第15話 生身の愛へ8 同居、そして結婚へ

 翌日から私は、叔母の家に住込み、伯父の会社の仕事に就きました。叔母宅は農家でしたので、繁忙期には、農作業の手伝いもしました。東京の伯父はともかく、倉敷の大工の伯父一家、それに叔母夫婦で、揃って田植えや稲刈りなどをするのが恒例でした。その年の田植えは、私の親族だけでなく、愛ちゃんの親族も手伝いに来てくれました。その代わり、私たちも県北の愛ちゃんの実家の田植えや稲刈りを手伝いに行きました。


 叔母夫婦の実家ですが、かつてイ草を栽培していた頃は、夏場ともなると大変だったようです。四国方面から職人さんが泊り込みで来て、それに加えて大学生や高校生などのアルバイトを何人か雇い、朝から刈取りをしていました。叔母夫婦の話では、その頃の夏は本当に忙しかったと言います。

 しかし私が中学を出て働き始めた頃には、すでにイ草の生産はしなくなっていました。日本人の畳離れが少しずつ進んでいたことと、海外からの安いイ草が入ってきたこと、それに加えて、イ草農家も職人も高齢化し、担い手がいなくなってきたことがその理由でした。

 叔母夫婦の家はかつて、専業農家でした。しかし、コメの減反政策や生産調整のあおりを受け、また、本人たちもいつまでも農業をしているわけにはいかないという思いもあったため、農地を少しずつ宅地に替え、アパートや住宅を建設して入居者を募り、家賃収入を主たる生活の糧へと変えていきました。


 私は、その年早速、岡山市内のS高校の通信制過程に入学し、毎週日曜日、スクーリングに通いました。

 S高校は岡山の名門高校の一つで、A高校と並ぶ歴史と伝統、それに進学実績のある普通科高校です。しかし、S高校は進学校としての機能のほかに、もう2つの機能を持っていました。その一つが、私が通った通信制高校としての機能。もう一つ、5年制の看護科も設置されていました。

 看護科は後に廃止されましたが、通信制過程は、今もありますよね。通信制過程とはいえ、ここを卒業すれば、晴れて「S高校卒」という資格が得られるわけです。

 毎週日曜日にスクーリングに通い、レポートもきちんと出しました。いろいろな人と出会えました。本当に楽しい4年間でした。


  伯父の会社の仕事は、大工だけではありませんでした。叔母夫婦が持っている土地に建てたアパートにはじまり、賃貸不動産の管理業務も、会社の仕事に入ってきました。大工の仕事よりむしろ、賃貸物件の管理や不動産の売買などの仕事が、やがて中心になっていきました。

 私の仕事も、事務所での経理や不動産の営業がらみの仕事が多くなったため、「三宅建設不動産部」という名刺を作って動くことが多くなりました。

 今では不動産のほうが仕事の中心ですが、登記簿上の会社名は今も有限会社三宅建設のままです。代表者が、伯父から私に代わったくらいですな。

 中学を出てすぐ、ちゃんとした格好をしろと言われて、伯父に金を出してもらい、背広を買いました。人にそんなもの買わせて着させる割には、初めて背広を着て会社に出たら、伯父に、「馬子にも衣裳だな」と言われて、年上の先輩たちに大笑いされました。その日はちょうど、キャンディーズの解散コンサートが後楽園球場で開かれた翌日、1978年4月5日でした。


 愛子先生は、子どもたちのために、毎日、一所懸命に保育園で働いていました。養護施設の頃のように朝も夜もない仕事から解放されて、楽になったと言っていました。

 くすのき学園に残っている愛美には、ひと月に一度のペースで、面会に行きました。愛美にも稲田園長や他の職員に対しても、愛子先生のことは一切話しませんでした。

 さすがにくすのき学園を出てすぐにというわけにはいきませんでしたが、半年ほど経った頃、伯父の勧めもあって、結局、私が愛ちゃんのアパートに行って一緒に住むことになりました。


 実はそのアパート、私の伯父の知人が所有していたもので、愛ちゃんがくすのき学園を辞めて新居を探しているとき、伯父経由で紹介されて契約したものでした。そんなわけで、私が愛ちゃんと同居すると言っても、大家さんは怒るどころかお喜びで、君は今まで何をしていたのかと、軽くたしなめられたほどでした。


 愛ちゃんと同居を始めてすぐ、私たちは法的にはともかく、生物としては一組のつがいになりました。私にとってはもちろん、初めての女性でした。最初の子が生まれたのは、それから5年後、私が21歳の年でした。


 私の誕生日は4月3日でして、あの鉄人の金本選手と一緒なのです。私のほうが、金本さんよりは6歳ほど年長になりますけどね。私が満18歳を迎えた翌日、ちょうど、キャンディーズが解散して2年目の昭和55年、1980年の4月4日に、私と愛ちゃんは、揃って倉敷市役所で婚姻届を提出しました。

 別に気にしていたわけではありませんが、この日は友引。葬式ならいざ知らず、結婚の日には、これ以上ない日のように思えました。

 

 プロポーズですか?

 名誉のために申上げます。私が、しました。

 

 そうそう、太郎さんがたまきさんに、××ラジオの昼の番組で公開プロポーズされた日、私ね、たまたま、クルマのラジオで聞いていました。あなた方の番組、昼の楽しみでよく聞いていますからね、当時から。

 たまきさんが太郎さんに、「未来の花嫁」って、松田聖子の歌をリクエストしたでしょ、あれが終って、太郎さんがプロポーズして、たまきさんが太郎さんのプロポーズを受けたときは、これはもう、クルマを運転している場合じゃないと思ってね、近くのコンビニの駐車場にクルマを停めて、仕事中でしたけど、じっくり聞かせてもらいました。あれは、感動しましたよ。


 でも、私たちの場合は、確かにあなた方同様、すでに何年か同居していたというのもありましたが、あっさりしたものでした。

 私が満18歳の誕生日を迎えたら入籍する話になっていましたからね。婚姻届を出す前の日曜日に、自宅で、私から愛ちゃんに、お願いしますと言いました。愛ちゃんは、これからもどうぞよろしく、と、たったそれだけ。あとは淡々と婚姻届を作成して、法定代理人の伯父の署名などをもらって来る提出日に備えました。

 それから、近くのレストランで軽く食事をしました。特に酒も飲んでいません。

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