第五章 故郷の刃

第1話

「そういえば、ステラ――」

「は、はい、なんでしょうか?」

 それはツカサ城からアザミに戻り、いつも通りの日常を過ごしていた頃だった。

 唐突の声掛けに、思わずびっくりしながら振り返る。ルカは執務机から視線を上げ、少しだけ苦笑いを浮かべた。

「ぼっとしているなんて、らしくないわよ。ステラ」

「す、すみません――で、えっと……何でしょうか?」

 ぎこちなく聞き返す。その口調をルカは気にする様子もなく、書類に目を落として訊ねる。

「貴方、こっちに赴任してきてから、全然、休暇を取っていないわね。ついでに言えば、王都で勤務していた頃の休暇も十分とれていないし」

「ああ――いろいろ、忙しかったものでして。大体、有休買い上げになっていましたね」

 騎士団では雇用規定がしっかりしているため、一応、有給休暇が支給されるのだ、だが、王都に所属する騎士だと、休暇が回らないことが多い。

 そのときは、休暇分の日当を支払う、有休買い上げになるのだ。

 だが、ルカはきっぱりと首を振って言う。

「ダメよ、それは。しっかり休みの日には休みを取らないといけないわ。特に貴方、お金に困っているわけではないのよね?」

「え、はい、大丈夫ですけど」

「なら、折角だし、まとまった休暇でも取ったらどうかしら。帰省もしていないみたいだし、たまには故郷に帰るのも悪くないんじゃない?」

「そう、ですね――」

 ふと思う。前に、故郷に帰ったのはいつだろうか。

 そう思うと、懐かしくなってくる。みんなは元気だろうか。

 そんなことを考えていると、ルカは淡く微笑んで頷いた。

「うん、決まりね。秋になると、みんな忙しくなるわ。その前に、一回、顔を出してきなさい。予定を決めましょう、いらっしゃい」

 ルカが手招きする。ステラは傍に歩み寄り、彼女の手元の書類に目を落とした。

「――予定を見ると来週の方がよろしいでしょうか」

「そうね。来週の辺りで……うん、いいわよ」

 さらり、とルカは髪をかき上げて頷く。その白いうなじが見え、わずかに胸がどきりと高鳴る。それを押し隠すように、少し離れながらステラは頷いた。

「では、そのようにお願いします。サンナには、引き継いでおきますので」

「……うん、助かるわ。それでお願いね」

 ルカは微笑んで頷く。その目はわずかに寂しそうで――。

(……気づかれたかな、ぎこちないの)

 でも、仕方がない――あの、ツカサの温泉宿の一件以来、どうしてもルカを意識してしまう。その唇や所作に目が行ってしまい、ぼっとしてしまうのだ。

 それをごまかして、ルカをさりげなく避けて――それに気づかれて。

(ルカ様、少し傷ついているよね……)

 だから、せめてとばかりに、ステラは明るい笑顔を浮かべて訊ねる。

「ルカ様、仕事が一段落したら、お茶でもどうですか? 少し、根詰めすぎですよ」

「ん、そうね。じゃあ、一段落つけるから、リヒトからお茶をもらってきてくれる?」

「はい、分かりました」

 ステラは頷き、踵を返して部屋から出て行く。その廊下を歩きながら――小さく、ため息をこぼした。


「姉さま、最近、元気ないよね。大丈夫?」

 ルカとのお茶会を終わり、昼下がりの兵舎の執務室。

 調練から戻ったサンナと、ステラは引継ぎの作業をしていると、ふと、サンナが首を傾げながら訊ねてくる。くりくりの紅い瞳に覗き込まれ、ステラは苦笑いを返す。

「大丈夫ですよ。ただ、最近――少し、考えていることがあって」

「――辞めるとか、考えていないよね? 姉さま」

「まさか、辞めませんよ」

「よかったぁ……なんだか、ルカ様と上手く行っていないのかな、って思って」

 胸を撫で下ろすように吐息をついたサンナ。ステラは思わず笑みをこわばらせ――小さくため息をついて訊ねる。

「やっぱり、サンナからもそう見えますか?」

「うん……なんだか、二人ともお互い、なんだか避けているような気がして……何か、ケンカしたのかな、ってリヒトさんにも聞いてみたんだけど」

「ううん、そういうことではないのですけどね」

 そう言いながら、ステラは小さくため息をつき、ペンを置く。

 ルカの執務室とは違い、少し手狭で資料が詰め込まれた部屋。その小さな窓から外の青空を眺め、複雑な気分でため息をこぼす。

「話は変わるんですけどね、サンナ、少しいいですか?」

「ん、何かな。姉さま」

「――サンナには、好きな人っていますか?」

 突拍子もない質問だったと思う。少しだけサンナは面食らうような顔をしたが、すぐに真剣な表情になって考え込む。

「んん……好きな人って、恋愛って意味だよね、きっと」

「そう、ですね。きっと」

「それじゃあ、私はまだないかなぁ……あ、もちろんお姉さまのことは好きだけどね」

「ふふ、ありがとうございます。サンナ」

 サンナの言葉に、胸がくすぐったくなってくる。

 その真っ直ぐな好意を受け止め、ステラは彼女の頭を撫でながらぼんやり思う。

(でも――やっぱり、ルカ様に抱く気持ちとは違う)

 ルカに対しては、くすぐったいよりも、どきどきするのだ。

 比較すると、よく分かってしまう。苦しいのに、どこか嬉しくて、でも、傍にいないと寂しく感じてしまう――。

(これって、やっぱり恋なのかな)

 そう思いながら、でも、と小さく思う。

(女の子を好きになるって……やっぱり、変だよね)

 そう思った瞬間、胸がちくりと痛んで――ふと、サンナが心配そうな声を上げる。

「お姉さま、どうかした?」

「ん、なんでもないですよ……少し、胃もたれが」

「調子が悪いの? 無理しないでね」

「大丈夫です。それよりも、引き継ぎなんですが――」

 精一杯の笑みを妹分に見せて、机の上の書類を説明していく。それに専念して、ステラは胸の痛みを忘れようとして――。

 それでも、いつまでも疼きのように、胸の痛みは残っていた。

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