第7話「お茶くみ業務」

 翌日、私が出勤すると、先輩がどうにも嫌そうな目で部長のデスクを睨み付けていた。

 部長の席に久里浜がどっかりと腰を下ろして踏ん反り返っている。

 私が自分の席に着くと、先輩は顔を伏せて肩を震わせた。

「あー、喉が渇いたなぁー!」

 久里浜が伸びをしながら大声を上げる。

「おいおい、湯呑ゆのみが空になったよ。誰もお茶を入れてくれないのかい?」

 厭味いやみったらしく言いながら、久里浜はチラチラと先輩に視線を送る。

「気が付きませんで、申し訳ありません。お茶でしたら私が……」

 堪らず沙織ちゃんが気を利かせて立ち上がった。

 ところが久里浜は、そんな沙織ちゃんをいやしい目付きで睨んで手を振る。

「いやいや、いいよいいよ、君は。別に女性の仕事ってわけじゃないし。それに僕はさぁ、彼に言ってるんだよね。横柄にこの場に居座るなら、お茶汲みの一つでもしてもらいたいものだよね」

 先輩は唇を噛み、ブルブルと怒りに肩を震わせた。

 しかし、そんな鬱憤うっぷんを全て飲み込み、自身を落ち着けるように深く溜め息を吐いた。先輩は立ち上がると、久里浜の湯飲みを取ると給湯室へと向かっていった。

 何が起こっているのか、私には理解し難い。相当な心理戦でも、繰り広げられているのだろうか。


 蚊帳かやの外となった沙織ちゃんが私の後ろにやって来て、ボソリと耳打ちをしてくる。

「ムカつきますよね、久里浜の奴……。先輩も、あんな男のご機嫌取りをしなきゃならないなんて、最悪ですよね……」

 私は首を傾げたものだ。言語が分からないので、私には言葉の返しようがない。

 沙織ちゃんはそんな私の反応に、何やら勘違いしたようだ。

「ああ、そうか。何で久里浜が居るのか分かりませんものね」と手を叩く。

「久里浜が次期社長になるのは、役員の中でも確定みたいなんですよー。だから久里浜の奴、調子に乗っちゃって、本性を剥き出して好き放題にやりに来たって訳ですよ」

 忌々いまいましげに沙織ちゃんが言っていると──。

「お待たせしました!」

 給湯室から出てきた先輩が、勢い良く湯呑みを久里浜のテーブルに置く。

 勢いで湯飲みの中のお茶が波打ち、こぼれてしまう。

「おいおい……」

 久里浜は肩を竦めた。

「これだから万年サラリーマンは困るよ。お茶の一つも入れられないのかい?」

「すみませんね! 会社のために働いて仕事をするしか、脳がないものなんでね!」

「その仕事も君に回してやれるかは考え直さないとね。そんな態度で、取引相手に接せられても困るしねー」

「そいつは、すみませんでしたね!」

 フンッと鼻を鳴らし、先輩はそっぽを向く。ズカズカと足音を流しながら自分の席へと戻った。

 それでも、怒りがおさまらない様子の先輩は腕組みをする。

「ふんっ、いい加減にしてもらいたいよ!」

 沙織ちゃんも先輩の心情を察して「お疲れ様でしたー」とねぎらいの言葉を掛ける。

「でも、随分と大胆なことをしますねー。こりゃあ、クビ確実ですよ」

「うわぁ……どうしよう……」

 沙織ちゃんの指摘を受けて我に返った先輩は──先程までの威勢は何処どこへやら、途端とたんに頭を抱えた。

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