第8話

 布団から覗いた肩が、冷えた空気のせいで随分冷たくなっていた。

 寒い、と身震いするとその肩に暖かいものが押し当てられる。誰かさんの腕だ。

 人肌は温かい。鷹松がすりつくように加州に身を寄せると、加州は体を抱きしめてきた。抱きしめ返したい気持ちはあるが、それは鷹松の前に引かれる最後の一線だった。今は越えることはできなかった。

「んん、水哉ゆきちかさん」

 猫のように顔をすりつけてきて、頬に触れる髪がくすぐったい。顔を背けようかどうしようか夢うつつで悩んでいると、電話の音が鳴った。

「ちょっとどけ」

 身動きすると抱きしめる力を強める加州を押しやりながら、ベッドサイドにおいてあった携帯をとった。

「もしも……」

『鷹松、大変だ』

 最後まで言う前に橋本の焦った声が耳に飛び込んできた。普段飄々とした口調の橋本がそれを取っ払うのは珍しい。

「どうした?」

 自然と鷹松の声も低く警戒を帯びる。

『赤崎金融にガサ入れが入った』

「んだって」

 赤崎金融を保持する赤崎組は直接の親子関係はない。別の二次団体から派生した三次団体だ。だが、鷹松達は知らなかったが、場を融通した経緯がその実あり本条組と赤崎組、とくに提供した場にある赤崎金融はずぶずぶだった。

 その赤崎金融にガサ入れがあったとなれば、本条組にも余波が及ぶ。下手をすれば捜査の手が伸びる可能性があった。大体はそれなりにつながりのある丸暴の刑事からの垂れ込みがあるが、今回鷹松の耳には、がさ入れの話は入ってこなかった。

