を、のんびりと行きながら、ふぅ、とルカは小さく吐息をついた。わずかに、その額には汗が浮かんでいる。

「少し、暑くなってきたわね」

「ふふ、そうですね」

 ステラは頷き、まとわりつくような熱気を手で少し払う。木陰が続いているとはいえ、どこかじめじめとして鬱陶しい暑さだ。

 カグヤが北方で涼しいから忘れがちではあるものの、今は夏。

 王都の方では、うだるような暑さだったものだ。

 ステラはそれを思い出しながら、ルカを振り返って励ますように笑いかける。

「もう少しなので、我慢してください。そこの丘を越えたら、見えると思います」

「あ――もう、そこまで来たのね」

「切通を抜ければ、すぐなんですよね……ほら」

 そう言いながら、斜面を登りきる――そして、視界に飛び込んできた光景に、思わず懐かしくなって目を細める。ルカはそこに並び、息を呑んだ。

「え――ここが、ステラの故郷……?」

 斜面の下に広がっているのは、立ち並んだ木造の建物たち。

 だが、それは造りが小洒落ており、二階建てや三角屋根の建物、ベランダがついているものもある。そのベランダ同士を渡すように紐が張られ、そこにはいろとりどりの染め物が風に泳いでいる。

 その建物が並ぶ、中心の広場には、小さな池がある。

 その池の中心から、どういう仕組みなのか、天を突くように水が噴き出していた。

 集落の外には、さまざまな行商の荷馬車が立ち並んでおり、とても賑やかだ。

「――村や集落には、思えないわね……」

「実際、結構、人は住んでいますよ」

 ステラはどこか自慢げな気分で、ルカを振り返って微笑みかけた。


「ようこそ、クルセイドの村へ」

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