第12話「何事にも左右されない清き一票」

 なるほど。

 みんなが立ち竦む理由も、分かるような気がした。

 獲物を狙うかのような全社員の鋭い視線がこちらに集中している。そんなところに曝されて、気が休まるものではない。

 ここに立った者だけが感じるであろうプレッシャーが、私にも押し寄せてきていた。思わず、耳や尻尾も垂れ下がってしまう──。

「どうしたんだい? さぁ、出しなよ」

 催促してきたのは社長ではなく、久里浜だった。

 藤堂に大差をつけ、安全圏に到達する票数を確保できたので、勝利を確信しているようだ。

 私は台の上に前脚を置き、体を持ち上げた。

 そして、札を口に銜える。

──赤札。

 なんの躊躇もなかった。

「なんだとっ!?」

 久里浜が驚きの声を上げて、椅子から立ち上がる。

 社員一堂もそうである。私が赤札を投じたことが意外だったようで、ざわざわと騒がしくなる。

「何でだよっ!?」

 何やら久里浜が私の背中に向かって叫んで来ていた。でも、私は気にせずに壇から下りた。

──場のプレッシャー?

──群集心理?

 そんなものは、私には関係ない。

 何故なら私は——犬なのだから。

 人間たちが作り出した、そんな存在もしない幻想には左右されない。


 私が階段を下りると、先輩と沙織ちゃんが駆け寄って来た。

「お前は会社の為に、突然のことをしたんだ! 凄いよ、その勇気!」

「本当に勇敢な人だわ。私、感動しちゃった……」

 尊敬の眼差しを向けてきた沙織ちゃんの目から、ホロリと涙が溢れた。

「……久里浜、反対!」

 ボソリと、観衆の中の誰かが口にした。

「反対! 久里浜、反対!」

 それに呼応するかのように、次々に観衆の中で声を上げる者が現れる。

 始めは小さかったその声も、やがて社員が一丸となって口にしていた。

 久里浜に向かって、社員たちは一斉に反対コールを唱え始めた。

「な、何じゃこれは……?」

 突然の反対コールに、社長は唖然となる。

 久里浜は社長からマイクを引っ手繰ると、社員たちに向かって叫んだ。

「なんだと、お前ら! ふざけるな!」

 しかし、久里浜の叱責は社員たちの反対コールによってかき消されてしまう。

「辞めろー! 辞めろー!」

 事態の収集が付かなくなり、社長も困惑しているようだ。

 社長は後ろを振り返り、プロジェクタースクリーンに映し出されている投票結果に目を向ける。期日前投票も含めてほぼ青一色で、久里浜に信頼が集まっているように見えた。

「これだけ票が集まっているというのに、どういうことじゃ?」

 投票箱に積まれた青色の札──今し方、久里浜への支持の表明した社員たちが、それを反故にするかのように反対を表明し出した。

 これには、社長も首を傾げるばかりである。

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