#34 夢の賞味期限

おにヶ島しま詩乃しのから、辰巳たつみ家の話をしたお返しとして何を質問しても構わないと言われ、僕はしばらく考えを巡らせた。


僕は詩乃に関しては、正直言って彼女が自宅にいるときの言動しか知らない。


そして、それ以外の場で彼女はどのようにふるまっているのか、まるで想像がつかないことに気がついた。


たとえば学校では、あるいは外出時、彼女はどんな感じなのか全然分からない。


そこで、こんな疑問をぶつけることにした。


「じゃあ聞かせてもらうけど、きみは学校にいるときはどんな感じなんだい。


親しい友達とか、いるのかな?」


その問いを聞くと、詩乃は少したじろいたような表情を見せた。


ここでそういう表情を見せるとは。僕はいささか意外に感じた。


が、すぐにいつものクールな顔つきに戻ると、彼女はこう答えた。


「そうね、親しいかどうかというと微妙かもしれないけど、話をする友達くらいはいるわ」


「念のため聞いとくが、エア友達とか仮想バーチャル友達じゃないよな?


たまにそういうケースがあるからな、きょうびは」


僕は冗談めかして、そう言った。


詩乃はそれを聞くとちょっとだけ口を尖らせて、返事した。


「当たり前よ。わたし、部活だってやっているもの」


「そうか。お母さまに聞いたところでは、きみは表現部というのに参加しているんだっけ?」


詩乃は黙って、うなずいた。


「珍しいクラブ名だよな。ほかでは聞いたことがない。


そこって、一体どんなことをやるんだ?」


「もちろん、その名の通り『表現』をするということが目的なのだけど、何をやるかという『縛り』のないのが、そこの最大の特徴なの。


絵を描くのでもいいし、文章を書いてもいいし、アニメーションを作るというのでもOK。


もちろん、ダンスやパントマイム、楽器演奏みたいなパフォーマンスでもいいの。


部員それぞれが、やりたいことをやればいいのだけれど、ただ単独行動をするだけでは部活としての意義が乏しくなるし、発表の場も限られて来るから、ただひとつの縛りとして、必ず他のメンバーとコラボして表現をおこなうこと、そういうルールがあるのよ。


わたしはおもに文章を書いているんだけど、それとコラボしやすいといえばやはりイラストだから、出来れば絵師さんと組みたいんだけど……」


詩乃はそこでいったん、口をつぐんだ。


「残念だけど今のメンツだと、絵、それもキャラクターイラストの得意なひとがいないのよね。


だから、わたしの作品にはまだイラストが入っていないの。


今のところ、その代わりにわたしが詩のようなものを書いて、キーボードがうまいひとの演奏に合わせて朗読したり、あるいは弾き語りをするひとに歌詞を提供して曲を作ってもらったりしているわ。


それはそれで面白くて楽しい試みだったけれど、やっぱりいいイラストを描けるひとと組むのが一番の望みなの、わたしとしては」


「そこで、さっきのきみの話に出て来たイラストレーターさんの件につながるんだ」


詩乃はうなずいた。


そういうことか。詩乃はSSのアイデアを練るだけではなく、実際に部活で何かを書いていたんだな。


「文章以外には、何かやっていないの?」


「おもに文章を」という詩乃の言葉が少し気になっていたこともあり、僕は重ねて質問した。


「うーん、そうね、今話したシンガーソングライターさんには『歌詞を書くだけじゃなくて、自分でも歌ってみたら?』と勧められたのだけど、わたしはあまり歌には自信がないから、遠慮しておいたわ。


