粘性流体生物

著:ブレイメーン

 はじめまして、私の名前はブレイメーン。


 今でこそ魔獣使いと呼ばれる私だが、生まれたばかりの子牛が足を震わせながら立つように、私にもそういうふうな時期があった。


 その時の私は子供だった。色々な境遇や巡り合わせの悪さもあり、若くして天涯孤独であった私は湖のほとりにある小屋に一人で暮らしていた。昔からあまり人付き合いが得意でなく、友達らしい友達もおらず、騒がしいことは嫌いなので動物ばかりが遊び相手だった。遠い記憶の中で父に買ってもらった『猛獣・狂獣のさわりかた』という本が私の人生を決めたと言える。暇さえあれば舐めるようにその本を読み、傍らに犬か猫かを抱えていることが多かった。


 人と、動物以外の生き物と深く触れ合ったのは、確かあの頃だ。

 身寄りを無くしてから一年が経ち、まあなんとか食ってはいけるかな、というくらいの生活力を身に着けた頃だった。薪割りを終え、その日にやらなければいけないことは終わったので湖のほとりで本を読んでいた。

 ……妙な音が聞こえてきた。水気を含んだ音、一定の間隔で二本足の歩き方のように聞こえる。

 ずっちゃ、ずっちゃ、ぐっちゃ、ぶちゃ……。文字に例えるとこんな感じだ。

 隣で寝そべっていた親友が急にワンワンと吠えたてた。のんきな私はようやくその時に危険を察知したのだ。

 振り返って見れば人型のぬらぬらと光る半透明のものがずっちゃずっちゃと音を立てながら迫ってきていた。

 粘性流体生物。通称、粘魔と呼ばれる魔物。闘位七星でも初位一つ星がつけられる一般人には到底敵わない生き物だ。私の頭がそれを粘魔だと判断した瞬間にとてつもない動悸がおそってきた。死ぬ! そう思った。生きることにそれほど執着はないほうだと思っていたが、いざ死ぬかもと思えばそれはもう恐ろしかった。まだ死にたくなかった。まだ何もしていない。もうちょっと美味しいものを食べたり、親友の犬、ケリーの世話がしていたかった。


 けれど腰が抜けて立てなかった。

 粘魔は私の前に来てぶるぶるとその身を震わせる。粘魔、どんな魔物なのか私はよく知っている。『猛獣・狂獣のさわりかた』という本にも粘魔のことは書かれていた。粘魔は水辺に生息する魔物で、生殖の仕方や発生の瞬間などはよく分かっていない生物だ。あらゆるものをその半透明の体に取り込むことが出来、取り込んだ物質を体内にある酸を使って溶かし、栄養としているらしい……らしいというのは分析が難しく確定された生態ではないからだ。


 食べられちゃうのか、私は! 食べられるかどうかは分からないけど、少なくとも取り込まれるだろう。それから酸で溶かされるのだ。酸で溶かされるのはさぞかし痛いんだろうな……。


 あぁ、短い人生だった。親友のケリーを繋ぐ首紐を外してやって自由にしてやった。犬なら粘魔からは逃げられるだろう。粘魔はあまり早く動ける魔物ではない。お前だけでも逃げろ! と、心細さに打ち勝った私が何とか親友を手放したというのに、ケリーはその場から動かず粘魔に向かって吠え続けるのだ。


 待ってくれ、やめてくれ、泣いてしまうよ、そんなの……。

 ……。

 ?

 顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたが、一向にその時が来ないものだから思わず改めて粘魔を見上げた。ぶるぶるぶる……と震えているのみだ。

 あれ? 襲われないのかな。どうしていいのか分からないので、何となくじっくり観察していた。

 薄い緑色の、半透明の体。人型の、体型からいって女の人を模した粘魔だった。そういえば珍しい。普通の粘魔は玉のような形をしていることがほとんだ。なにかしらに形をとれる粘魔は闘位七星が二つ星に上がるくらい強さも増す。これはますます勝ちようがないわけだが……いまだ襲ってはこない。

 ……しかし、綺麗な肌? 肌ではないだろうが、綺麗な表面だ。ぶるぶるぐにゃりと常に形をとどめない粘魔は特大の水あめのようだ。

 つい、なぜそんな無謀をしたのか分からなかったが、粘魔の体を触ってみた。

 思っていたより弾力がある。手が沈むかと思ったが、むにゅりと跳ね返される。私のお尻の感触とけっこう似ている気がした。ひやりとした感触が気持ちよく、さわさわとさわり続けていたら、粘魔が体をぐにゃりと曲げた。ついでに声? らしきものも上げた。

 「ぷりゃあ~」

 間の抜けた声だ。いや、音?

