#05 いざ、鬼ヶ島

これを果たして「とんとん拍子」と言っていいのだろうかいささか判断に困るのだが、とにかく僕の新しいアルバイト先は電光石火で決まった。


ただし、あくまでも「カッコ仮り」ってヤツだが。


志願はしたものの、買い手市場ゆえに契約は未成立。


まずは手始めに挨拶に行って、先方にちゃんと家庭教師として受け入れてもらえないことには、始まらなかった。


なにせ、既に三人ほどのアルバイト学生が討ち死にしている「戦場」だからな。


下手すると、僕も馳せ参じたとたんに、瞬殺かもしれなかった。


つまり、まったく油断は出来ない。



時間は夕方の5時台。既にあたりはとっぷりと暮れている。


僕はいま、佳苗かなえ伯母さんが書いてくれたメモを携えて、地下鉄半蔵門駅の出口に立っていた。


メモにはこれから僕が赴くべきおにしま家の住所が書いてあった。


千代田区一番町、うんぬん。


都内でも有数の高級住宅地だった。


僕はスマホの地図アプリで家の位置を確認しながら、数十分前の伯母さんの言葉を思い出していた。


「わたしは鬼ヶ島さんのお嬢さんとは、家庭教師をお世話したいっとう最初に、一回だけ会ったことがあるんだけれど、そうね、とにかく頭の回転の速い子だと感じたね。


それもただ勉強がよく出来るとかいうんじゃなくて、他人の気持ちがよくわかり、気がよく回る、そういうタイプ。


当然、精神的にもかなり大人だと思う。


普通、女の子は同い年の男の子より3歳くらい精神年齢が高いって言われているけど、彼女の場合は5歳くらい上なんじゃないかな。


彼女はこないだ17歳になったばかりのはずだけれど、はたちのきみでも到底太刀打ち出来ないかも知れないよ。


せいぜい、心してかかりなさい」


そんなシビアなアドバイスを伯母さんから頂戴してしまったのだが、僕の頭の中にはこれから勉強を教える(予定の)相手、鬼ヶ島詩乃しののイメージがさっぱり湧いてこなかった。


「容姿はどんな感じって? うーん、それは会ったときのお楽しみ、ということで触れないでおくよ。


もしかしたら、エーッて思うかもしれないけど。フフッ」


意味ありげな伯母さんの含み笑いが、どうにも頭のどこかに引っかかっている僕だった。



スマホに従って慎重に歩いていっても、目的地には10分ほどで到着した。


漢字表記でこそなかったが、金属製の表札には「ONIGASHIMA」とある。


ここで間違いない。


とはいえ、ごっつい門構えに長い板塀が続くような古びた純和風のお屋敷、あるいは天守閣をいだくお城を僕は予想していただけに、いま風の煉瓦作りで瀟洒な洋式の家には、いささか期待を裏切られたと言えなくもない。