「んー水哉さん」

 いまだ夢のうちにいる加州が甘えた声を出して引っ付いてくる。

 鷹松は起き上がると加州の大きな体を蹴り飛ばしてベッドから落とした。

「イッテエエ」

 加州の悲鳴が聞こえるが鷹松は一瞥しただけだった。

「それでそっちは?」

『俺のところと堀越のところはまだ。そっちは……』

「これからいく。多分警察がくるならうちのところからだろ。お前も堀越も裏は別に移動させるか始末しておけ」

『分かってる』

「で、なんの容疑で捜索がはいったんだ?」

 鷹松はベッド脇に放り捨ててあった下着を加州に放る。加州はそのパンツを鷹松の前で広げた。鷹松はごく自然にパンツに足を突っ込み、加州がパンツを尻まで上げるのを待つ。

『赤崎が管理してる店で薬物が出たんだと。あとデリヘルも何人かやってたくさい』

「ああ、薬。うちはやらせてねえから……でもデリヘルがつかってたらわからねえな」

『まあそういわれるとうちの子たちも分からないけど』

「お前が気づかないわけねえだろ」

『全部はわからないよ。女の子増減あるし』

 加州は自分の下着をつけると、用事を言い渡されるのを待つ犬のように鷹松の前で正座する。鷹松はクローゼットを指差し、自分のほうにもってこいととジェスチャーする。

 加州は慌ててクローゼットに向かい、スーツ一式とワイシャツとTシャツ、ネクタイを取り出した。

「叔父貴達は?」

『まだ連絡してねえ』

「じゃあわりぃけど回しておいてくれ」

『ほいよ』

「後何か進展があったら連絡くれ」

『分かった。じゃあまたあとで』

 ぷつり、と通話が切れると鷹松は携帯をベッドにいらいらした態度で放る。

「すぐ出るぞ」

 加州が用意したTシャツをかぶると、ワイシャツを手に取った。

「はいっ」

 加州も脱ぎ散らかした服をかき寄せ、着こんでいく。

「何があったんですか?」

「宇都宮のところでガサ入れだとよ。お前にやらせてる女、問題ねえだろうな」

「ラリってるのは居ないと思いますけど」

「思うじゃなくて事務所着いたらしてすぐに確認しておけ」

「はいっ」

 加州は先に着込むとスーツを着ている鷹松の首にネクタイをまわした。ウィンザーノット。加州は器用にネクタイを結んでいく。いつもとは違う結びにした。

「じゃあいくぞ」

 鷹松は玄関脇の車の鍵をとると食事を取るまもなく外に出た。



 幸い事務所についた時点では警察は来ていなかった。先に来ていた組員に金庫に入っていた裏帳簿を取り出させると、管理を任せている舎弟頭に渡す。何も言わず顎をしゃくると、舎弟頭は受け取り、急ぎ事務所を出て行った。

 金庫には変わりに取引のでかい契約書をつっこんでおいた。

「警察がきてもここで止める」

 薬を取引するのは本条組はタブーとしている。足がつきやすく警察に目をつけられやすいからだ。そして幸内の性格も麻薬の取引は許せなかった。故に、鷹松達上位陣の目を盗んで取引をしていない限り、麻薬取締官、通称麻取は来ない。本条では薬は扱っていない。そのくらいのデータは警察でも持っている。

 自分たちが管理していないのに警察が本条が薬をやっているという情報を持っているわけはない。あるわけがないのだから。

 鷹松は携帯を取り出し、着信履歴を確認した。

 待ち人は来ず。

 ならば万が一もないだろう。

 鷹松はタバコを取り出すと口に咥え自分の席にどかりと腰を下ろした。

 周りがばたばたとあわただしくしている中、一人青ざめた顔の人間が突っ立っていた。

「おい、加州」

 鷹松はそいつの名前を呼ぶと、はっとして加州がよってきた。

「ん」

 口に咥えたタバコを揺らすと加州はライターを取り出した。

「そこ座って落ち着いてろ」

「は、はい」

 加州はライターに火を点そうとフリントを指で何度か回す。が火花が散っただけで火がつかない。指が震えてうまく火がつかないらしい。鷹松は軽く舌打ちをしながらライターを加州の手ごと掴んだ。

「大丈夫だからおちつけ」

 鷹松は再度言い聞かせるようにいうと、フリントを回してライターに火をつけた。加州の手を掴んだまま強引に顔の近くまで引き寄せタバコに火をつけた。

「落ち着いたら女の確認すませておけ」

「はい」

 加州の声はどうにも弱弱しく不安げだった。



 ジリリリリリリ。

 鷹松が事務所につめてから数時間後のことである。

 鷹松のデスクの電話がけたたましくなった。鷹松はすぐに受話器を上げた。

「おう、俺だ」

『親父が狙われた!』

 受話器の向こうから聞こえてきたのは焦った橋本の声だ。先ほどとは比べ物にならない。

「んだって? で、親父は」

『大丈夫だ。避けてこけたくらいでたいしたことねえ。堀越と叔父貴の一人が撃たれたけど、死ぬほどじゃなかったから、いま先生のところに連れて行かせた』

「そっか」

 鷹松はほっとした。ほっとしたが組長が狙われ、怪我人が出たのだ。

「撃ったのはどこのどいつだ。まさか殺っちまったわけじゃねえだろうな」

『生きてる。今はかせてる最中だ。けど……』

「けど?」

 すこし歯切れの悪い橋本に鷹松が眉間に皺を寄せる。

『鷹松を出せって叫びまくってる』

「……俺?」

『ああ。詳しく聞いてみるつもりだけど、お前何したの?』

「なんもしてねえよ」

 どこかとやりあった覚えはない。ここ数ヶ月は加州のお守りが多く、どこかとバチバチと火花を散らすこともなかった。まったくもって身に覚えがなかった。だが、なぜ自分の名前が出るのかは気になる。

 鷹松は腰を上げると、デスクの鍵のかかった引き出しをあけ、中からベレッタを取り出す。ホルダーをセットし、ベレッタを仕舞う。ジャケットを羽織ると横に座ってこちらを伺っていた加州の肩を叩いてから歩き出した。

