第3羽 空中回廊

ルドミラの飛行は見事なものだった。

決して直線に飛ばず、しかし速度を損なうことは無く敵を惑わせる。

そして時折アイシャの持つ無線から受話器をむしり取っては、何か言伝をしていた。

一方のフェリシアは2人の後を付いて行くのでやっとだった。

戦場には常に銃声や炸裂音が響き、否が応でも耳が遠くなる。

埃と硝煙で視界はぼやけ、鉄と火薬の臭いが嗅覚を遮断する。

2人のすぐ後についているにも関わらず、フェリシアは孤独だった。

(これが戦場…これが…なんだろう?ううん、今はついて行く事にだけ集中しなきゃ)


そんな状況のまましばらく飛ぶと、比較的静かな空域に入ることができた。

するとルドミラが振り返り、フェリシアに声をかける。

「どう?初めての戦場は。私達が何してるかわかった?」

「辛いです…お二人の後にぴったりついてるのに、全然何してるかわからないです…」

「でしょうね。少し戦場の様子を観察する余裕が出来たら言いなさい。色々教えてあげるわ」

言い捨て、直ちに前を向くルドミラ。

すると再び銃声と炸裂音が聴覚を奪い始める。

(観察…何かを見つける必要があるのかな…?)

考えながら、フェリシアはルドミラを観察し始める。

続いてルドミラが見ている方向の戦場を観察する。

(大砲、機関銃、それに戦車…)

