第49話 シリーズ 6 一人の時間の大切さ

 この部分は、拙著「一流の条件~ある養護施設長の改革人生」の「壊された壁時計~」の章のもととなった部分です。

 本書とともに、改めてお読みいただければ幸いです。

 (以下、本文)

 

 G君は、よつ葉園とは金輪際縁を切ると宣言して定時制高校の4年生の夏を前に、よつ葉園を去っていきました。私としては、G君に母親や妹たちの面倒も見てN家を大事にしろとかねて言っていましたが、そこでしかし、亡き彼の父親に対する思いをまったく考慮に入れていなかった。聞いてはいても軽く扱っていたことは間違いありません。

 彼がよつ葉園を出るとき、園長室で大槻の前で、わしはあの尾沢だけは許さん、よくもわしの名字を勝手に変えさせて父方との縁を切らせようとした、それを認めた大槻園長、あんたも同罪じゃと言ったのに対して、大槻は、そのことはわしも反省しとる、申し訳なかったと謝ったが、そんなことで怒りが収まるはずもない。その日私は彼から、一言も口もきいてもらえませんでした。彼は私と口を利かないどころか、最後は大槻に言って私の同席を拒否したほどです。

 その後のG君ですが、よつ葉園を出てすぐ父方のG姓に戻し、母親や妹らとも一切縁を切っています。ぽっかり温泉で仕事をしながら、400万円ほど出して買ったというマンションに一人で住んでいると聞いていますが、誰に対しても、どこかで心を閉ざしている感じがしてなりません。その後G君を街中で見かけたことは何度かありましたが、一度も話していません。話しかけても無視されるだけでしょうね。


 この件で特に大槻から叱責を受けたわけではありませんが、人の人生を軽く見るものじゃないなと、その日の酒の席でしんみりと言われたことを今も覚えています。あの頃は大槻も私も若かったですし、よつ葉園の2階の管理棟で、夕方から時間ができたら誰かが酒やらつまみを買ってきて私たち職員の何人かで飲み会をしていました。 でも、あの日ばかりは、お世辞にもうまい酒ではありませんでした。じゃあまずい酒だったのかというとそうでもない。飲んでも酒の味がまったくしなかった。その酒席の前に私は、翌々日の金曜から3日間、公休1日と合せて有給をいただきたいと、大槻園長に申し出ました。日曜の夕方まで、家族とも離れ、一人でじっくり考える時間が欲しいと申しました。

 事情を察した大槻は、直ちに許可してくれました。その時、こんなことを言われました。


「尾沢君、これまで一人の時間の大切さがまったくわかっていなかったな。これを機会に、その大事さをしっかりと学んで来なさい。誰かがいるから寂しくないとか一人は寂しいとか、そんな程度の感覚では、これから先やっていけなくなるぞ」


とね。

 その夜、職員宿舎に住む家族の元に戻り、私は、明後日から3日間、急な仕事で出かけるから、一切、連絡はしないようにと申し渡しました。金曜日の朝、私は、開業してそれほど経っていない瀬戸大橋をマリンライナーで四国に渡り、T市内のホテルにこもって、誰も知り合いのいない街で3日間、一人で過ごしました。

 「一人の時間」の大切さが、ますます身に沁みました。養護施設という場所は、子どもたちが育っていくうえで必要な「一人の時間」をいかに奪っているか。誰かがいるから寂しくないとか、そんな程度の了見で子どもたちと接していた自分が情けなく、悔しかった。もちろんそれは自分だけの責任ではなく、それまでそういう接し方しか子どもたちにできていなかったよつ葉園だけでなく児童福祉全体の課題なのかもしれませんが、そんなことは子どもたちに対して免罪符になるわけでもないし、ごめんで済む話ではない。Z君などは、ベテランの山上保母を時代遅れのロートルとまで呼んでいた。その表現がいいとは言わないにしても、言われても仕方ない。彼女ばかりを責めるわけにはいかないが、ベテラン保母のせいにして自分たち指導員が責任を逃れられると思ったらそれも大きな間違いだ。いずれにせよ、自分より一回り以上年下の、それこそ「ガキ」になめられる仕事しかできていなかったのか・・・。


 ホテルの部屋で泣き明かし、市内の居酒屋に出て、一人でビールをあおりました。


 1時間ほど、Z君やG君の話が続いた。尾沢さんは、最後に言った。


 「今日は、こんな話ばかりになって、まことに申し訳ない。Z君とG君の話、いつか誰かに話したいと思っていました。私があなた方にここで話したことを知っても、彼らは、私を本心から許してくれるとは思いません。許しを求めたいと以前は思っていましたが、今はあえて、そういうことは思わないようにしています。でもいつの日か、誰かにこのことをお話しすることで、私自身が児童福祉の仕事に就いていたときの対応に対して「懺悔」したかったのです。あなた方はラジオ局の人であり、キリスト教の牧師や神父ではない。かくいう私も、クリスチャンではありません。そのあたりのことを承知でとはいえ、こんなことをお話しさせていただき、本当に申し訳ありませんでした。もしよければ、もう一度伺わせてください。児童福祉の仕事は、こんなことばかりじゃありません。この社会にとって大事な仕事であると、今も思っています。よつ葉園にいたときは、確かに至らぬことばかりでしたが、あの仕事を続けてきて、今は本当によかったと思っています」

 

 ぼくの横で尾沢さんの聞いていたたまきちゃんが、ハンカチで顔を拭いている。尾沢さんも、ハンカチで、眼鏡の向こうをそっと押さえている。

 ぼくはしばらくの間、口を閉ざしたまま、考えるともなく何かを考えていた。

 

 あのZ君の精神的なストイックさは、果たして、どこから来るのだろうか?

 そのストイックさは、彼を本当に幸せにしているのだろうか?


 マニア氏とZ氏、どちらも、家庭という「組織」をまったく信用していない。激情感あふれる激しさはマニア氏のほうが強いが、Z氏は、怒鳴りなどしないものの、普通の言葉で、しかし辛辣なことを言う。どちらも、あることに対して非常にストイックで厳しい。これぞという部分に対し、第三者をして妥協や茶化しを入れ込む余地は全くない。それはマニア氏のカウンターパートとして鉄道趣味者としての論争に出てきた瀬野八紘氏にも通じるところではある。尾沢さんの話はあまりにも重すぎた。でもこの重さに耐えられないと、養護施設という場所の本質に迫れないだろう。


 尾沢さんは、2日後の木曜日の夕方の時間が空いているとのこと。せっかくなので、別の居酒屋かどこかで改めてお話をお聞きすることになった。

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