第6話

「ねえねえねえねえ」

「なんだようるせえな」

 久しぶりに橋本の店に行くと、橋本が嬉しそうに携帯を見せに来た。

 うざったそうに鷹松があしらうが、それでもしつこく橋本が鷹松に絡みつくと、鷹松のほうが根負けした。いつもの席に座り、差し出された橋本の携帯をしぶしぶ覗き込んだ。そこには橋本と一緒に美人が写っていた。楽しそうにピースしあっている。

「ああ……」

 やっと出来た彼女が嬉しいのか。

 鷹松は白けながら一緒に来ていた堀越に橋本の携帯を差し出す。

「ああ、橋本おめでとう」

 堀越は基本的には善人だから素直に祝いの言葉を述べた。

「やあやあありがとう堀越。鷹松は冷たいからおめでとうの一言も言ってくれない」

「うるせえよ」

 橋本を軽く蹴っ飛ばし、鷹松はグラスに注がれた酒を煽る。

「村中君もどうだい?」

 そういって橋本は堀越の横に座っている村中に携帯を見せる。

「ああ奇麗な人ですね。……ん?」

 そういって村中は加州の顔をみてからもう一度携帯に視線を落とす。

「この人、この前……ぁ」

 はっとして村中は口を閉じて携帯を橋本に返した。

「え? 何?」

 橋本は笑顔を貼り付けながら村中に首をかしげる。変なことをいったらただじゃおかないよ、とでも語っているようなオーラを感じ、鷹松は溜息をついた。女関係となるとめんどくさいことこの上ない。

「慎弥、言ってごらん?」

 堀越が橋本を押しのけながら優しい口調で村中に問うた。

「その……加州君に声かけてたんですよ、その人。新宿で」

 村中は橋本と加州を気にしながら話し始めた。

「別に盗み見とかじゃなくてただ遠くから知った顔がいるなって見ただけで、すいません」

 盗み見した気まずさに村中は頭を下げて謝る。別に村中が悪いわけではないが、ただタイミングは悪かっただろうとは思う。アーモンドを一つ前歯で噛み砕きながら鷹松は無関心を装いつつも耳をそばだてていた。

「お、お前っ。俺の彼女にちょっかい出したわけじゃねえだろうなっ」

 半泣きしながら橋本が加州に詰め寄る。

「ちょ、ちょっと。違いますよ。たしかに声かけられたから応対しましたけど。でも別に手を出したりしてないっ。俺は君に興味がないんだけど、俺よりももっと優しくてイケメンがいるよって橋本さんを紹介したんです」

「へ?」

 橋本が素っ頓狂な声を上げ、鷹松も思わず加州をみた。

「めんど……じゃなくて俺はいま仕事覚えるので手一杯だから、橋本さんの写真みせて、まんざらでもないから紹介したんですよ。声かけてみなって」

 鷹松としては嘘くせーと思ったが、橋本はなんだか目を潤ませて加州の手をがっちりと握った。橋本は普段はそこまでではないが、女が変わるととたんに馬鹿になる。いつか美人局にでもあうんじゃないかと気が気でなかった。

 やくざの幹部が美人局に会うだなんて笑うに笑えない。いや恥だ。

「ありがとう、加州。恩に着るよ。お前本当に良い奴だなあ」

「あ、はい……そんなに、喜んでもらえるならよかった……」

 橋本の掌がくるっと翻るスピードに加州は若干ひいたように顔をひきつらせた。

「よし、今日は俺のおごりだ! たんと食え!」

 橋本は立ち上がって、速水にメニューを持ってこさせ、自分で開いてから

「焼肉屋いこう! そこでおごる」

と宣言した。やっぱり店の品よりも焼肉のほうが安い。



 スーツを着ているとじっとりと汗ばむ季節がやってきた。鷹松は締めたネクタイを緩め手で扇ぐ。スーツを脱ぎ携帯をワイシャツの胸ポケットにつっこむと、咥えタバコで夜の新宿を歩いていた。

