騎士王国の青き剣④

著:インパール


 騎士王国ルイーズ侯爵家は、正騎士団と関わりの深い貴族騎士の家だった。

 初代騎士団長がルイーズ家の起源であり、その源流が影響し団内の幹部に名を連ねるのはルイーズ門派が多かった。騎士団長、騎士長、副団長、と首脳陣の全てをルイーズ家が務めていた時期もある。団の最終的な決定や運営の根幹をルイーズ家だけで掌握していたのだ。あまりに偏りすぎるとして暗黙的にルイーズ以外の人間も運営に組み込む方針が取られてはいるが、いまだ騎士の名門は団の中で広く浸透し影響を及ぼしていた。


 そもそもの話、ルイーズ一門は優秀だった。だからこそ当然として優遇される。

 初代騎士団長は団長を務め上げた後、己の技術を剣術流派として拓き、ルイーズ家の人間に広めた。ルイーズ流剣術、通称・舞剣。

 舞う剣の名はルイーズ流の戦い方を見たものが名付けた通り名のようなものだが、いつしか浸透していった。剣の舞いに直線の動きは極めて少なく、流麗に、軽やかに、かわす時は紙一重で、踊るように美しいと見る者は口を揃える。

 通称であった舞剣はいつしか確かな証となった。ルイーズ流剣術を皆伝した者のみが『舞剣』の使い手を名乗ることが出来る。一流の使い手という意味が宿ったのだ。

 その舞剣の使い手として最も記憶に新しい者がいる。今までの皆伝者の誰よりも若く、ルイーズ家の長い歴史でも一、二を争うであろう希代の天才剣士、その名は、レナード・ベス・ルテラ・ルイーズ。

 ルイーズ侯爵家の中心、本家本流に溢れる才気を纏った少年が誕生したのだ。レナードも、そしてルイーズの名も、かつてない繁栄を手にすると誰しもが確信する。


 実際に、レナードは常に期待以上の成果を出し続けた。

 剣の腕は言うまでもなく一級品、身の丈が倍はある大人と打ち合っても負けはしなかった。剣だけではない。ルイーズ家に生まれ、類まれなる才能を持ちながら驕らず、謙虚で、学ぶ姿勢を忘れなかった。子供ながらに理解していたのだ。己の立ち位置がどれだけの人間に見られているのか、子供ながら俯瞰する冷静さと、実行できるだけの器用さを併せ持っていた。

 完璧無比な彼は人柄さえも隙がなかった。分け隔てなく朗らかに接し、柔和な物腰で無暗に怒ることはない。あまりにそつなくやってみせる姿に、気味が悪いという声もあった。だが、どこまでも正しすぎる彼の姿を見て面と向かって野次を飛ばせるような輩はいなかった。健全さに黙殺されるのだ。


 レナード自身としては、無理をしている感覚もなかった。ただの子供のように自由に遊ぶ時間というのはほとんどと言っていいほど無かったが、己の境遇の特殊さと、そして環境の貴重さをよく理解していた。修行も勉強も騎士の心構えも、どれも楽に習得できる物ではなかったが、楽しみながら打ち込めるだけの余裕があった。


 おそらく例外はないだろう、と。

 レナードは子供ながらに自分の人生を予想する。やれるだけのことをやり切る人生だ。

 壁にぶつかることもあるだろうが、それは必ず超えることのできるくらいの障害で、人生をかけて左右されるような例外は一つもない、と。そう思っていたのだ。彼に会うまでは。

 アッシュ・ボウ。田舎村の少年が騎士団に招かれて来るまでは万事恙無く生きてきた。彼を見た時の衝撃は忘れられない。レナードと同じ年でここまで恵まれた体躯をした者は初めて見た。入団前から噂になっていた冠熊との一戦。その爪痕が目の下に真新しい傷として残っている。顔に傷持つ相貌は野性味に満ち満ちていた。