さらに意識を研ぎ覚ませると、後方から一際大きな風切り音が聞こえた。

振り向くと、先程ルドミラが『観察』した場所に、砲弾が直撃した事を確認できた。

その様子を気取ったルドミラが、振り返ってフェリシアに声をかける。

「その様子だと、わかったみたいね」

「はい!敵の位置を…それも重要な敵の位置を、味方に知らせてるんですよね?」

「正解、いい調子よ。今までの新入りの中でアンタが一番気付くのが早いわ」

「ありがとうございます、お世辞じゃないって信じてますよ!」

その後、三人は無線のバッテリーが切れるまで飛行し、無事に詰め所まで戻ってきた。

「お疲れ、新入り。初めてにしては良い飛びっぷりだったわよ」

「ありがとうございます…」

「んあー、肩凝った!なんで無線機って、こう重いかな…」

「アイシャもお疲れ様。今日はもう暗くなるから、休んでいいみたいよ」

見ると、他のパックも続々と詰め所に戻って来ている。

しかしその数は、僅かだが確かに少なくなっていた。

「今日は5人ってところかしら…」

「えっ…」

思わず聞き返すフェリシア。

「少ない方よ。ひどい時は半分も帰ってこないわ」

「そんな…」

知り合ったばかりとはいえ、見知った顔が居なくなる現実。

あからさまに表情を硬くするフェリシアに、ルドミラはそっと微笑む。

「アンタはその5人に入らなかった事を幸運に思いなさい。新入りはそのくらいでちょうどいいわ」

「ミルカさん…」

フェリシアはなんと続けたら良いのか分からず、そのまま黙り込んでしまった。


仲間を失ったパックは直ちに再編成が行われるらしく、通夜のような雰囲気に包まれる詰め所で行われる話し合いを、フェリシアはただ黙って聞いていた。

「では、これで報告書を上げるわ。みんなお疲れ様。空で散った仲間に祈りを」

話し合いを仕切っていた少女が乾杯するように右手を上げる。

「「「暖かな追い風を」」」

それに続けて少女達は祝詞を唱えながら右手を上げる。

もちろん、フェリシアを除いて。

「えっ…えっ?」

「お前もやるの!」

アイシャがフェリシアを小突く。

「あ、はい!暖かな追い風を!」

慌てて右手を上げるフェリシアに、暖かな眼差しを送る者と厳しい眼差しを送る者とがいた。

「あの、これは一体…?」

フェリシアはアイシャに問う。

「んー、習慣みたいなもんだな。帰って来なかった仲間には、ああやって祈ってやるんだ」

「誰が始めたのかは知らないけど、有翼猟兵時代からの慣習よ」

答えるアイシャにルドミラが続ける。

「有翼猟兵?なんですか、それ」

「あー、うん。話すと長くなるから簡単に言うと、アタシらには物干し竿担いで戦車とやり合ってた時代があんのよ」

「…対戦車ライフルね。この子にはそれじゃ伝わらないわよ」

大振りなジェスチャーを交えて答えるアイシャを諌めるようにルドミラが付け加える。

「ライフルで戦車と戦うんですか…?それも生身で…」

「ライフルって言っても特別デカいやつなのよ。でも、あの頃の損耗率は今の比じゃなかったわ…」

「もちろん悪い方にな」

今度はルドミラにアイシャが続けた。

「…私、偵察隊でよかったです」

「私もそう思うわ」

そうフェリシアに告げたルドミラの声には、どこか優しさを感じられた。



「よーし、帰ったぞー!お、今日は風呂の日じゃん。やったな新入り!」

宿舎に戻るなり、アイシャが声を上げる。

「えっ、お風呂入れるんですか!?」

「あれ、説明してなかったかしら?まぁいいわ」

喜びを隠せないフェリシアに、ルドミラもどこか嬉しげだった。

急ぎ更衣室に向かい、脱いだ服を畳みもせず浴室に入るアイシャ。

フェリシアもそれに続き、ルドミラだけは服を綺麗に畳んでから浴室へと足を運ぶ。

宿舎の大きさに比べると決して広い浴室ではなかったが、まだ他の面々が来ていない為、フェリシアの目には広く見えた。

「わぁ…こっちに来てから始めてのお風呂です。嬉しいなぁ…」

「やれやれ、あんまりはしゃいで転ぶなよ」

「そうそう。ここのタイルは安いやつだから、よく滑るのよ…」

「そんな子供じゃあるま…」

そうルドミラに答えようとしたところで、フェリシアは盛大にすっ転んだ。

滑らせた足は慣性に従い蹴り上げるように昇っていき、背中から着地。

そして後頭部を強かに床のタイルに打ち付ける

そのままフェリシアの意識は遠のいていき…


気がつくと、見知らぬ天井を見上げていた。

「あれ、私…」

「お、気が付いたか」

ベッドの傍に座っていたアイシャが声をかける。

「ここは…?」

「医務室よ。気絶したアンタを私達が運んできたの」

アイシャの隣に控えていたルドミラが答えた。

「医者は大丈夫だって言ってたが、どこか具合の悪いところはないか?」

「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました…」

一度言葉を切り、フェリシアは跳ね上げるように上体を起こす。

「あ!お風呂は!?」

「入浴の時間は決まってるの。もうとっくに終了時間を過ぎてるわよ」

ルドミラの無情な答えに、肩を落とすフェリシア。

「そんな…じゃあお風呂入れないんですか?」

「そうよ…本来ならね」

「えっ?」

含みのある物言いに、フェリシアは聞き返す。

「風呂の担当に、久しぶりの風呂に興奮してすっ転んで気絶した間抜けがいるって話したら、特別に時間伸ばしてくれるってよ」

「やった…よかったぁ…」

「さ、行きましょう。私達もまだ済ませてないのよ」


三人が浴室を訪れると、そこに人気はなかった

他の皆は既に入浴を済ませたのだろう。

湯船にはいくらかの羽が浮いており、排水口の網にも羽が残っていた。

「また湯船に入る前に翼を洗わなかった奴がいるわね…」

「まぁ気持ちはわかるけどな」

ボヤきながら身体を洗い始める2人。

特に戦場で埃まみれになった翼を入念に手入れしている。

ルドミラの肌はよく手入れされており、色白できめ細かく、傷らしき傷も全くなかった。

胸の大きさこそ控えめだったものの、すらりと伸びた手足が合わさることで、ある種の芸術作品のような雰囲気を醸し出していた。

対するアイシャの肌にはいくつもの傷があり、手入れが行き届いていないのかくすんだ部分がいくつも見受けられた。

そこに比較的豊満な胸が合わさることで、どことなく扇情的なプロポーションとなっていた。

「新入りも、ちゃんと翼は洗っておきなさい。最悪、病気の原因になるわよ」

「あ、はい。しっかり洗っておきますね」

思わず見とれていたフェリシアも、2人に続いて翼を洗う。

先程までは気にしていなかったが、羽には硝煙と土埃…戦場の匂いがこびり付いていた。

身体を洗い終え、湯船に浸かる三人。

しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのはルドミラだった。

「新入り、今日はどうだったかしら?」

「…正直、よくわかりません」

フェリシアの率直な感想に、ルドミラは表情を緩める。

「まぁ、そうでしょうね。初めてのことが多過ぎるもの。少しずつ慣れていけばいいわ」

「おっ、いつになく新入り思いだな。どういう風の吹き回しだ?」

からかうようにアイシャが問う。

「別に…ただの気まぐれよ。前の新入りより骨があるから、ちょっとは期待してるけどね」

「ご期待に添えるよう頑張りますね」

フェリシアの素直な反応に、ルドミラは顔を背ける。

その顔は僅かに赤みを帯びていた。

「なんだなんだ?ミルカが照れるなんて、明日は爆弾でも降ってくるんじゃないか」

「ち、違うわよ!ちょっとのぼせただけなんだから…」

そう言いながらも、その後しっかり湯に浸かってから、三人は浴室を後にした。


途中風呂の担当者に礼と共に入浴を済ませたことを告げ、三人は部屋に帰って来た。

「さて、アタシはさっさと寝るぞ。おやすみ」

早々に寝支度を済ませたアイシャは、そう言ってベッドに入ってしまった。

「明日の朝の訓練は休みにするわ。だから安心して、しっかり眠りなさい。おやすみ、新入り」

言い置くと、続いて支度を済ませたルドミラも床に就く。

「あ、はい。おやすみなさい…」

最後に寝支度を済ませたフェリシアが、部屋の電気を消して布団に潜り込む。

そして見慣れ始めた天井を見上げつつ、フェリシアは戦場での出来事を振り返る。

というより、耳に残る銃声と炸裂音が否が応でもそれを思い出させた。

(これからアレが続くんだ…早く慣れなきゃ…)

長く続くかに思えた回想だったが、疲れからかフェリシアはすぐ眠りへと落ちていった。

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