第11話

 十年後。

 関東にあるとある刑務所から一人の男が出てくる。体型は大分変わったが、幸内だ。健康的な食生活に大分絞られたらしい。

「世話になりました」

 入り口の警察官に礼を述べるとボストンバック一つで道を歩き始めた。

 その横をゆっくりと後ろから車が近づき、幸内の横を通り過ぎて少し前で止まった。

 リアウィンドウが開き見知った顔が頭を出す。

「お勤めご苦労様です、その、父さん」

「おう、……出迎えはお前か諒太」

「俺だけじゃないよ。ちょっと待ってていま開けるから」

 加州は車から降りると助手席側の後ろのドアを開けた。

 加州は十年たつ間に幸内とのわだかまりを解消したらしい。

「おうすまねえな」

 幸内は加州の頭を軽く撫で後部座席に乗り込むと、運転席の後ろの席に鷹松が腰を下ろしていた。

「親父、お勤めご苦労様です」

 鷹松が頭を下げると幸内は嬉しそうに笑った。

「少し痩せましたね。新しいスーツ仕立てましょうか」

「麦飯ばっかりだったからな。……昔の奴があるからいらねえよ」

「そうですか。ちょっと残念」

 鷹松は笑う。大分前スーツを仕立てたときのことを思い出していた。あの時は加州に合いに行く前で、少し太ったからという今とは逆の理由だった。息子は卒業だと思ったのが今は懐かしい。

 あのころより大分体重の軽くなった幸内は鷹松の横に座るとシートベルトを締めた。

「諒太、車を出してくれ」

「はいっ」

 鷹松に言われ、加州は幸内が座る横のドアを閉め運転席に戻ると、シートベルトを締めた。パーキングからドライブに変え、加州はアクセルを踏み込む。

 三人を乗せた車はゆっくりと走り出した。

 灰色の無機質なコンクリートの建物がゆっくりと後ろに流れていった。

 幸内を乗せた車は刑務所をあとにし、東京の幸内邸に向かった。



「な、んで……」

 撃たれたのは鷹松ではなく、幸内のすぐ横にいた勝浦だった。

 銃弾は勝浦の横っ腹をえぐって、体内に留まることなく部屋の柱を貫いた。胃でも傷つけたのだろう。勝浦の口の端から赤い血があふれ出していた。

 鷹松はとっさにホルダーにしまってあった銃を引き抜き、勝浦に向けた。万が一勝浦が幸内を攻撃しないとも限らないからだ。

「鷹松、おめえがここに到着する前にすでに諒太からは電話を受けていた。号泣してて最初何を言ってるのかわからんかったがな。その時に勝浦、テメエの名前はすぐ出ていた。いろんな知恵を与えたのはお前らしいな。おめえは若い頃からの付き合いでそれなりによい付き合いだと思っていたから、諒太の言葉に俺はまさかお前がと半信半疑だったよ。でも、さっき本当のことなんだって分かっちまった」

「……それは、どういう……?」

 鷹松が問う。鷹松にとって何がなんだか分からない。何がどうなってこうなったのか。

 それは他の組員にとっても同様だろう。

 さっきまで加州が事の犯人だったはずだ。加州を撃つならともかく、組長を守ったはずの勝浦が撃たれるのは理解が追いつかない。

「赤崎のシマがもともとうちのものだっていうのは倅はおろか、鷹松にも伝えてなかったんだよ。俺と兄弟の杯を交わした奴らだけが知っていた。いつか組をわけることがあったとき渡すものがなければ赤崎のところと交渉して渡すつもりだった。それがこんなになるなんてな」

 幸内の心中は分からない。

 ただ鷹松はもし橋本や堀越がそうであったならと考えると心が凍りそうだった。

「親父、アンタは俺たちではなくそこの若造を若頭に選んだ。あげく実子とかいってほかの何も組の事わからねえ奴を連れてきた。俺は、ずっとアンタに尽くしてきたっていうのに、ひでえじゃねえか」

 勝浦は胸元を押さえ、血を飛ばしながら不平不満を垂れる。勝浦の顔は醜くゆがんでいた。今までのうらみつらみが一気に噴出したかのような、鬼のような表情だった。

「俺はずっと不満だった。俺の何が悪い。俺だけじゃねえ。松浦だって、他のやつだってアンタと一緒にやってきた。それがろくな役職にもつけず、うまい汁もすすれずついてきた意味がねえじゃねえか。だから俺は」