 小さな女の子の甲高い声が水の中から聞こえてくる……と、伝わるか分からないがそんな感じの音だった。たぶん、その時にはもう、こう思っていた。異常というのは本当によく承知しているところだが、可愛いと思ってしまったのだ。


 抜けていた腰に力が戻ってきた。すぐに立って脇目も振らず逃げるべきだけど、私はそうはしなかった。もう揺れる粘魔に首ったけだ。どうなっているんだろうか、この子の体は、半透明の体は隅から隅まで透け透けだ。粘魔というのは体の透明度が高ければ高いほど強い魔物だ。低級の粘魔であれば体積の半分くらいは黒緑色の濁りが混じっている。この子の体はどこまでも澄んでいる。春の小川のように柔らかな薄緑色で一色だ。濁りは一点もない。加えて人型に変形している……。闘星二つ星で効かないかも知れない。


 「ぷぅりあ~」

 また鳴いた。

 しばらく触り続けて分かったけど、ここを撫でると「ぷりゃー」と鳴くようだ。

 ちょうど人の胸くらいにあたるこの部分だ。左右でかなり大きさが違うが胸のようにふくらんだ胸っぽいところを下から上にさするように撫でると「ぷぷりぁあ~」とこの通り鳴く。

 あぁ、ちょっとまずいな……本格的に可愛く見えてきた。

 どうしようか、連れて帰っちゃおうか? いやいや、それはまずいよ。まずいよなあ……と思いながらも手を引いて粘魔を連れて歩いた。特に嫌がる素振りもなく、ずっちゃずっちゃという足音をすぐ横で聞きながら家に向かった。何とも不思議な感じだ。ケリーはずっと唸っていたが、私の粘魔を連れて帰る意志を読み取ったのか、まん丸の目に疑問を浮かべながらも威嚇の声はやめてくれた。ケリーは器が広いな。


 さて、家に着いた。どうしようか。

 日は傾いて夕暮れ時。とりあえず夕食の支度をしよう。粘魔についてあれこれ構いたかったけど、すべきことは済ませてからにしよう。芋の皮を剥いて鍋に突っ込んで、水は少量で火にかける。ふかし芋だ。あとは豆と野菜の切れ端のスープ。塩をけちったので少し薄味だ。

 ほくほくの芋をケリーと一緒に食べていたら、粘魔の視線をじーっと感じる。いや、目はないけど。

 芋、食べたいんだろうか? 魔物ってなに食べるんだろうか。芋をあげてもいいのかな。私の食べかけの芋を半分に割って粘魔の前に置く。粘魔はぼーっと芋を見ているような雰囲気だった。やがてそろそろと手(手ではないだろうけど)が伸びてきて芋に巻きつく。粘魔の手がぐるぐるに巻きついたと思っていたらいつの間にか体の中に芋を取り込んでいた。薄緑の体の中で芋の欠片がふよふよと浮いていた。なんだか凄く違和感だ。


「美味しい?」

「ぷりぇ」

ぉお、まさか反応があるとは。私の声に反応したのか、それとも偶然に鳴いただけだろうか。粘魔の体に入った芋はなかなか溶けない。溶かすための酸が強力なほど粘魔自身も強い個体だそうだが、そもそも今は溶かす気がないのだろうか。手のひらで隠れるくらいの芋がこの粘魔に溶かせないとは思えない。

 食事を終えて体を拭いたりして、一日も終わりを迎えたなと思う頃。流石の私も粘魔との今後を考えるようになっていた。どうしたものか。ケリーはすっかり粘魔と友達になっていた。ケリーが粘魔の体をぺろぺろと舐めている。舐め続けている。ぺろぺろ「ぷりゃりゃ」ぺろぺろ「ぷりゃりゃ」……。さっきからずっとそれだ。甘いのだろうか? 見た目は水あめっぽいけど。


よし決めた。

粘魔を飼う。

ケリーが嫌がるようなら湖に返すつもりだったが、あの調子で仲良さげだし。この湖には滅多に人が来ない。魔物と暮らす変人が居る、なんて噂されたりはしないだろう。

 粘魔と暮らすと決めたなら色々と調べることがある。食べるもの、寝るところ、気候や好きな物など、一通りのことは知っておきたい。明日は久々に街へ出て本を探そう。あまり値の張る本なら買えないが、図書館に置いてあればいいんだけど。


 私はケリーと一緒に寝床に入る。この家一番の家具といえばこのベッドだ。父が自作した綿広草のベッドは親子三人で寝られるくらい広かった。私とケリーが横になってもまだまだ空いている。新しい家族、粘魔もベッドに招き入れたが、どうやら地べたの方が好きらしく、すぐに降りていってしまった。まあいいや。あの冷っこい体を抱いて寝たら気持ちよさそうだったけど、無理強いは良くない。ケリーが私の脇の下あたりに陣取ってきて、安心するけどちょっとそろそろ暑くて寝苦しいなーと思いながら寝た。


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