 自分とはまるで対極だ。

 月に一度ある見習い生の剣術大会を経て、尚のことそう思った。

レナードとアッシュはいつでもよく比べられた。同い年、家柄、背丈や顔、騎士としての振る舞い、それからやはり、強さ。

 柔よく剛を制す、剛よく柔を断つ。剛柔で例えられる二人の剣は鏡写しのように反対の代物だった。


 剛剣。剛力の剣、剛腕の剣、聞くだけで想像がつく猛者の剣だ。

 だが、口さがない者達がこうも言うのをレナードは知っている。

 力だけの馬鹿の剣、だと。洗練された舞剣には遠く及ばないと。ルイーズ贔屓の太鼓持ちは言う。若様の敵ではありません。あんな田舎猿の振り回すだけの剣が、技と言えますか。体が大きいだけで他は並、ルイーズの跡取りである若様が負けるはずがありません。

 ……あぁ、その頃だろうか。期待の念に、重みがあることを知ったのは。レナード・ベス・ルテラ・ルイーズは当然達成し続けると誰しもが思っている。一度の失敗もなかったから、常に正しくいつも先んじて成功を積んでいく。これからもアッシュ・ボウに勝ち続ける。貴方なら出来る、易いことだと……。


 ふざけたことばかり抜かしている。

 アッシュの剣が力だけだと? 何を見てそんなことを言っているのか、節穴のぼんくら共はお気楽でけっこうなことだ。少なくとも見習い生でレナードを除けば、剣の扱いは一番上手い。弛まぬ努力を張り続け、身体の才だけでなく剣の道にも愛されている。物心つく頃から剣を触っているレナードと違い、剣を習ったのは騎士団に入ってからだ。恐るべき鍛錬、そして成長の速度、その彼を指して力だけの馬鹿だと、馬鹿はお前達だと太鼓持ちの間抜け共を怒鳴りつけてやりたかった。


 レナードにとってアッシュとは、とても簡単には言い表すことの出来ない存在だった。順風満帆の最中に立ち上がった壁、険しい騎士の道を行く友でもあり、剣の才覚だけでなく身体にも恵まれた嫉妬の対象でもあった。

 アッシュは無作法だ、礼を知るとは言い難い。しかしそのことで彼を嫌ったりはしなかった。むしろ認めていると言ってもいい。まさか年の違わぬ子供がレナードに競り合ってくるとは思わなかった。何度負かそうとも立ち上がり諦めず食らいつく。そんな者は初めてで、嬉しかった。ただ、だからこそか、負けたくはないと強く感じる。

 今の今まで勝ちにこだわったことはなかった。こだわらずして勝ちを重ねここまできた。ここ半年にあったレナードとアッシュの打ち合いは結果こそレナードが勝ちを収めてきたが、その実、もう音に聞こえた舞剣にその余裕は微塵もなかった。紙一重だ、薄紙ただ一枚の上に辛うじて勝ちを得ている。アッシュにはまるでそう映っていないだろうが。


 アッシュに勝つとほっと安堵する。まだ自分は彼より強いと確認できる。そして勝つだけに肩の荷が重くなるのも分かっていた。負けてしまえばどんなに楽か、レナードも人の子か、と一度そう言われてしまえば楽になれる。

 ふいに考えたことがある。

 自分の剣の才能と、アッシュの剣の才能が同じだとして、勝負の明暗はどこで分かれるのか。今はまだ自分の技がいくらか彼を下しているが、数年後はどうだ。アッシュの体は若木のように高くなるだろう。振るわれる剣に渾身の力だけでなく熟練の技術が乗せられれば、自分に太刀打ち出来るのか。

 いつ追い越されるのか、あのの打ち合いであらためて分かった。アッシュはレナードのすぐ後ろを走っている。いつまでもいつまでも、決して休まず追い続ける。その手が届くその日まで走り続けるのだろう。いや、追いついて終わる男ではない。すぐさま追い越し、やがて見えなくなっていくのだろう。

 恐ろしかった。アッシュの強さが。

 豪炎のようなその闘志が。

 いつか迫り来る敗北のその時が。

 レナード・ベス・ルテラ・ルイーズとは、こんなに窮屈な思いをする人間だったろうか。


 そんな時だった。

 でっちあげたような理由でウーリの家に招かれ、奥の部屋で隠れていろと半ば押し込まれる。なにがしたいのか見当もつかないでいるとやってきたのだ。アッシュが。

 息を潜めて会話に耳を欹てる。酒の入った二人の声は随分大きく、聞こうとせずとも入ってきた。散々馬鹿話を聞かされた後で、らしくないアッシュの声に驚いた。

 内容を聞いてまた驚かれた。

 同じ苦悩を、分かち合っていたとは。

「やることは変わらない。今まで通り、ひたすら強くなろうとすりゃいい、そうするしかないんすから」

 絡まりあった糸がすっと解ける気がした。

 ごく簡単な当たり前の言葉が、アッシュの口から出るだけで、強く共感を呼ぶ。「強くなるしかない」だなんて、そんなことはいつでも心得ていたはずなのに。初めて聞いたように新鮮だった。

