第12話 理念の愛から生身の愛へ5 ~添い寝の代償

 そのうちに、2月になりました。最後の期末テストも終わりましたので、高校受験のない義男君が、夜遅くまで勉強することはなくなりました。2月の半ばごろの宿直の日でした。私は、夜の0時過ぎ、見回りに出ました。中学生の部屋に行くと、入口付近で、義男君が寝ていました。私はそっと彼の布団に入り、しばらくの間、彼に寄り添いました。

 彼と、もうすぐお別れかと思うと、切なくて、切なくて。

 布団に入っていたのは、30分ぐらいだったと思います。

 私はそっと、布団を整えて、彼の部屋を出ました。

 みんな、寝静まっていました。

 この日の宿直もまた、各務先生と一緒でした。

 「合田さん、あなた、目に何か入っている?」

 「え? 何も・・・」

 「涙か汗かわからないけど、目にゴミでも入っているのかと・・・」

 「大丈夫です」

 「寝る前に、顔をいったん洗っていらっしゃいよ」

 言われたとおり、私はトイレの洗面台で顔を洗って、汗とも涙ともつかぬものを洗い流して、各務先生とともに、仮眠をとりました。


 それから2日後、朝礼が終ったところで、私は園長室に呼ばれました。

 「困ったことが、起きましてね」

 「え?」

 「あなたに関することです」

 多分、あの事だろうと思いました。

 「はい・・・」

 「まず、事実を確認します。あなたは一昨日、宿直の業務に入っていましたね」

 「はい」

 「一緒に勤務されたのは?」

 「各務先生でした」

 「あなたは、24時の定期見回りの時間に、義男君たちの部屋を通りましたか?」

 「はい」

 「その部屋の中に、入りましたか?」

 「はい・・・」

 やっぱり・・・。自分でも、声が上ずりかけているのがわかりました。

 「あなたが、部屋の入口付近で寝ていた義男君の布団の中に入ったという情報が、昨日、私のもとに入ってきました」

 「・・・」

 「各務先生は、その時間は見回りの担当ではなかった。だから当然、あなたの見回りのあとをつけたりもしておりません。ですが・・・」

 「・・・」

 「たまたま、隣の小学生の部屋に忘れ物をした、担当保母の江川先生が、あなたが義男君の部屋に入るのを見たそうです。部屋に入るのは、見回りという業務で必要なこともありましょうから、この際その善悪は問いません。しかしですよ、よりによって中学生の男子が寝ている布団の中に入って添い寝をするとは、どういうことですか?」

 「・・・」

 「これが幼児か小学生でも低学年ならまだしも、中学も3年生の男の子ですよ、相手は。布団の中に入って、彼に何かしたのですか?」

 「いえ、何もしていません。彼は、寝入っていましたから。それに、他の子たちも寝ている中で・・・」

 「そうでしょうね。あなたは確かに、彼に何らかの肉体的な接触は、していないでしょう。江川さんも、ここで騒ぎを起こしたらまずいと思って、そっと立ち去ったようです。それから、見回りにしては、少しばかり時間がかかっていたようだと、各務さんからも言われました。あなたは各務さんには、特に問題はなかったと報告されたそうですが、本当に、あの日は、異状はなかったのですね」

 「ありませんでした」

 「それはいいでしょう。ところであなたは、義男の布団の中に、どのくらいの時間、入っていたのですか?」

 「30分ぐらいです」

 「どうして、男子中学生の布団の中に、30分も入っていたのですか? というより、そもそも、彼の布団に入らなければいけない必然性が、何かあったのですか?」

 「・・・」

 「答えは、求めません。求めるだけ、野暮というものです。義男には昨晩、事情を聴きました。彼は、あなたが布団に入ってきたことなど、まったく気づかなかったそうです。あの日の昼は色々疲れることばかりで、ぐったりしていたから、気持ちよく寝入っていたそうです。彼とあなたが何か申し合せて同衾(どうきん)したという証拠はまったくありませんから、あなたや義男になにがしかの処分を与えるつもりもありません」


 そこからが、大変でした。

 「さて、本題に入ります。あなたは、三宅義男君が好きなのですね」

 「・・・はい。・・・」

 「そうですか・・・。いくらあなたの上司であるとはいえ、私はあなたのその気持ちについて、否定したり、茶化したりするつもりはありません。しかしながら、ここは、養護施設です。きれいごとかもしれないが、ここにいる子どもたちの「家」です。あなたは、その家の子どもたちの親代わりともなるべき「職員」です。わかりますよね」