 最近橋本からの誘いが少なくなった。どうやら彼女とうまくいっているらしい。

 加州は家に戻り、幸内の付き合いであちらこちらで歩いているらしく、今週は事務所を休んでいた。時期がらさして忙しくもないだろう堀越と飯でも食うか、と電話をかけると堀越は一コール目で電話に出た。

「もしも」

『慎弥っ?』

「え? いや……俺だけど」

『……ユキか。悪い慎弥かと思った』

 電話向こうの堀越は珍しく焦っているようだった。

「何かあったか? カチコミとかじゃないよな?」

『ああ、違うよ。さっき事故に巻き込まれたって。で、何?』

 さすがにこの状態で飯に誘う馬鹿はいない。それよりも今言うべき言葉はこれだ。

「早くいってやれ」

『何か用があったんじゃないのか?』

「ばあか、たいしたことじゃねえからさっさといけ」

『ユキ、ごめん、ありがとう。埋め合わせはいつか』

「ん」

 電話はすぐに切れた。ツーツーという無機質な音が手元の携帯から聞こえてくる。鷹松は他の相手を探そうと連絡先一覧を確認し、加州のところで手が止まる。

「さすがにもう終わって……いやいや」

 呼び出すのもさすがにわるい。なれないことで疲れているだろうし、明日以降に誘えば良い。鷹松はそう思い、一人でのメシに寂しさを覚える自分に笑いながら携帯をしまった。

 口に咥えていたタバコを一度口から離し灰をマナー悪く地面に落とすと、もう一度口に咥える。

 かつては一人で飯を食っていたというのに随分と情けなくなったものだ。

 鷹松は、短く笑いながら駅に向かって歩いていった。



 村中は足を骨折する程度の怪我ですんだらしい。飲酒運転の車が突っ込んできて避けそこなったという。避けられただけ大したものだと思う。人通りの多い道ではあったが幸いにも村中以外に怪我人はいなかったらしい。飲酒運転の車は現場から逃走したらしくいまだ掴まっておらず、捕まえてやると珍しくいきまく堀越を村中が警察がしてくれるから、といさめたところまでは聞いた。

 埋め合わせは今度とは言われていたが、それは村中が完治した後だろう。それまでは連絡はこちらからは控えるつもりだ。

 橋本は彼女と、堀越は仕事が終われば村中の見舞いにいき、鷹松の夜の自由な時間は増えた。そうすると横についてくるのが加州だ。

 家に戻ったはずなのに今はまた横にいる。

 最初は一緒していいかと聞いていたが、今はそんなことは聞きもしない。というより家まで押しかけてきては朝までいることも多い。そんなに広くはない家だ。男二人狭かったが、狭いから帰れといっても、「気にしないから」と居座ることが多い加州にいつしか鷹松もあきらめた。

 そのうち広い家にでも引っ越そうかと思いはじめるほどだった。

「今日も板橋にいってくれ」

「はい」

 いつものように鷹松は加州の運転で高島平へと向かった。

 その日は暑くて鷹松は既にスーツの上着を着るのをやめ、ワイシャツの袖をまくりあげていた。ネクタイもはずしワイシャツを引っ張って胸元に風を送る。車内に入ってくる日差しに暑そうに顔をしかめた。

「エアコン入れるっスね」

 加州は鷹松の様子をみて即座にエアコンを入れる。

「そういえばマスさんにいって赤崎さんところの女の子何人か回してもらいました」

「おう。順調だな」

 このごろ加州は鷹松の仕事を手伝いながら、自分でもいろいろと動き仕事をこなしていた。これであれば幸内に加州は使えると伝える日も近い。そうしたら自分の事務所に通わせることもなくなるだろう。

「ヒマになるな」

「はい? 何か言いました?」

「言ってねえよ。前向いて運転しろ、馬鹿」

 振り返る加州に鷹松は運転席を蹴り上げる。小さく加州がシートの上で飛び跳ねた。加州は尻をさすりながら前を見る。

 三十分ほどして車は高島平についた。いつものようにアパート脇に車を止めさせ、鷹松だけが車を降りる。

 アパートは初夏だからかすえた臭いがした。ごみ収集場所にゴミ袋が積まれている様子に顔をしかめる。夏場はさっさと回収しに来て欲しいものだ。鷹松はなるべく鼻で空気を吸わぬようにしながら松浦の部屋の前に立った。ここもくさく、どうも空気がよどんでいるようだった。