「……そういうところだよ。お前のそういうところが俺は気がかりだった。てめえはいつだって結局は自分がうまい汁をすすりたい。他の奴らはどうでもよくてな」

 幸内は再び銃を勝浦に向けた。

「諒太をいさめるどころかけしかけるとは、とことんお前はクズだ。……先に地獄に行ってな。あとでとことん愚痴をきいてやる」

 勝浦は役職につけず、松浦は若頭になった。

 うまくやれば三次団体の組長として独り立ちすることも出来ただろう。でも勝浦は出来なかった。

 鷹松は銃を構えながらじっと勝浦を見つめていた。

 働きに見合わぬ扱いに不満を述べる男に、鷹松は同情を覚えていた。自分も同じ立場だったら不満を抱くだろう。

 でもだからと言って同業者を売ることなんてしない。ましてや自分の組の人間を罠にはめたりなんてしない。

「じゃあな、勝浦」

 幸内はそういうと勝浦に向けて銃を撃った。

 鼓膜を叩くような破裂音がして暖かいものが鷹松の顔にかかった。

 銃口の先、勝浦だったものは頭を半分吹き飛ばしゆっくりと後ろに倒れていく。

 頬をぬぐうとやはり血だった。

 畳の上に赤い血が広がっていく。

 幸内は弟分だった男の死体を眺めながらわずかに肩を落とした。幸内の背中が小さくみえたのはきっと幸内の悲しさを垣間見たからだろう。今まではどんなことがあったとしても弱さなど見せない男だったというのに。

 それでも幸内は、松浦を失ったときの鷹松のように泣いたりはしなかった。

「すまんな、鷹松。肝が冷えただろ」

「……はい」

 鷹松は素直に答えた。肝が冷えたどころの話ではない。

 ひでえ話だと思った。

 鷹松の表情を見て幸内は申し訳なさそうに頭を下げた。

「そいつはすまなかったな。しょんべんでも漏らすかと思ったがそれはなさそうだな」

「それはまあ」

「……おう、幸内だ。人を殺した。迎えをよこしてくれ」

 幸内は鷹松のいる前で携帯を取り出しどこかにかけた。話の内容から察するに警察だ。

「鷹松、誠光組には委細伝えてある。面倒だが、組を頼む。そして馬鹿息子も。風当たりは強くなるだろうが、あいつにはちゃんと罪滅ぼしをさせてやってくれ。あと……救急車を呼んで病院にいってこい。畳がひでえ有様だ」

 指摘されて傷口からまた血が噴出しているのにやっと気づいた。

 そして事態が収まってやっと、加州の泣き声は止んでいたことに気づいた。

 失神でもしたかと加州が連れて行かれたふすまのほうをみると、加州がこちらをみていた。最初はぼうぜんとしたような表情だったが、鷹松が幸内の言葉に了承を伝えると、加州はゆっくりと幸内に向かって頭を下げた。

 


 そのあと、通報どおり警察がやってきて幸内は捕まった。

 勝浦の死体は何処に埋葬されたのか分からないが、後日妻だという女性が頭を下げに来た。やくざの妻も夫の仕事のことは理解しているらしい。その筋の女だったかもしれない。啼きも恨み言もこぼさず凛としてたいしたものだと、若いながらに鷹松は思った。

 その後、鷹松はほかの上層の組員たちとともに現状の回復に努めた。

「誠光組からは許しは得られたのか?」

「ええ。上納は随分と絞りとられましたけれど」

 と、鷹松は笑った。

 車はしばらく走り、幸内邸の前に着いた。加州が車を降りると、すぐ後ろに座る鷹松側の扉を開けた。

 ――いや。

 幸内邸というのはもうおかしい。

 到着した車に、玄関前に集まっていた強面の男たちが入り口の門の両脇に並んだ。

「おかえりなせえ、組長!」

 男たちの声が響く。街路樹に止まっていた小鳥たちが男たちの声に驚き一斉に飛び立った。

「うるせえよ、お前ら。ご近所さんに迷惑だろうが」

 鷹松はそう言いながら、車から笑って降りた。




 鷹松水哉は一年前、誠光組の許しを得、本条組二代目組長となった。

 強面の男たちに両脇を固められ、邸宅へと入る鷹松の背中は、幸内の目には頼もしく映った。

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蠅の一生 中邑宗近 @n_munechika

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