第39話 退職理由 結婚のため 前編

2019(平成31)年1月中旬のとある平日 よつ葉園の園長室にて


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 ある平日の13時過ぎ。昼食時間も終わり、保育室では、昼寝の時間になっている。今日も、子どもたちはいつも通り学校に行っていて、この園舎内に残っている子はいない。特に学校が休みの子もいない。公休の職員は別として、ほとんどの職員は休憩時間ということで住込みの居室でくつろいでいる時間帯である。


 「園長先生、お話があります。今から園長室に伺っても、よろしいでしょうか?」


 平野恵児童指導員が、園長室に内線電話をかけてきた。彼女は関西圏の福祉系大学を卒業後新卒でこのよつ葉園に就職して6年目になる。

 岡山市内出身の彼女は、高校時代から福祉の仕事に興味を持っていた。学生時代から、就職するならぜひとも児童養護施設で働きたいと、彼女は願っていた。

 学生時代に実習で約2週間、彼女はこのよつ葉園に来て、主に中高生の女の子たちの担当をした。年の近い彼女たちと一緒に遊び、学んだ。小学生ぐらいの女の子と、日曜日の朝にはプリキュアというアニメも観た。

 自分自身、子どもの頃はセーラームーンを毎週土曜の夜に観ていた。子どもの頃の思い出が、子どもたちとテレビを観ているうちによみがえってきた。

 そうしているうちに、ぜひともこの施設に勤めたいと思うようになった。


 当時彼女には、付合っている男性がいた。彼女より1歳年下で、他大学の法学部の学生だった。彼は現在、兵庫県内のA市役所に勤めている。彼と出会ったのは、ボランティア活動を通してのことだった。彼は当時司法試験を目指していた。後に彼は司法試験に合格し、司法修習を経て、A市役所に勤務する弁護士となっていた。報酬も、それほど悪くない。彼の父親も弁護士であり、神戸で開業していて、いずれその事務所を継いでほしいと言われている。その前に、まずはよそで働いてから、ということで、昔からよく言われている、いわゆる「イソ弁(法律事務所に勤務する弁護士)」的な職場を探していたら、役所内の弁護士をA市が募集していることを知り、応募したら採用された次第だ。


 彼女は彼と、「遠距離恋愛」を続けていた。

 休みの日などには、彼が岡山に来たこともあったし、逆に、彼女が神戸の彼の自宅に赴くこともしばしばあった。

 

 詳細は省くが、彼らの仲は昨年春頃から、急展開を見せていた。


 もはや、彼らは離れ離れのままお互いに別の場所に住んで仕事をしていればよいという段階を過ぎ去り、いよいよ、新生活を築く必要に迫られていた。


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 昨年春、伊島吾一児童指導員は園長職を36年間勤めた大槻和男現理事長の後を継ぎ、この児童養護施設よつ葉園の園長に就任した。

 彼は現在37歳。

 大槻前園長が1982年に37歳になる年に園長に就任したのとほぼ同じ時期に、彼もまた、このよつ葉園の園長となったばかり。大槻氏が園長になった頃は、彼より年上の職員は1名だけだった。終戦直後から勤めてきた山上敬子保母で、年齢にして彼とは16歳の差があった。彼女は当時の定年だった55歳まで勤め上げ、定年を機によつ葉園を去っていった。その後、大槻園長より年上の職員は誰一人いなかった。


 時代は完全に変わった。伊島氏が園長になった昨年時点で、年上の職員は複数いる。

 なぜそんなことになったのか?


 一つには、職員の勤務継続年数が長くなったことがある。大槻園長の頃はまだ、短期大学を出て新卒で就職した保母は、平均して3年もすれば結婚や転職などの理由によって退職することが常であった。大卒の女性児童指導員も、同じようなものだった。

 もちろんそれは養護施設が特別というわけではない。その頃の他の職種においても、そう変わるものではなかった。高卒、短大卒、大卒を問わず、女性が新卒で就職しても、おおむねその程度の期間勤めたのち、結婚して「寿退社」するのが、まだまだ一般的な時代であった。

 大槻氏が結婚したのはそれよりさらに10年以上前の話だが、彼にしても、同僚だった女性指導員と結婚して間もなく、彼女のほうが退職し、家庭に入っている。だが近年、結婚を理由に退職する女性職員は、当時に比べて格段に減った。結婚などを理由に退職を強要するわけにもいかない。そういうことをうかつにしようものなら、たちまちのうちに大問題になる。

 いわゆる「ネトウヨ」とさえ呼ばれる保守的な言動をする人たちでさえ、「女は結婚して家庭にはいるのが筋だ」などと主張する人物はむしろ少数派とさえ言えるほどである。もちろん、昭和期においても先程述べた山上保母のように結婚・出産後も勤めた人物はいないではない。吉村(旧姓・野元)静香保母も、結婚・出産を経てもしばらくの間よつ葉園に勤めていたが、子育てが忙しくなったため、さすがに休職期間を除いて勤続10年を機に退職していった。だが、彼女たちはあくまでも、当時としてはむしろ例外に属する人たちであった。

 加えて、昭和末期の養護施設には、保母と児童指導員、栄養士はじめ調理員、それに事務員などを除き、いわゆる「専門職」と呼ばれる職員はいなかった。非常勤で「嘱託医」を務めてくれる医師はいたが、それはあくまでも外部にいて、何かあったときに診察してくれる程度の「名誉職」のようなものに過ぎなかった。


 しかし現在では、この手の児童養護施設は、さまざまな立場の「専門職」を務める職員が何人もいる。

 看護師や心理士などなど、その職種はさまざまであるが、子どもの世話を、かつてのように「保母」と「児童指導員」に丸投げしておけばいい、食事は給食担当の栄養士に考えさせ、あとはそれに従って調理員が作って食べさせておけばそれでいい、などという時代ではない。もっとも、今ではかつての「保母」は、「保育士」と名称が変わっている。名前からもわかるように、必ずしも女性の仕事というわけではない。確実に、時代は変わっているのである。

 さらに言おう。昔はともかく、今どきは、職責だけでだれが偉くてどうのこうのという時代ではない。医療の現場でも、医師を頂点としたピラミッド型のシステムから、「チーム医療」と銘打って、専門職の集まりで一つのチームを作って仕事をしていくことが一般的な時代。確かに児童養護施設の園長は、その組織の「トップ」ではあるが、だからと言って偉いというわけでもない。

 伊島吾一氏は、そんな時代によつ葉園という児童養護施設の運営責任者として、園長に就任したのだ。いい悪いは別として、かつて大槻氏がとっていた「ワンマン」的な手法で運営できるような時代では、もはや、ないのである。

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