これはどう考えても「鬼ヶ島」というネーミングが強烈過ぎるせいだろうな。


さて、訪問にあたってまずは気持ちを整えねば。


僕はひとつ咳払いをし、シャツのボタンを一番上まで止めた。


そして、そーっとチャイムのボタンを押す。


すぐに、「はぁい」と少し高めの声でインターホンから返事があった。


「お初におじゃまいたします。三山みやま佳苗さんのご紹介で参りました。茂部もぶ凡人よしとと申します」


僕は何とか噛まずに、そう一気に言うことが出来た。


思う間もなく玄関のドアが開き、40代と思われるひとりの女性が顔を出した。


中高で小顔の、いかにもいいところの奥様ふうの美人である。

お召し物も、見るからにブランドもの、ディオールあたりのワンピースで、高そう。


彼女、鬼ヶ島夫人は早口でこう言った。


「三山先生からお電話で伺った、茂部さんでいらっしゃいますね。


ようこそお越しくださいました。鬼ヶ島詩乃の母でございます。


ちょうどよかったわ、娘も学校から帰ったばかりなんですのよ。


すぐに連れて参りますわ」


僕は玄関に近い、客間に通された。


10畳くらいの洋室。大きめのソファが置かれ、隅にはアップライトのピアノがある。


座って待つこと数分。ドアが開き、鬼ヶ島夫人とともに、学校から帰ってきてまだ制服から着替えずにいたのだろう、ネイビーブレザー姿の十代の女性が現れた。


「茂部先生、うちの長女、詩乃でございます」


教える前から「先生」呼ばわりとは少々こそばゆいものがあるが、まあそれはどうでもいい。


「初めまして。鬼ヶ島詩乃です」


はっきりとした発音で一礼とともに挨拶をしてから、正面のソファに腰を下ろした彼女、詩乃の顔を僕はまじまじと見た。


ふむ、このお母さんの娘だけあって確かに美形だ。


特に似ているのは、すっと通った鼻筋とシャープな顔のラインかな。


ひとつ大きく違うのは、母親が切れ長で笑顔がデフォルトみたいなタレ目をしているのに対し、娘の目はあくまでも現代風というか外人風というか、パッチリと大きいところだろう。


しかし、ものすごい美人だなという感想と同時に、僕は彼女の顔立ちに、みょうな既視感をも抱いていた。


『僕、もしかしてこの子にどこかで会ったこと、無い?』


そんな感じで何秒間も僕がおし黙って観察していると、さすがに詩乃は当惑したようで、でも初対面の相手ということで気を遣ってのことだろう、おずおずとこう尋ねてきた。


「先生、どうかされました? わたしの顔に何かついていますでしょうか?」


その言葉に、僕も我に返った。


「あ、ご、ごめんなさい。つい、ジロジロとお顔を見つめてしまって。


僕、挙動不審でしたよね、アハ、アハハ」


みっともなくも、その場を取り繕う僕だった。


鬼ヶ島夫人は苦笑いし、詩乃はクスリとも笑わずに目を皿のように開けて固まっていた。


「すみません。初めてのお宅ということで緊張しています。


茂部凡人といいます。これから、よろしくお願いします、詩乃さん」


それで何とか、僕は場の雰囲気を元に戻した(と思う)。


僕はこう思った。確かにこの子は、美人だ。

僕が過去20年間見てきた何百人もの女性の中でも、ベストスリーに楽勝で入るレベルだろう。


だが、単にとびきりの美人というだけでは(あるいはその正反対という場合もあるかもしれない)、伯母さんの「エーッて思うかも」という表現には当てはまらないように思えた。


僕は勉強を教えに来たのであって、ナンパをしに来たわけではない。

鬼が出ようが蛇が出ようが生徒として扱う、これ当然のことだろ。


伯母さんは、いったい何を言いたかったのだろう?


僕が過去どこかで彼女と会ったことがある、そう意味なのだろうか?


ても、仮にそうだったとしても、それがいつで、どんなかたちでだったかは、まるで思い出せない。


……あ、いかんいかん、またこんな事を考えていては。

挙動不審でキモい人と思われちまう。


空気嫁クウキヨメ、ヨシト!


現実の時間の流れとしては、先ほどから鬼ヶ島夫人が家族構成について説明してくださっている。


家族はご主人と奥様、そしてこの詩乃と、3歳下の弟さんの4人。


ご主人は仕事で毎日帰宅がとても遅く、きょうも深夜近くになるらしい。


中学2年生の弟さんはサッカーの部活があり、下校時間ギリギリまで忙しく、きょうもまだ帰宅していないそうだ。


詩乃本人は、入っている部活はあるものの(表現部という名称だと夫人は言った)、実質は開店休業中みたいなヒマな部でほとんど拘束はなく、たまに仲のいい友人とおしゃべりをするため寄り道する程度で、ふだんは家庭教師が来る4時前には帰宅しているそうだ。