 インターフォンを押し、扉横の窓から松浦が顔を出すのを待つ。

「ん?」

 もう一度インターフォンを鳴らしてしばらく待ったが、窓が開く様子がない。

 鷹松は眉をひそめながら扉横の窓に手を伸ばした。中の電気は付いていないらしく窓は暗く見える。コン、と窓をノックすると暗いはずの窓がわずかに明るくなった。しかししばらくするとまた暗くなる。

 ああ、そういう……。

 鷹松は目を閉じて上を向いた。何かがこみ上げてきそうだった。

「鷹松さん?」

 様子を見ていたのだろう。加州が背後から声をかけてきた。

「どうしました?」

「いや……警察を呼んでやってくれ」

「どういう……」

「窓に耳をつけて軽くたたいてみろ。それでお前にも分かるだろう」

 加州は深刻な顔をして扉横の窓を見つめる。

「それって……」

 加州の顔が瞬時に青冷める。鷹松は仕事柄何度か立ち会ったことがある。金を融通できなくなった人間が首を吊ったりすることはままあるからだ。松浦と一緒にいたときも何度かみた。よく考えればこの腐敗臭もごみの臭いじゃない。

「いいや、俺が連絡する」

 青ざめ、歯をかたかたと言わせている加州の肩を軽くたたき、鷹松は携帯を取り出した。110番ではなく、知り合いの刑事のプライベート番号にかける。

『はい。久しぶりっすねー。ご飯のお誘い?』

 数コールして、明るい声がすぐに聞こえた。丸暴にいる秋吉という刑事だ。お互い融通し合っている秘密の関係だ。堀越も橋本も知らない。

「人が死んでいる。すぐに手配してくれないか」

 そして松浦の家の住所を伝える。

『事故? 事件?』

「わからねえ。来たらもう」

『りょーかい。とりあえずあんたはそこから離れて。叩けば埃くらいでるでしょ。叩かなくても連れていきたくてうちの連中しょうがないから見つかったら難癖つけられちゃうよ』

「わかってる。……恩に着る。後はよろしく」

『はいはーい。時任さーん』

 最期は後ろにいるだろう相棒に話しかけているのだろう。鷹松は電話を切ると加州の手をとった。

「離れるぞ」

 加州はよろよろとしたおぼつかない足取りながら鷹松の後に続く。初めての死者にショックだったようだ。車の前までひっぱっていくと後部座席に加州を押し込み、自分は運転席へと乗り込んだ。

 鼻の奥にまだ臭いが残っている。

「くそ」

 鷹松は小さく毒づくとエンジンをかけた。



「ついたから俺の部屋いってろ」

 車が鷹松が住むマンションの駐車場に止められる。ハンドブレーキを引くとケツポケットに入れてあった自室の鍵を取り出す。鷹松は取り出した鍵を後ろに乗っている加州にほうりなげる。加州は、まだ青白い顔をしていた。

「でも……」

「いいから。トイレ行って吐いて来い。そのあと風呂でも沸かしてろ。俺もすぐいく」

「分かりました」

 加州は口元を押さえながら車からでてマンションの中に入っていった。

 それを見送ると鷹松はシートベルトをはずしハンドルにもたれ掛かって顔を伏せた。

 一ヶ月前に行ったときは、まだ元気だったはずだ。なのにいつ死んだというのか。

 あの臭いでこの暑さだ。死体はどろどろに溶けているか、はたまた蛆がわいていて、おそらく死因は特定できないだろう。やくざの成れの果てなど警察は端から詳細に調べる気はないだろう。仲間同士で遣り合っている間はおいしいところを奪っていくだけの存在だ。