 心の雲が吹かれ消えていく。

 レナードはウーリの家をそっと抜け出す。せまい出窓を潜って、体を起こすと夜空の月が目に入った。

 夜を照らす冷たくも柔らかな光、レナードの今の気分によく合っている。

 月夜に誓うように小さく呟いた。

「アッシュ、僕も負けないよ」


 それからしばらくの月日が経ち、アッシュとレナードは共に剣を構え、向かい合っていた。

 今日は二人の正騎士認定試合だった。通常は成人する年に認定試合を組むのが古くからある正騎士団の習わしだったが、はやり二人は特別待遇だ。これに合格すれば三年繰り上げで騎士見習いから卒業し、晴れて一人前の正騎士を名乗ることが許されるようになる。

 試験内容はアッシュとレナードの一騎打ち、当然、練習試合で使う木剣ではなく、刃引きすらされていない正真正銘の剣を使った試合だった。合格の規定は詳しく説明されなかった。勝ったほうを正騎士とする、というような宣言もなく、戦い合うことだけを言い渡され、そしていま二人は対峙している。

「お前とやり合うのは久しぶりだな、レナード」

「そうだね。剣を交わすのは久方振りだ」

「お前を倒して俺が正騎士になる。今日は最高の日だ」

「勝ったほうが正騎士になれます、なんて説明はされていないと思うけど? そもそも君、まだ一度も僕に勝ったことないだろ」

「ごちゃごちゃうるせぇよ。今日ここで俺が勝つんだよ」

「……うん。まあ、いいや。良い勝負をしよう」

「余裕かましやがって。そんじゃあ……。行くぞ!」

 怒涛の剣戟が始まる。

 認定試合を見に来た観客がわっと叫んだ。

 見習い生だけの剣術大会は騎士団の内々のものだが、認定試合は国の行事として数えられている。市民には良い見せ物で、訓練場の周りには屋台まで並んでお祭り気分だった。繰り上げの認定試合は滅多にないことで客も大入り、熱気のこもるその場のただ中で、二人の少年が駆け回り剣を振るい合う。

「おいおい、こいつらホントに子どもなのかよ」

 誰かがそう口にすると事情通の世話焼きが出張ってきて熱心に説明していた。

 でかくて厳つい方がアッシュ、髪の長い可愛い顔した方がレナード。

 いずれ騎士団を背負って立つ有望なる若き剣だそうだ。

 百年に一人の逸材だと噂されるレナードと、それに匹敵し追従するアッシュ。これからの騎士団は勢い付くぜ、と世話好きは興奮気味の早口だった。

 「ふーん、そうなのかい。まだ子供だってのに、この先どうなっちまうんだろうなぁ」

 今日初めて二人を知ったらしい男がぼんやりとそう言った。

 この男に限らず、二人に近しい者であれば絶えず空想せずにはいられない問題だった。

 行く果て、どちらかが騎士団長を務めたとしても不思議はないだろう。二人が騎士隊を率いて大きな任務を果たしてみせるかもしれない。この二人ならば、と思わず夢を見るほどに何か大きなことを成してくれるのではと期待してしまう。

 アッシュとレナードの戦いは終わらない。いまだ二人は互いへ立ち向かい続ける。この認定試合の瞬間的な戦いだけでなく、この先もずっと二人は向かい合い、張り合い続けていくのだろう。負けられないと思うから、勝ちたいと思うからこそ、ぶつかり合い、しかして奇妙な繋がりをもって続いていく。


 際立った大きな歓声が響く、どうやら今日の決着が着いたらしい。

 勝ったほうは剣を掲げ、負けたほうは身が裂けそうな顔をして悔しがっている。

 今日のこの日が、相手と競い合う日々が、これからも連綿と続いていくのが、二人の物語なのだ。

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