11. ウインドウ

 乾いた音とともに、目の前の巨体が床に倒れていった。

 光司の視界には返り血を浴びた手に持ったショットガンと、至る所から血を流れさせて横たわっているゾンビが映っている。

 今一度自分の持っている銃と、ゾンビを交互に見た。

 俺が撃ったのか?俺が殺したのか?俺が―

 そう考えた瞬間、とてつもないほどの吐き気が腹の中からこみ上げてきた。

 思わず嗚咽を漏らして、銃を落としてしまう。甲高い音がリビング中に鳴る。

 口に手を当てたまま、その場から急いでトイレへと駆け出していく。


「コウジ!」


 ジャッキーが彼の後ろ姿を見て、呼び掛けるが聞こえていないのかそのままリビングから出て行ってしまう。

 床に転がり落ちたショットガンを拾い上げたジャッキーは銃口に付いた赤い血とゾンビを見やる。


「……無理もないか」


 どたどたと大きな足音を立てて、光司は勢いよくトイレのドアを開いて、便器の中にためらわずに顔を突っ込んでこみ上げてきたものを吐き出した。

 顔を上げることもできず、目を開けることもできなかった。

 まだ手にじんわりと残る銃を撃った時の余韻が、彼をそこから動かさなかった。

 トイレの窓から聞こえてくる雨の音を遮断して、代わりに聞こえてくるのはゾンビの唸り声だった。

 撃った後に聞こえてきた断末魔のように悲痛な声。それが耳の中で延々と再生されて一向に鳴りやまない。

 やがて自分の目に、ゾンビの姿が浮かんでくる。

 これはゲームの世界だ。そうゲームの世界。なのになんでこんなにも俺の手には嫌な感触が残っているんだ。俺は本当にゾンビを殺したのか?……いや、俺が本当に殺したのは―

 続きが脳裏にちらつくと、また吐き気がこみ上げてきた。

 止まらない嘔吐に喉が焼けるような感覚が襲い掛かる。


「何で……何で……」


 何で俺がこんな目にあわなきゃならないんだ。

 ぺたぺたと這うような足音を鳴らして光司はリビングに戻った。

 リビングではまだあのゾンビが横たわっている。

 気持ち悪さがぶり返してきた光司だったが、ジャッキーがすかさずソファに敷かれていた毛布をゾンビに被せて全身を覆って隠した。


「コウジはこういうの慣れてない?」


 ジャッキーが光司に背中を向けて話しかける。

 こみ上げてきたものを飲み込んで、彼は一息ついて答えた。


「......はい」

「そう......」


 ジャッキーは光司の返事を聞いて、おもむろにショットガンにまとわりついた血を拭き取った。まだ臭いが残るショットガンを彼に差し出す。


「持っていなさい」

「え?」


 ジャッキーが強く光司にショットガンを差し向ける。

 窓からの光が反射して艶やかに輝く銃を、彼は怖がるように見て、ゆっくり後退る。

 だがジャッキーも追いかけるように銃を突き出す。


「......持ちたくありません」

「ダメよ、持っていなさい」

「嫌です!!僕は―」


 言葉を待たずに、ジャッキーは光司の手にショットガンを握らせる


「気持ちは分かるわ。でもね、これはあなたが持っていなさい」


 ショットガンの重みが光司の手に再びのしかかる。その時また彼の頭にゾンビを撃った光景が脳裏に浮かぶ。手は震えて、撃った後の感触がじんわりと手の平に広がるように蘇っていく。

 息が荒くなって、全身から汗が出てきて持っていた銃が湿っていくのが分かる。

 怖い。銃を持つこと、そして何よりも原型を留めてはいないにしても人を撃ってしまったこと。その全ての要素が彼の体の中を駆け巡って全身の筋肉を緊張させる。

 ジャッキーは光司の様子を見て、銃を持った手を上からそっと握りしめる。

 握られた手に暖かい感触を感じて、光司は顔を上げる。


「コウジ、恐れないで。辛いかもしれない、怖いかもしれない。でも、あなたの身はあなたが守らなきゃいけないわ」


 ジャッキーの眼はじっと光司を見ている。その眼は空のような澄み渡った青色で一つの曇りも見られなかった。瞬きも忘れるくらいに視線は動かず、彼を離さずに捉えていた。

 その瞳に吸い込まれるように、光司もジャッキーの眼を逸らすことなく見つめた。

 視線が交じわって重なった二人の間には、もはや雨の音さえ聞こえていなかった。

 安心する。何故だか落ち着いてきた。

 体の隅々まで、彼女の手の暖かさが染みわたってくる。

 あんなに怖く震えていた手も、やがて止まってきた。

 長い沈黙を破って、光司が口を開いた。


「……それでも僕は怖いんです。持ちたくない。僕は……人を殺してしまった」


 これはゲームの世界。だけど撃った時の衝撃。耳に入ってきた叫び声。そして少なからず自分の手に飛んできた血の生温かさ。どれもがこれは現実だと、本物だと嫌というほど彼に伝えてきた。

 だが、それを振り払うようにジャッキーは一段と力を強めて彼の手をもう一度握りなおす。


「撃たなかったら、あなたは死んでいたわ。私も一緒にね。コウジ、あなたは私を救ってくれたのよ」


 ジャッキーの口元が微かに緩んだ。その言葉を聞いて光司は胸につかえていたものが、無くなっていく感覚になった。


「コウジ、私も一緒にいるわ。あなたは一人じゃないのよ」


 その時、光司の視界はぼやけた。目元には涙が溜まっていた。

 ハッキリしない視界で、ジャッキーの姿が滲んで見える。

 そして彼は思った。帰りたいと。


「……ありがとうございます」


 不意に出た言葉に、ジャッキーは握っていた手を光司の頭に置いた。

 そして優しく撫で始めた。頭を撫でられるなんていつ以来だろう。

 不思議な心地よさが光司を、不安から解放した。


「そんなお礼を言われことはしてないわよ」


 光司は留めていた涙を一気に流れさせた。顔が熱くなって少し赤らんでくる。

 一人で雨の中歩いて、ゾンビに襲われて、しまいには撃ち殺した。

 とてつもない罪悪感と孤独感を、彼女は両手と言葉で和らいでくれた。

 まさかゲームのキャラクターにこんなことを言われるとは夢にも思わなかった。

 でも、すごく安心する。こんなにも暖かい気持ちになるなんて。

 光司が袖で涙を拭くと、目の前におかしなものが映った。


「……何だ?」


 少しぼやけた視界が徐々にハッキリとなると、それはゲームでよく見るお知らせバーみたいなものだった。

 そこにこう書かれていた。


『ラウルヒストリー  チュートリアル クリア』


 ……チュートリアル?今までのが全部チュートリアル?

 光司はそれを見るやうろたえた。


「どうしたの?」

「ジャッキー、何か浮かんでるんだけど」


 ジャッキーは周りを見渡したが、彼女の眼には映っていないようで首をかしげた。


「……何もないけど。ちょっと怖いこと言わないでよ」


 彼女には見えていなかった。光司に緊張が走る。

 これはやはりゲームの中なのか?だが嫌というほどリアルな感触を味わった。では現実じゃないのか?でも―

 光司は様々な考えを巡らせた。そして一つの疑問が浮かび上がる。

 なぜ俺にこれが見える?これじゃ、これじゃまるで―

 光司の喉がごくりと鳴った。

 俺がこのゲームの主人公みたいじゃないか―


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T.P.P 采岡志苑 @han3pen

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