「親父が狙われた。あっちに戻るからてめえらは戸締りして適当にはけろ」

 そう組員に指示をだすと加州を連れて扉をくぐった。

 早歩きで廊下を歩き、地下の駐車場に向かう。

「いまからそっちに向かう。生かしておけ」

『わかった。お前も気をつけろ』

「おう」

 通話をきり、携帯電話を胸ポケットに仕舞う。カンカンカンカンと踵が立てる音が廊下に響いた。

 地下駐車場には数台、組所有の黒塗りのスモークガラス装備の車が止まっていた。窓ガラスはしっかりと防弾仕様だ。

 鷹松が停車している車のもとへ駆け寄るその瞬間。

 大きな破裂音とともに、鷹松の肩が強く押された感触がした。続いて腿を突かれたような衝撃があり、鷹松はコンクリートの床に転がった。

「鷹松ッ! シネエエッ!」

 鷹松の頭近くのコンクリートがはじける。

「クソッ」

 肩はさほど痛みはなかったが、右太腿に激痛が奔った。鷹松は地面に手を付いて車の陰に飛び込んだ。ビルからの駐車場の出入り口を見たが加州の姿はない。どこかに隠れてるのだろう。

 どうやら撃たれたらしい。肩はかすっただけだが、太腿はしっかりと銃弾を受けている。裏に手を回しても濡れていないから銃弾は中で止まっている。最悪だった。

 鷹松は胸元から銃を取り出した。

 車からそっと顔を覗かせると近くで花火が散った。

「ここでどんぱちするんじゃねえ」

 この厄介な日に、余計な火種を持ち込むなと鷹松は舌打ちした。

 実際そんなことを気にしている余裕はないのだが、鷹松はここで自分が死ぬとは思ってはいなかった。

「鷹松、どこだっ」

 自分を撃ってきた輩は苛立ちを隠しもせずこちらにと近づいてくる。鷹松は場所を移動しようとしたがつま先を少し動かしただけで腿が激しく痛んだ。これでは逃げられない。

 相手が来るのを待ち、姿を見た瞬間、撃つしかなかった。

 お勤め。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

「は、冗談じゃねえ……」

 今? このタイミングで? 俺の本条を巻き込むというのか。

 鷹松は苦虫を噛み潰したように顔をゆがませた。

 男の足音は鷹松の心中などお構いなしに近づいていく。

 息を整えながら、鷹松は銃のセーフティをはずした。ダブルアクション式のため、ハンマーを起こす必要がない。あとは引き金を引くだけの状態になる。鷹松は両手でベレッタをもちゆっくりと自分の横にむかって銃を向けた。

 この役職になったからと言って荒事が得意なわけではない。橋本や堀越よりかは火がつきやすく暴れることもあったが、その時は頭に血が上っているわけで今のように、一歩ずつ近づく足音に気を向け、そのたびに緊張することはなかった。

 生きるか、死ぬか。

 心臓が早鐘を打つ。口の中が一瞬で乾く。

 カツン。

 定期的に近づいてきた足音が止まる。

 いまだ!

「水哉さん、頭ひっこめて」

 鷹松が車の陰から飛び出そうとしたその刹那、鷹松の目の前に黒塗りの車がすごい勢いで止まり、助手席のドアが開いた。

「水哉さんっ」

 運転席から伸ばされる加州の腕。

 鷹松の体は自然と動いた。助手席に無様に乗り込み、加州が鷹松の首根っこを引っ張る。運転席に座る加州の上に半分乗り上げる形になったまま車が発車した。

「テメエッ! 逃げるのかっ待ちやがれ!」

 鷹松をしとめそこなった男の声が駐車場に響く。

 待ってやる義理はない。加州が運転する車は駐車場を飛び出し、裏路地へと消えていった。


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