 「はい、わかります・・・」

「あなたは、確かに、義男君に対して「愛情」を持っていますね」

 「ええ・・・」

 「その「愛情」というのは、どういう性質のものですか?」

 「・・・」

 「私が見る限り、その愛情というのは、施設職員の児童に対するモノではなく、女としての、男に対するモノと思われます。異議は、ありませんか?」

 「・・・私はただ・・・」

 「ただ、何です?」

 「これまで共に過ごしてきた義男君と、この春にもお別れするのが、切なくて、辛かったのです。せめて、ほんのちょっとでも、彼と・・・」

 しばらく沈黙が続いた後、稲田園長は、静かに話し始めました。

 

 年寄りの繰り言、少しだけ、聞いてください。

 私は60年以上、生きてきました。

 小学校の教師として、様々な人たちに出会ってきました。

 師範学校の同級生や、彼らや勤務先で出会った教師の皆さんを通じて知合った先生方の中には、そう多くはありませんが、教え子と結婚した人もいます。たいていは、男性の教師が女子の教え子と結婚するパターンでした。

 その逆も、稀ではありますが、ないわけではありません。ある高校の女性教師と、その教え子の男性が結婚したという例も、1件だけですが、私も知っています。先生のほうが、5歳年上でした。男子生徒が高3のときの、新任の美術の先生でした。

 学校内で恋愛沙汰を起こして騒動を起こした人は、少なくとも私の周りにはいませんが、学校内でそのような話になるのは、別れ話がこじれたか、さもなければ、どちらか、とりわけ女子生徒の家族が問題視して発覚した挙句に、揉めるというパターンが多かったようです。

 同僚だった複数の先生方から、様々な事例を伺っていますが、ここでは述べません。

 ところで、合田先生のされていることですけれども、これは、養護施設という職場内で、恋愛沙汰という騒動を起こしている以外の何物でもありません。

 三宅義男君に今後接触するなとは言いませんし、くすのき学園外のことについては、私はそれを止める権限はありません。ですが、このような事実が施設内で表ざたになった以上、あなたに引続きここで勤務していただくわけには参りません。今年度末をもって、くすのき学園を退職してください。


 私は、反射的に稲田園長に懇願していました。

 「退職しても、仕事がありません。続けさせていただけませんか・・・」

 園長は、何かを考えているようでした。

 「ちょっと待っていてください」

 「はい・・・」


 稲田園長は、事務室から紙とボールペン、それに封筒一通を持ってきました。

 「合田愛子さん、退職願をお書き願います」

 「もし書かなければ・・・」

 「本日をもって、懲戒解職とせざるを得ません。あなたが解雇無効の裁判を起こして争って、仮に勝訴したとしても、失うもののほうが大きいはずです。正直な話、くすのき学園も去ることながら、児童相談所も対応に苦慮するでしょう。下手をすれば、県議会などでも問題にされ、新聞などで大きく騒がれます。週刊誌だって、とんでもない記事の一つや二つ、書くかもしれません。私はそれで園長職を失ったとしても、今さらどうということはありませんが、子どもたちの将来や、他の職員の皆さんの雇用などにも、大きな影響が出ます。それを、私は何よりも避けたい。ですから、御自身で退職の意思表示を、今、ここでしていただきたい。そうすれば、わずかでも退職金は出ますし、再就職に差し障ることもありません。保母の資格を活かして仕事をされたいのでしたら、保育園を中心に、私が再就職先を探して差し上げましょう。紹介状も、書いてあげます」


 「施設職員は施設の子を愛するというが、それは生身の伴わない、理念の愛である。(引用:著書名は冒頭の紹介文を参照)」


 稲田園長は後に、「お正月の紳士」という題名の本を出版されました。これは、その中の一節です。私のことをG保母、義男君を初男として、あの時のことを赤裸々に書かれています。個人が特定されないようデフォルメされていますけどね。この日を境に、私の義男君への「愛」は、生身の伴わない「理念の愛」から、「生身の愛」へと、大きく変わっていきました。確かにその「愛」は、くすのき学園という施設内では、許されるものではなかった。しかし、一歩施設の「外」に出てしまうと、そんなことは関係なくなります。

 私は、もう、そこに賭けるしかありませんでした。


 あとは、義男君が私のことをどう思っているか。

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