第13話 理念の愛から生身の愛へ6 ~ 晴天の霹靂

 「私はその年度末、昭和53年3月末で、くすのき学園を退職しました。4月からは、稲田園長の紹介で、倉敷市内の保育園に勤めることになりました。同じ日に、義男君はくすのき学園を去って、叔母夫婦の家に住込んで、伯父の会社で働きはじめました」

 「でも、その「布団事件」があってから、1か月以上もありましたよね。その間は、特に何かなかったのですか?」

 「ええ。特に接触はありませんでした。ただし、くすのき学園内では、ね」

 ぼくの疑問を受け、その間のことを、今度は義男さんが話してくださった。


 愛子先生がぼくの布団の中に入ってきたなんて、まったく気づきませんでしたよ。もしあの頃、そんな気が少しでもあったら、ぼくのほうが行っているに決まっています。結婚後に酒の席でその話になって、会社の先輩に、おまえ、据え膳喰わぬは男の恥だな、とか言われましたけど、爆睡していて据え膳も上げ膳もないですよ、そんなもの。

 あの件ですけど、私は、その日の夕方学校から帰ってきたところで、稲田園長に呼ばれて、園長室で話しました。


 「義男、昨日、合田先生が夜中におまえさんの寝とる布団の中に入ってきたそうだな」

 「ええぇ!」

 青天の霹靂とは、まさにこのこと。何のことだか、さっぱりわかりませんでした。


 「合田先生がぼくの布団の中に入ってきたってぇ?! いつ頃の話か、かえってこちらが教えて欲しいぐらいじゃ、何なら、それ?」

 「そうびっくりするなって。昨日の夜、12時過ぎの話じゃ」

 「びっくりするなとか、言われる方が無理じゃ!」

 「それもそうじゃな。まあ、そう言わずに話してくれるか」

 「昨日は消灯前に寝込んで、朝の6時まで、まったく目が覚めませんでしたよ。大体、昨日はやたら、学校で忙しかったですからね。帰ったら帰ったで、何やらバタバタしていたし。そんな状態で夜中に起き出して、何をしろというのですか」

 「本当に、何も気づかなかったのか?」

 「しつこいな、あれだけ爆睡して、気が付くわけもないじゃろうが」

 「そうか・・・。ところで義男、おまえ、合田先生のことが好きなのか?」

 「別に・・・」


 後に稲田先生がおっしゃるには、そのときの私の顔、いくらか赤みを帯びていたようですけど、そんなことを言われても、何とも答えようがなかった。もし、合田愛子さんという8歳も年上の女の人を好きになったとしても、ぼくのような中学生、まともに相手にされるかな? って、思っていた。

 そうそう、大宮さんご夫妻の番組、よく聞かせていただいていますけど、太郎さんだってそうでしょ、たまきさんが年上だから好きになったわけ? そうでもないでしょ。

 あなた方は、年の差1つだけだから、どちらが年上だと言ってみたところで、たいしたことないでしょうけど、こちとら、あなた、8歳も差があって、しかも、私は中学生ですよ。しっかし、稲田のじいさん、いつもは堅物なのに、あの日は、そうでもないことを言ってきました。今思えば、稲田先生の別の顔を見せてもらったような気がしますがね。


 「義男、もし、合田先生に迫られたら、結婚するか?」

 「そんなこと聞かれても、困る。中学生のうちから、結婚なんか、考えられるか。それとも何? 中3になったら結婚について考えないといけない法律でもできたのか?」

 稲田園長は、私の答えに苦笑しながら、話を続けました。

 「まあ待て、これはあくまで、仮定の話じゃ。おまえがもし、早いうちに結婚したら、どうなるかなと、思って、な。生活も気持ちも落着いて、妹の愛美もええように導いて、幸せな生活を送れるのではないかなぁと、わしゃ、思うたんじゃ」

 「その相手が、合田先生かいな?」

 「そう噛みつきなさんな、ブラッシーでもあるまいし。義男は今15歳、合田先生は23歳か。おまえが50歳になったら、合田先生は58歳。そのくらいの年の差なんか、気にならんようになっとるじゃろう。その頃には、私は間違いなくこの世にはおらん。もっとも、年金の受取とか何とか、そういうことで気にせにゃいけんときもあるけど、先の話じゃ。でもな、20歳を超えたら、時が経つのは速いぞ・・・。わしも、そうじゃった。師範学校を出るまでは、1年がホントに長かった。でも、教師になった途端、時が経つのが速くなった。幸いにも、私は徴兵されず、戦争にも行かずに済んだ。戦前も、戦時中も、戦後も、ずっと、教師として小学生を教えてきた。毎年、同じ時期に同じことの繰り返しになったからな。変化がなかったとは、あえて言わん。そのうち教頭になり、校長になって、退職した。その間、結婚もしたし、子どももできた。今は孫もおる。でも、あっという間じゃ、過ぎてしまえば・・・」


 数年前、初めて孫ができたとき、稲田先生のこの時の言葉を思い出しました。確かに、20歳を過ぎたあたりから、時が経つのはものすごく速くなった気がしました。1週間や1か月程度の期間が長く感じることは、時々あります。それでも、長い目で見てみれば、やっぱり、時が経つのは、確かに、速くなっています。


 「ところで園長先生、さっきから聞いていて、一体全体、何が何だかさっぱりわからん。結局、何を言いたいのさ・・・」

 「すまんな、昨日の話は分かったから、これでええ。じゃあ、帰っていいから」


 私は、園長室から出て自分の部屋に帰りました。同室の子らに何があったのかと聞かれましたが、中学を出てからの話をいくらかしてきただけだと言いました。昨日の布団事件は、結局、他の子どもたちには知られないままで済みました。あの話は、他の子たちには一切話していませんし、知っているのも、私と愛子先生と、あとは稲田園長、それに、何人かの保母だけです。職員のすべてが知るところとならなかったのは、不幸中の幸いだった。まして、思春期に差し掛かりかけた妹までいましたからね。


 結局、私も愛子先生も、キャンディーズの解散が4日後に迫った1978年の3月末日をもって、それぞれ、くすのき学園を退所、あるいは退職していきました。愛子先生は保育園の近くのアパートに、それから私は、叔母夫婦の家へと移っていきました。

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