第27話 作家の添削と人事話

 「ある養護施設元保母の手記」をお読みください。

 この場面で配られた手記で、それをもとに話が進みます。


 「米河先生・・・、あ、申し訳ありません、米河さん、おいかがでしょうか?」

 自称三文文士の米河氏が読み終わったのを見計らって、元保母が尋ねた。

 「下山さん、最後の部分、英一君と中元先生とのお別れと、その後のことを書かれている部分だけ、ですます調にされていますね」


 確かに下山女史のこの文章、後半のぎりぎりまで、それまでの経緯を淡々と描いているだけで、あまり具体的な記述はない。

 しかし、英一少年の荷物を日高指導員と一緒に応接室まで運んでいくところになって、ようやく会話が出てくる。その会話というのがまた、職員同士というよりも、たまたま同じ職場で知合った同世代の若い男女の会話と言ってもいいもの。それまでとのギャップが何とも言えない。そして、その会話が終ったあとは、それまでの「だ・である調」とは打って変わって、「ですます調」になっている。

 そこで読み手は、一気に「現実」へと戻されていく。


 「ええ、この部分も、ですます調でない方がよかったかと、思いましたけど・・・」

 「いや、直すのはもったいない。むしろこれで行くべきです」

 「しかし、学校の作文では、どちらかに統一しなさいって言われますよね」

 米河氏のその点についての回答は、こうだ。


 学校作文であれば、確かに、そういう指導はされます。私は稲田先生と面識はありませんが、生活体験文を公民館でも指導されていた稲田先生なら、そこは指摘されたでしょう。ですが、これは私小説と言ってもいい「作品」です。そんなことは、大した問題ではありません。

 私はね、最後のお別れとその後の部分、それまでの常体から敬体、いわゆる「ですます調」になっているからこそ、それまでの内容が引締まる印象を持ちました。文章を書く手法として、これは十分「あり」ですよ。私らが小説を書くときは、文体がどうとか何とかは、こちらで決めればいいことなのです。

 ただ、稲田先生の生活体験文の本を拝読したところ、敬体でばかり書いていると常体、つまり「だ・である調」で書きにくくなるから、常体で普段から書くことを勧められています。それなら、時と場合に応じて敬体、つまり「ですます調」でも書けるからだというのが、その理由です。それについては、私も稲田先生のご意見に賛成です。

 あまりにデタラメで何が言いたいのやらという文章はいかがなものかと思いますけど、そんな文章だって、場合によってはそれが一つの「味」になることさえありますよ。少なくとも、この文章では敬体と常体の使い方に一定の法則が見られますから、そんなことは、問題にはなりません。むしろ、最後の部分の「ですます調」が、しっかりとした「味」になっているように見受けられますね。


 下山女史の作品の感想を居合わせた男性たちが述べあっているうちに、時計の針は17時を幾分回った。大将の携帯電話に、電話が入った。少し早めに出たので、あと30分もすれば到着すると、息子から連絡があったとのこと。


 「あ、今日は、うちの上の息子の英一と、それから、下の息子の真二も参りますので、もうしばらく、お待ちください」

 こんどは、息子らの元担任の古賀氏が、中学時代の彼らの話を始めた。


 私は、英一君と真二君、二人ともK中学で担任をしました。英一君が中3のときにK中学に赴任してすぐ、中3の学年団に配属されて、彼のクラス担任になりました。彼は野球部に入っていました。

 こちらにおられる日高先生からくすのき学園の児童指導員をされていた頃の話を聞かされた時に、彼の子どもの頃の話をお聞きしまして、あの元気のいい小田君が子どもの頃そんなことがあったというのは、ちょっと、信じられませんでした。彼が卒業後、私は中1の担当になり、そこで今度は弟の真二君の担任になりました。その後持ち上がりで3年間、彼の学年を担当しました。彼もまた、元気のいい子でね、サッカー部にいました。とにかく、兄弟そろって元気のいい子でして、行事ともなれば、先頭に立ってクラスを引っ張っていくような子たちでした。真二君はともかく、英一君が幼い頃養護施設にいたというのは、それだけに、私にはびっくりでした。

 お二人とも、県立の普通科高校に入れるだけの学力はありました。

 どちらも、総合選抜時代の高校入試で近隣のI高校に進学して、大学も現役でO大です。英一君は経済学部、真二君は法学部だと伺っています。卒業後は、英一君はO県庁に採用されてこの方、教育庁に配属されています。真二君は、少し時間がかかりましたが司法試験に合格して、現在は大阪で弁護士をしています。


 「そうですか。古賀先生、あの子たち、そんなに立派になりましたかな」

 「ええ、日高先生。彼らとは時々連絡を取合っていますし、第一、親父さんのこの店によく来ておりますからな」

 元校長同士の会話に、元保母の老婦人が加わった。

 「あの英一君が、そこまで、立派になられていたとは・・・。実は私、県立図書館には本を借りによく参りますけど、まさか、あそこにあの子が、いえいえ、小田英一さんという職員さんがおられるとは、夢にも思っていませんでした・・・」


 彼女の言葉に素早く反応したのは、作家の米河氏だった。

 「小田英一さんは、確か、O県立図書館の副参事クラスです。何で私がそのことを知っているかと言いますと、実は、小田さんの元同僚で上司でもある元原創一さんという方がおられまして、その方と話していて、存じ上げた次第です。お会いしたことはないですけどね。小田さんも元原さんも経済学部で、学年は元原さんのほうが一回り近く上です。お二人とも、窓口業務などをする人たちではありませんから、そりゃあ、わかりません、って。確かに職員は名札をつけてはおりますけど、そこまで注意して見たりはされないですよね、相手が知人か、余程のことでもあったなら、話は別ですけど・・・」

 「真二君はともかく、意外に近いところに、英一君は、いたのですね・・・」


 老婦人の驚きに配慮しつつ、古賀氏が米河氏に問いかける。

 「そのようですね。ところで、米河さん、あなたはなぜ、元原君をご存じなの?」

 古賀氏は、教育事務所で元原氏と同僚だった時期があるという。

 「学生時代、というか、私は、小5の年からO大の鉄道研究会に通っておりまして、元原さんはうちのサークルと交流のあった美少女アニメ研究会の会長をされていましてね、それで、知合いました。私より2学年上の経済学部出身で某鉄道会社に就職された河西さんという方がおりまして、その方とよく、大学裏にあった元原さんの下宿、確か、毎日荘33号室でしたけど、そこによく行っておりまして、それでよく存じております」

 「そうかな。ところで、米河さん、鉄道研究会、鉄研と言うらしいけど、あなたはひょっと、大道秀法君という人物も、知っておられるか?」

 「ええ、よく存じています。あの方は、私が中2のときに現役で教育学部に入られた方で、中学から高校にかけて、ものすごくお世話になりました。最近はお会いしていませんが、O県教委でかなり偉くなられていますね」

 「彼とも同僚だった時期があるが、若い頃からバランスの取れた優秀な人物だったよ」

 「ですよね。大学時代から、そういうところがありました、あの方は・・・」

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