第25話 幽霊騒動2 岡山空襲とよつ葉園

 本記事及び幽霊騒動3(本日4時7分投稿予定)は、今から75年前の本日、1945年6月29日の岡山空襲の犠牲者の皆様に捧げるための記事です。


1990(平成2)年3月某日 よつ葉園園長室


 1990年3月のある日、年度末の事務処理のため、大槻園長は夜遅くまで園長室で執務をしていた。古村武志事務長はじめ事務職員も、すべて帰宅していた。

 

 時刻は午後8時過ぎ。

 夕方にいったん自宅に戻って食事を済ませ、再び管理棟の園長室に戻って、執務にいそしんだ。

 事務所には、もう誰もいない。電話当番は、当直の保母と児童指導員が各自の担当する寮の電話で対応してくれている。

 こちらから何も電話に出る必要はないし、自分のもとに、こんな時間に電話がかかってくることなど、まずない。

 

 彼は給湯室に行き、沸かしてあったポットの湯を使ってインスタントコーヒーを淹れて園長室に持ち帰り、執務用のデスクに腰かけて、一服していた。


トントントン

 こんな時間に、誰か用事でもあるのか?

 事務室の入口ドアは、すでに鍵をかけている。誰かが入ってくる余地などない。とりあえず、気のせいだろうと思って、コーヒーを一口飲み、目の前の書類を一通、決裁した。かくして、未決の案件が一つ、既決となった。

 

 トントントン

 再び、ノック音がドアの向こうから響いた。

 

 おかしいなぁ? 改めて一口コーヒーを口にし、デスク前のチェアーに深く腰掛けた。両腕をひじ掛けに置いて、一息ついた。

 

トントントン

 「ごめんくださいませ」

 

 今度は、ノック音だけではなく、若い女性の声がした。今どきの女性の声とは少し違うような気はしたが、まあ、それは、いいとせねば。どうやら、事務室のドアのカギをこじ開けて入ってきた強盗などではなさそうだ。

 大体、そんな音がした形跡もない。

 

 「どうぞ、お入りください」

 意を決し、彼はドアの向こうに向けて声をかけた。

 「夜分に申し訳ありません。失礼いたします」

 ドアが開くとともに、若い女性と5歳ぐらいの男の子が入ってきた。

 ひょっとして、この二人が、噂に聞く「幽霊」なのだろうか?

 

 平静を装いつつ、大槻園長は、二人を招き入れ、ソファに腰かけさせた。

 彼は、コーヒーのマグカップをもって、母子の前のソファに腰かけた。

 

 「どちらさまですか?」

 「名乗るほどの者ではございません。この子は、息子であって息子ではありません。私は、何と申しましょうか、この子の「継母」なのです」

 「そうですか。あなたたちが、いつもよつ葉園に出てくる「幽霊」さん、ですかな?」

  彼女は「幽霊」という言葉に特に感情をあらわさず、たんたんと、述べた。

 「世間では、そう申すのでしょう。何と申しましょうか、幽霊でもお化けでも、結構でございます。まあ、実際、そのようなものですから・・・」

 

 何と申しましょうか・・・。

 

 1945年生まれの大槻園長の子どもの頃の娯楽といえば、何といっても野球だった。岡山県西部の田舎町で育った彼は、ラジオ中継やたまに行く映画館、それと、毎月発行される雑誌で、野球の中継を見たり聞いたり読んだりして、野球というスポーツに親しんでいった。赤バットの川上哲治選手のファンになったのがきっかけで、彼は巨人ファンになった。関西の大学に進んだが、巨人ファンでありながら甲子園球場に時々足を運んだ。

 ちょうど学生時代、阪神のジーン・バッキー投手が巨人戦でノーヒットノーランを達成した日には、三塁側の巨人応援団の近くで試合を観戦していた。彼が大学2回生のときのことである。

 そんな彼が子どもの頃ラジオ放送や始まりたてのテレビ放送でよく耳にした言葉が、まさに、その言葉だった。元松竹ロビンス監督で、評論家としても名高かった小西徳郎氏の口癖であった。その言葉を、彼は思い出した。

 

 「そうでしたか・・・。それで、この子とあなたは、なぜ、うちにたびたび来られているのですか? そのお姿からして、私が生まれる前の方ではないかと、うちの職員や子どもらから聞くたびに、そう思っておりましたけど・・・」

 彼の質問に、女性は、静かに答えた。

 「ええ、園長先生のおっしゃるとおりです。私の夫は、先の大戦で戦死しました。夫の前妻も、夫が戦死する前に病死していました。私は、夫の前妻の遠縁の者です。夫と結婚したのも束の間、夫は再び出征し、戦死してしまいました。かくいう私たちも、あなたがお生まれになった昭和20年の岡山空襲で・・・」

 大槻園長は、黙って聞いていた。女性は、感極まったのか、言葉が続かない。

 「何も、無理にお話しいただかなくても結構です。しかし、あなた方は、よつ葉園と、何か御縁がおありだったのでしょうか?」

 「はい。幾分の御縁がありました。と申しますのも、この子を、よつ葉園に預けたらどうかと言われたことがあるのですが、当時、空襲が激しくなっていた折、疎開までさせるよりも、この地で何とかしたいと思い、私が留め置いたのが、いけなかったのです。よつ葉園さんも、確か御津方面だったと思いますが、疎開されているはずです。せめてこの子だけでも疎開させていたら、こんなことにならずに済んだのではないかと思う反面、この子が戦災孤児になってしまうのも、不憫で、不憫で・・・」

 彼女は、空襲の日のことを、当時生れて間もなかった大槻園長相手に、淡々と語り続けた。感極まって泣き出したくなるのを、彼女は必死でこらえていた。

 

 「そう言えば、こちらのよつ葉園から、第六高等学校に進学されたお子さんがいらっしゃると、お聞きしましたが・・・」

 

 第六高等学校・・・。

 旧制の高等学校、後の新制O国立大学の前身ではないか!