「ああ、くそ。本当になんで」

 目元が熱く濡れる。

 松浦と初めてあったときの事を思い出す。あのごみためで親父の横で自分に向けて銃を構えていた。冷ややかな視線が怖かった。

 松浦に初めて怒られたときのことを思い出す。失敗してそれを取り繕うとしてそれがばれてぶん殴られた。そのあと一緒に上に謝ってくれて面倒見の良いいい人なんだと思った。

 松浦に初めてほめられたときのことを思い出す。大きな仕事をやり遂げて舎弟頭にのし上がったときのことだ。自分の親の様だった。

 そして組を出るときの事を思い出す。エンコを置いていくといって、それをやめさせようとした親父ともめていた。けじめだといって結局エンコを置いていった。強情な人だった。

 親父の次に大事な人だった。家族を捨てざるを得なかった鷹松にとって、本条組の組員はみな家族だったのだ。

 加州がいて助かった。加州がいなければあの時点で崩れ落ちていただろう。若い奴らになさけない格好は見せられない。加州がいるだけで、意地だけで立っていられた。

 でも加州は部屋へ行けと、上に上がらせた。ここでなら誰にも見られることはない。 鷹松はいろいろなことを思い出してしばらくの間涙が止まらなかった。

 嗚咽が静かな駐車場でひそやかに響いた。



 家に上がると加州は酒と簡単なつまみを用意していた。

 鷹松が泣いて、松浦の死を嘆いている間に加州も気持ちを落ち着けた様だった。

 部屋へと上がってきた鷹松の顔を見た瞬間、食事の前に風呂に入るようにと加州に押し込まれた。ほかほかと湯気が立つ出来立ての料理がもったいなかったが、「それよりも先」と加州の押しが強くて逆らえなかった。

 シャワーを出せば声は聞こえないだろう、という配慮かもしれない。

 料理が出来るほど長く泣いたからもう涙は出ない。

 熱いシャワーを頭からかぶる。ひどく体が疲れているようで鷹松の肩が下がった。

 鷹松はゆっくりと体を洗って、風呂につかりながら、泣いて明日は腫れるかもしれない目元を冷水で冷やした。冷水が目じりからこめかみを伝って流れ落ちていく。

 それはただ冷たくて目元の熱が消えていくようだった。

 ——これならば明日は少しましだろう。鷹松は湯につかりながら思った。

 鷹松は出る前にも顔を念入りに冷水で洗ってから風呂からあがった。

「ごはん出来てますよー」

 いつのまにか白米も追加されていた。

 テーブルには豪勢な食事が出来上がっていた。

「たくさん食べてたくさん飲んでくださいっ」

 加州はそういいながら鷹松の前に置かれたグラスにビールをなみなみと注ぎ差し出した。

「そうするわ。じゃあいただきます」

 鷹松は軽く手を合わせると食事に手をつけた。




「やだ、加州。やめ……」

 寝室で鷹松の嬌声が響く。

 加州は鷹松の足の間に入り込み、膝を高く抱え上げていた。

 酒でぐだぐだになった鷹松を組み敷くのはたやすかった。酒に酔っ払い、泣き上戸かと思うほどに泣いた鷹松は、ベッドに連れて行かれるまで加州の下心には気づいていなかった。

 寝ましょうと言われ自分で服を脱ぎ、ベッドに倒れこむと加州はその上にのしかかった。最初は嫌がったが、酩酊状態では体はうまく動かず拒もうにも児戯のように軽くあしらわれてしまった。

 加州の手は優しく鷹松を何度も慰めるように体をさする。そうしているうちに拒むのも口だけになってしまった。

「ほんと、やめろ……そういう、気分じゃねえ……」

 手で顔を隠す鷹松は嬌声をあげないように下唇を噛んでいた。

 大事な人を亡くした日にこんなことしたくない。

 加州は分かってくれていると思っていたのに、今自分を追い立てているのは加州だった。

「大丈夫。ここには俺しかいない。俺に身を任せて。自分への制御なんてはずしちゃってください。悲しかったでしょ。つらかったでしょ。泣いていいんですよ。全部俺が受け止めてあげます、水哉ゆきちかさん」

 そうして悲しいことを忘れてしまえばいい。

 そんなことは出来るかと拒絶しようにも見下ろしてくる加州の瞳が絡みつき心を拘束する。結局拒絶の言葉は飲み込まれた。

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