というのは昔、中学2年の頃だったかな、友達にフォークソング同好会を立ち上げた子がいて、彼女にせがまれて一時参加していたの。


ギターを弾いて、歌もうたったわ。


で、文化祭の時のステージをメンバーのひとりが録音していてくれたんだけれど、それを聴いてものすごくショックを受けたわ。


『わたしって、こんなヘンな声だったの?』って」


「その経験、僕もあるよ。初めて自分用のCDラジカセを買ってもらった時に、ほんの気まぐれで自分の声を録ってみたんだ。


それをプレイバックしたら、『あんた、誰?』みたいなみょうな声が流れてきたんで、思わずテープを止めちまった。そしてへこみまくったよ。


人間って自分の声を、耳だけでなく身体を通しても聞いているから、外のマイクでキャッチした声とは全然違って聞こえているんだよな」


「そうね。自分で把握しているのより、数段不鮮明で間抜けな声になるのよね。


あぁわたしはナルシシストになれるほど、完全無欠じゃないんだって思ったわ、その時。


それ以来わたしは前より少しだけ、謙虚になれたみたい」


「そうか。それはまぁいいことなんだろうけど、こと歌に関していうなら、あまり悲観的になることもないらしいよ。


プロのシンガーの歌だって、エコーをはじめとしていろんな音響補正をかけているからあれほど上手く聞こえるんだそうだ。


某ベテラン歌手とか、の歌を聞くとがっかりするようなケースも少なくないって、テレビでプロのキーボーディストが話してたよ」


「そうらしいわね。でもやっぱり、わたしは歌はパスかな。


自分より遥かにうまいひとの歌を聴いてしまうと、ダメ。わたしに出る幕はないと思ってしまう。


努力すれば追いつけるなんて、世間によくある楽観論は持てないひとなのよ、わたしは。


音楽の才能の有り無しって、ちょっと聴いていればすぐ分かるじゃない?


それこそ3分で判定出来るわ。


そして、0か100かぐらいに才能の差がはっきりと分かれるのが音楽。


だから、それ以降わたしは、音楽は聴いて楽しむだけにしてる。


でもそれに比べると、文章のほうはだいぶんグラデーションがかかっている気がするわ。


1から100まで100段階の才能があり、それぞれが許される、そんな感じ。


文豪とか名文家とよばれる人たちの文章を読むと、たしかに最上級の才能を感じるけど、わたしたち高校生ぐらいのひとが書いた文章だって、けっこう才能が感じられるものがあったりする。