 

 山崎指導員は、自転車で街中の下宿に帰っていくZ青年に向かって、今横に座っている男の子が、がんばれと声をかけたところを見かけたと言っていた。実は彼も、共通一次実施前の国立大学入試で一期校だったO大の工学部に合格していたにもかかわらず、都市部に出たいと言って、二期校のT商工大に合格し、そちらに進んだという人物である。


 あなたはご存知かわからないが、戦後の学制改革によって、第六高等学校はなくなっております。新制のO国立大学が、その後身です。確かに、Z君という元園児が、かつて専検と呼ばれていた試験の後身の大検、正式には大学入学資格検定といいますが、それに合格して、O大に進んでおります。彼は昼間仕事をしながら、夜大学に通っています。もう一人、小6まで、よつ葉園が津島町にいた時にいた米河清治君という子もおりまして、彼は、津島町の叔父宅に引取られ、そこから中高一貫校の私立津島中高を経て、O大の法学部に現役合格しています。

 そういう経緯から考えてみますと、あなたのおっしゃる、「第六高等学校に進学」した子は、いないわけでもないですな。


 母親は、微笑をたたえつつ、大槻園長の話を聞いていた。

 

 「そうでしたか・・・。Z君は今、高等学校ではなく、大学に通っているのですね。それから、米河君という子も。第六高等学校のあった場所でZ君を見かけたことがあると、この子が申しておりましたが、彼は当時、高等学校に通っていたことになるのですか?」

 母親の疑問に、大槻園長は丁寧に答えていった。


 ええ。確かに彼は、高等学校に通っておりました。旧制の中学になるところではありますが。あの地には、旧制岡山一中の後身の新制の県立A高校と、旧制夜間中のU高校が来ています。

 U高校は定時制で、本来4年行かないと卒業できませんが、彼はその高校に籍を置いて最低限度の勉強だけして、大検と大学受験の勉強に力を入れ、O国立大学に3年間で合格して、この地を去っていきました。

 今彼を支援できるシステムはこの社会では不十分です。あまりにお粗末です。ですが、私なりにできることはしてやろうと思っていますし、現にやっております。ただ、いくらしてやったとしても、彼からは感謝されないかもしれません。

 それでも、この仕事をしている以上やらなければいけないことだと思っておりますし、何より、感謝をこちらから求めるものでもありませんからね。

 

 女性は、大槻園長の回答に非常に満足した様子で、ゆっくりと頷いた。


 そうですか。それを聞いて、安心しました。

 よつ葉園という孤児院、いえいえ、今は養護施設というのですね。そんな場所には預けられないと、あの頃は思っていました。確かに、園長の古京友三郎先生は、岡山市長も務められていたほどの立派な方でしたが、孤児院にこの子を入れるというのは、本当に、忍びなかったのです。

 大槻先生の今のお話をお聞きして、心底、後悔しております。私たちは、このよつ葉園の子どもたちや職員の皆さんに危害を加えるつもりはありません。

 ただ、いろいろなうわさで、大槻先生は合理主義というか、今風の冷たい人だという話がありまして、ちょっと、近寄りがたいものを感じていましたが、今日のお話を聞いて、それは間違いだということもわかりました。

 これ以上、ここにお邪魔してご迷惑をかけることもないでしょう。短い間でしたが、お騒がせして、本当に申し訳ありませんでした。

 それでは、失礼いたします。

 

 そう言って、女性は男の子を連れて、園長室を去っていった。


 「ああ、夢だったのか・・・」

 わずか20分ほど、デスクのチェアーの肘掛に肘をかけ、居眠りをしていたようだ。気が付くと、決裁した覚えのない文書をいくつか、すでに決済していた。

 噂に聞く母子の「幽霊」と会えて話をしたのは、夢だったのか・・・。

 

 「かずおクン、がんばれー!」

 

 男の子の声が聞こえたような気がした。あの夢で聞いたことが事実であるとして、あの男の子が生きていれば、自分より少し年上で、50歳ぐらい。定年まであと一息に迫りつつある男性になっているはずのあの少年は、5歳のままだ。実際大槻氏には、5歳年上の兄もいる。あの少年にとって自分は、弟のように見えていたのかもしれない。あの子にとって自分が弟なら、自分の上の息子より1歳年上のZ君や米河君は、彼にとっては息子か甥のような存在に見えていたに違いない。


 「兄ちゃんも、がんばれよ!」

 

 心の中で、5歳の少年に精一杯のエールを送った。大槻園長の意識の中には、もはや、非科学的とか、そんな言葉は存在していなかった。

 ふと窓を見ると、母子連れが彼に向かって手を振っていた。

 彼も、思いっきり手を振り返して、よつ葉園のある丘を降りてゆく二人を見送った。その日を境に、よつ葉園で幽霊を見たという声は聞かなくなった。

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