「わたしはきょうのきょう、伯母よりこちら様とのお話をいただいたばかりなので、お教えするための準備らしい準備をしておらず、すみません。


きょうは、いかがすればよろしいでしょうか?」


僕が普段は使わない丁寧語を駆使して鬼ヶ島夫人に尋ねると、彼女はニコニコと笑いながら、こう答えてくれた。


「いいんですよ。初日ですから。


先生にはまずは、詩乃と一対一でお話をして、しっかりコミュニケーションをとっていただきたいと思っています。


といいますのはね、この子、わたしが同席していますと、いろいろと気を回しているんでしょうか、自分からはほとんど喋ろうとしないんですのよ。


でも、家庭教師の先生とふたりになると、うって変わってよく話すようになるらしいんです。


まあ、実際に見たわけじゃないんですけどね。


家庭教師の件については、やはり当人同士の相性が一番大切だと思っておりますので、わたしは詩乃にすべて判断を任せるようにしております。


ですから、まずは詩乃の勉強部屋まで行って、ゆっくりお話をしてくださいね」


そう言って夫人は、隣りの詩乃をチラッとた。


ふむ、そう言うことであれば、お母さまに関しては特に面倒な問題はなさそうだ。


これまで何人もの学生が辞めていったことに関しては、鬼ヶ島夫人が原因だったとは到底考えられない。


となると、最大の難関はやはり、生徒の詩乃本人ということになるのだろう。


うー、なんだかマジで緊張してきたぜ!



その後僕は、詩乃に2階にある彼女の部屋まで案内された。


そこに入ると、さっき夫人が「部屋」といわず「勉強部屋」と言ったわけが、たちまちわかった。


そこはデスクと二脚の椅子、そして学業関係の本が納められた本棚だけがある、4畳半程度のひどくこじんまりした部屋だったのだ。


つまり、彼女の寝室は別にあるということだ。


なるほど、これなら安心だな。

えっ、どういう意味かって? 野暮なこと、聞かないでくれよ(笑)。


ともあれ僕は、詩乃の「どうぞかけて」という勧めに従って椅子にかけた。


ふたりが向き合った瞬間、詩乃から思いもよらぬ一言が飛んできた。


それこそ、鬼のように強い口調で。


「さっきから、ずっと感じていたことなんですけど……」


そこで一回、タメが入った。こえーよ。


「モブさん、あなたキャラが全然立ってないわよ」


ん、キャラ? それって、いわゆるキャラクターってことですかぁ?


面食らって失語症に陥っている僕に、彼女が追い討ちをかけた。


「このハードな現代社会で生き残っていくために一番必要なもの。


それは『キャラ立ち』なのよ。


入試や就職の面接、恋愛、昇進、こういった人生の重要な局面で一番有効な戦略、それはいかに自分のキャラクターを立てて、相手に強い印象を与えるかなの。


かのマクラーレン先生も、そう言っていたわ」


マクラーレン? はて? マクルーハンのことかな?(僕の心の声)


「なのにあなたは、この10分ほどの時間で、わたしに何も印象を残してくれていないじゃないの。


どこかの数学者のセンセイじゃないけど、たった10分でわたしの記憶は完全にリセットされて、『あなた一体誰?』状態になっているわ」


一晩寝たら記憶がリセットされる探偵さんというのは知っているが、それどころの騒ぎじゃない。


「それは、ひどすぎる若年性アル……いや、ムニャムニャ」


「つまり、あなたという人は、まったくキャラが立っていないということね。


そんな人がわたしに何かを教えようなんて、百万年早いわ」


そう言って、詩乃は両手を腰に当てて、胸を大きくそらせた。


なんと、いきなり大上段からのダメ出し!


ある程度は覚悟していたものの、予想の斜め上を行く展開に、僕のメンタルは震度マックスで揺さぶられていた。


どないします、自分?(続く)

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