現段階では50程度でも、伸びしろを感じさせるような才能。


だからわたしは、文章を書くことについては簡単にあきらめることなく、しつこくしがみついていくことにしたのよ。


もしかしたら、わたしにも多くの人々の心を捉えられるようなものが書けるんじゃないかと思ってね」


詩乃の言葉を聞いていて、僕は内心いたく共鳴するものがあった。


僕もまた、自分の絵の才能にはほぼ見切りをつけたものの、文章については自分にもまだ可能性があるんじゃないかと思うところがあったからだ。


ライト文芸サークルを辞めてからは、ほとんど何も書いていない僕ではあったが、決して書くことをあきらめたわけではなかった。


ただ、自分が何を書くべきか、何を書くのが本当の自分らしい表現になるのかという課題に、うまく答えを出せていないのだった。


「ふぅん、そういうことか。


文章を書くことについてのその考え方、僕もほぼ同意するよ。


誰か作家が言っていた言葉だけど『書くことは生きることだ』というのがある。


商業作家として認められ、成功するというのとはまったく別問題で、書くことはそのひとの人生そのものでもあるんだよ。


言うならば、書くことは巧拙に関係なくすべての人に与えられた権利。


文章表現は、その人の生存証明なのさ」


「ですよね」


詩乃も、わが意を得たりという表情で、僕に賛同してくれたのだった。


「ところで」 


僕は、話題を変えた。


「ギターも弾けるんだね、きみは。すごいな。


僕は音楽のほうはからきしダメなんで、うらやましいよ」


「いえ、弾けますと言えるくらい、大した腕前ではありませんよ。アルペジオが弾けるぐらいで。


フォークソング同好会に入ったときに、その友達に強く勧められて始めざるを得なかったというのが、本当のところです。


それまでわたしは楽器といえば、ピアノを習っていたことがありましたが、今ひとつ成果が出なかったんです。


わたしって才能ないな、このまま続けても目が出そうにないなと思い、小学校卒業を機に自分の意志で辞めました。


母はそれにはとても不満があったようですけどね。


娘を将来ピアニストにでもするつもりだったんでしょうか。


ですがそれは、たぶん無理です。


自分なりに分かります。


とはいえ辞めはしたものの、一応最低限の音楽の素養は身についたと思います。


ギターを始めた時も、それが少なからず役に立ちました。和声とか、譜面の読み方とか。


でも、今は弾き方をほとんど忘れちゃったかな。


わたしが買ったアコースティックギターも、今は音楽に興味を持つようになった弟のものになってます。


もっとも弟の場合、サッカーと同じで女子にモテたいからやっているんでしょうけど、フフフ」


そう言って、詩乃は軽く笑った。


「ギターは弟さんに譲っちゃったんだ。まぁ捨てるよりはいい活用法だけど」


僕がそう言うと詩乃は、ふと僕から視線をそらし、遠い目をしながらこうつぶやくのだった。


「そうやってひとつひとつ、多くの可能性というものに決着、ケリをつけていく作業が生きるってことなんでしょうね。


いろいろ試してみても、自分に本当にフィットするものなんて、10にひとつ、いや100にひとつぐらいだと思うんですよ。


ふつうはひとつ、多くてもふたつぐらいのことに収斂しゅうれんさせていき、それにもっぱら力を注ぐようになる。


これが大人になることなのだとわたしは思っているのですが、どうでしょうか、モブ先生」


再び真剣な眼差を向けてきた詩乃に、僕はこう答えた。


「その問題、正直言って僕は10代の頃は、きちんと突き詰めて考えたことがなかったよ。


今回僕よりずっと若いきみに言われて、『なるほど、そういうことだったのか』と思っているぐらいだ。


思えばきみも僕も、世間の平均から言えば、わりと器用に全科目の勉強をこなしているほうだ。


だが、すべての教科、すべての分野についてエキスパートたることなど、絶対に不可能だろう。


ダ・ヴィンチみたいな万能の天才ならいざ知らず、何十もの選択肢からひとつを選んでやっていくぐらいしか、ふつうの人間には出来ることはない。


僕もこの年齢としになってようやくそのことに思い当たり、いくつかの比較的まともに出来ることに注力の対象を絞り込んでいかねばなと思っているよ」


「そうですか。賛同していただけたようですね。


でも念のため言っておきますと、わたしはモブ先生より先にそういう考え方を持つようになったことが、特にいいこと、素晴らしいことだとは思ってはいないんですよ。


いろいろな可能性を早い時期から切り捨てていくということは、夢を捨てていくということでもありますもの。


作家デビューしたいとか、メジャーなミュージシャンになりたいとか、そういう見果てぬ夢を幾つになっても見ていられる人のほうが、幸せだという気がします。


わたしも本当は、自分の可能性を見切りたいわけじゃないんだと思います。


無対価でかまわないから、どこかに自分の作品を発表し続けていきたい、そんな気持ちが常にどこかにあるのでしょうね。


それは現実的には、あと5年くらいしか許されないでしょうけど。


わたしには、時間があまり残されていないんです」


そう言い終わった詩乃の目は、わずかに潤んでいるように見えた。


僕がその顔を覗き込もうとすると、彼女はあわてたかのように視線をそらせた。


そして、こう言った。


「あ、もうこんな時間ですね」


時計を見ると、10時5分前。


いつのまにやら、本日の授業終了間際となっていた。


「そうだな。意外と時間が経つのは早いもんだな」


「さぁ、質問タイムはこれで終わりですよ、先生」


その表情は、いつものチョイ悪詩乃のそれに戻っていた。


「実はわたし、『友達とか、いるのかな?』と先生に問われた時、ちょっと身構えてしまったんです。気づいてました?


あぁ、これは男友達のことについてしつこく聞かれるかもな、そう感じました。


そこでわたしは、部活の話を出してそちら方向になるべく向かわないよう工作したのです。


そうしたら先生、見事その話に乗っかってくれたじゃないですか。


おかげで、かなり真面目で重い話になってしまいましたが、結果として話をそらすことに見事成功出来たのです。


これも先生の、生真面目な性格のおかげです。


質問タイムの続きは、また別の機会にしましょう。


ありがとうございました」


そう言って詩乃は深くお辞儀をした。


しまった、僕は詩乃に、ものの見事に誘導されていたのだ。


やはり僕は「女子高校生にからかわれるだけ」の存在のようだ。


鬼ヶ島詩乃への授業1日目は、こうして終了したのだった。(続く)

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