第三章 無双の刃

第1話

 穏やかな風が吹き渡る、兵舎裏の空き地――。

 その中心には、一人の少女が佇んでいた。

 茶髪の癖毛をなびかせ、浅黒の肌をした童顔には、わずかに緊迫した面持ちが浮かんでいる。その手に握られているのは、革の鞭だ。

 その彼女の周りを取り囲むように、一定間隔に丸太が立っている。

 丸太が描く円の中央に立つ、少女は息を吸い込み――目を見開いた。

 手が一閃される。瞬間、空の爆ぜる音と共に、しなやかに鞭が宙を裂いた。蛇が獲物に食らいつくように、丸太が弾け飛ぶ。

 彼女は引き戻しざま、振り返って背後に腕を伸ばす。

 それに応じるように、鞭は跳ね返るように飛び、ぱんっ、と乾いた音を立てる。

 腕を振るたびに、次々と弾け飛んでいく丸太。

「――ッ!」

 少女は最後に大きく鞭を振り下ろす。鋭い鞭打が、真上から放たれ――最後の丸太が、真っ二つになる。ふぅ、と彼女は吐息をつき、ぱっと笑顔で振り返った。

「どうかな、姉さまっ!」

 無邪気にはしゃぐサンナに目を細めながら、ステラは褒めるように微笑んだ。

「よくできました。前よりも上手くなっていますよ」

「えへへ、そっか、よかったぁ……」

 へにゃり、と眉尻を緩めるサンナに、ステラはその頭を撫でる。

(従順な子なんだね……この子は)

 出会ったときに、尊大な口調をしていたのは、手下たちに示しをつけるためだと言っていて、本来はこうやって素直に甘えられる子らしい。

 だが、野盗をしていた理由については、教えてくれない。

(この鞭の腕前も、自然で身につけた割には、随分と筋がいい……何か、裏がありそうな気はするけど)

 ステラはそう思いながら、嬉しそうにくねくねしているサンナを見つめて優しく言葉を続ける。

「でも、まだ足さばきが甘いです。鞭の振りに身体が持っていかれていきがちです。もう少し体幹を鍛えましょう」

「ええぇ……折角、褒めてくれたのに……」

 サンナはうえぇ、と苦い笑みを浮かべながら、鞭を軽くくるくると手元で回した。それだけで手元に戻っていく鞭。

 ステラはくすり、と笑って首を傾げる。

「これでも甘めの採点なんですよ? 今の鞭の速さでは、到底、私を捉えることなんてできないのですから。まだ、鞭を使いこなせていないのです。サンナは」

「ううぅ、姉さま、厳しい……」

「これもサンナの為です。訓練も兼ねて、部隊と共に巡察に行ってくれますか? 乗馬で、体幹をしっかり鍛えるのです。帰ってきたら、褒めてあげますから」

「分かったっ! 行ってきますっ!」

 なだめながらステラが頼むと、サンナは晴れ渡るような笑顔を浮かべ、踵を返してぱたぱたと駆けていく。それを見届けていると、背後から声が掛かった。

「すっかりお姉さまやっているわね。ステラ」

「あ――ルカ様。執務の方は終わられましたか?」

 振り返りながら訊ねると、ルカが髪を風になびかせて立っていた。目を細めて彼女は頷くと、視線を兵舎に向ける。

「サンナも、騎士として板についてきたわね。とはいえ、一番下位の見習いだけど。正式な辞令を下すのは――まあ、来月ね」

「そちらはゆっくりで構わないと思います。しっかりサンナを鍛えておきたいので」

「……貴方、意外と容赦ないのね……」

 苦笑いを浮かべたルカは、分かったわ、と一つ頷くと、ぐっと背伸びをした。

「さて、仕事も終わったし、貴方も調練は終わりでしょう? たまには、ゆっくり屋敷でお茶でもしない?」

「いいですね。少しサンナたちに申し訳ないですけど」

「ふふ、いいのよ、いつも頑張っているステラにご褒美。さ、屋敷に戻りましょう?」

 ルカが手を取って優しい笑顔で見つめてくれる。相変わらず、可憐な笑顔でどきっとしてしまうけど――目を逸らさず、笑い返せる。

 どこか、ルカの笑顔を、だんだんと受け入れられるようになってきていた。

 二人の視線が交わると、ルカは殊更嬉しそうに笑みを浮かべ、ステラの手を引いて歩き出す。

「お菓子でも買って行く? ステラの好きなお菓子って何かしら」

「あははっ、リヒトさんのお菓子、大好きですから大丈夫ですよ」

「そういう意味じゃないんだけど……」

「じゃあ、みたらし団子でも買って行きますか?」

「それ、私の好物じゃない、もう」

 二人で手を繋いで歩いていくのも、まだ少し気恥ずかしいものの、だんだんと慣れてきた。二人で屋敷に戻る道を歩いていると――ふと、領館の前で立っている執事が目に入った。

 傍に立っているのは――郵便の配達員だ。

「――新しい書類じゃないといいのだけど」

「それなら、先に一緒に片づけてしまいましょう」

「それもそうね――リヒト、ただいま」

 手紙を受け取っていた執事に、ルカが声を掛ける。リヒトは振り返ると、にこりと笑みを浮かべて一礼する。

「おかえりなさいませ。ルカ様。丁度よいところに」

「ん? 書類ではないのかしら」

「いえ、私信ですので違うと思われます――シズマ様から」

「お父様からのお手紙?」

 少しだけルカは声を弾ませながら、リヒトから手紙を受け取り、開封し始める。ステラは微笑ましく見守りながら、リヒトに小声で訊ねる。

「団長――お父様のことが、大好きなのですね」

「ええ、ルカ様は昔からお父様っ子で。昔、荷物に入り込んで、団長について行ったことが――」

「リヒト? 余計なことを言わなくていいの」

「これは失礼致しました」

 ルカに釘を刺されて、頭を下げるリヒト。だが、にこにことしながら、ステラの方を振り返って悪戯っぽくウィンクする。

「この続きは、またお手伝いしていただいたときにでも」

「じゃあ、また今度、芋剥きの手伝い、致しますね」

「ちょっと、二人とも……っ!」

 頬を膨らませながら、ルカは怒ってみせる。だけど、その目は仕方なさそうに笑っていて。ステラと目が合うと、二人は自然と笑みこぼれる。

「――それで、ルカ様、お手紙の内容は?」

 リヒトが確認するように訊ねると、ルカは視線を向けて微笑む。

「お父様が、お帰りになるという旨よ。一週間後らしいわ」

「左様ですか、お忙しいのによくぞ……」

 少し驚いたように目を見開くリヒト。その一方で、ステラも微妙に顔を引きつらせる。

「ちなみに、それは視察……とか?」

「大丈夫よ。ステラ。視察じゃなくて、単なる里帰りよ」

 ルカは微笑みながら告げると、二人に視線を移して言葉を続ける。

「とはいえ、正規の領主がお戻りになられるわけだし――精一杯のおもてなしの準備をしましょう。リヒト、ステラ、協力して頂戴」

「御意にございます」

「わ、分かりました……!」

 リヒトは柔和に応えるが、ステラはそうもいかない、緊張しながら応える。

(ここでシズマ団長の機嫌を損ねたら……ここから、追い出されるかも……!)

 一難去って、また一難――身構えるステラを、ルカはおかしそうにくすくす笑いながら見守っていた。

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