第4話:その女、女王様

「しっかりしな。気絶するんじゃないよ!!」

「ヘブッ!」

 強烈なビンタを浴びて、陣太は悲鳴を上げた。


 場所は下水道の中。

 間一髪、ハイ○ーサーたちの手から逃れた後、今は謎の救出者とともに逃避行の真っ最中である。


「つらいのは分かるけど、今はなんとか自分の足で歩いてちょうだい。こんなところで立ち往生なんかしたくないでしょう。」

「はい、すいません」


 陣太は相手の肩を借り、なんとか歩き続けている状態だった。

 頼りない懐中電灯の明かりを頼りに足を踏み出すたび、体中に痛みが走り気が遠くなる。


 救出者は女性だった。

 年は陣太と同じくらいだろうか。勝ち気そうな目が猫化の肉食獣を思わせるが、身体は華奢きゃしゃだ。


 この身体のどこに先ほど陣太を一本釣りにしたパワーが秘められているのか、全くもって不思議だった。


「俺を、適当に放り出して、救急車でも呼んでくれれば」

 申し訳なさ、というよりは痛みをこらえて歩き続ける今の状況から脱出したい。という思いからの提案だった。


 それに対し、女性は苦い口調で応じた。

「できるなら、私もそうしたいけどね。あいつらは完全にあんたを的にかけてた。取り逃がした今は十中八九、病院に張り込んでるよ。ノコノコ治療に行けば、すぐさまリベンジマッチをする羽目になる。」


 満身創痍まんしんそういの陣太を半ば引きずるようにしているため、彼女も疲労している。

 長台詞は呼吸が乱れるのか、休むようにいったん言葉を切ると、少ししてから再び口を開く。


「警察もやめておいた方がいい。全員、パクれればまだイイけど、取り逃がしがでたら報復に来ることも考えられる。」

「じゃあ、どうすれば」


 思わず口をついた問いに対して、女性は諦めがにじむ声で答えた。

「私は泣き寝入りを勧めるよ。どんな恨みを買ったのかは知らないけど、今日のリンチでアイツらの気も少しは晴れたでしょ。ああいう手合いはしつこく狙い続ける根気なんかないから、しばらく逃げ隠れしてれば、すぐに飽きてどっか行くわ。」


 女性の言葉に素直に肯くことができず、陣太は押し黙った。

 理性が女性の発言を肯定する反面、本能の部分が直接対峙したリーダー格の男の瞳に宿った執念に警報を鳴らしていたからだった。


 その後は互いに無言で足を進め、這々の体で下水から脱出。

 やがてたどり着いたのは小ぎれいなマンションだった。


 オートロックのエントランスを通過し、エレベーターで最上階へ。

「ここは?」

「私の部屋の1つよ。遠慮はいらないわ」


 玄関の鍵を開けて扉を開く女性に続き、中に入る。

「今、救急箱出すから、そこに座ってて」

 言われるままに居間のソファに腰を下ろす。


 その途端、気が抜けたのか。蓄積された疲労とダメージによって、陣太はまるで気絶するかのような勢いで眠りに落ちていった。


……………。


 陣太が意識を取り戻したのはそれから数時間後。まだ、夜の明けきらない早朝のことだった。


「知らない天井だ。」

 謎の使命感に駆られてそうつぶやいた。ひどく喉が渇いていて、声はかすれてか細かった。


 昨日の出来事がフラッシュバックのように思い出され、周りを見回す。

 急に動いたことにより、体中、特にひどくやられた肩と背中の痛みに襲われ思わずうめく。


「どうやら目が覚めたみたいだね。」

 陣太のうめき声を聞きつけ、近づいてきたのは昨日助けてくれた女性だ。


 料理でもしていたのか、エプロンを身につけている。陣太はかすかに漂うダシの匂いに気がついた。

 途端に腹の虫が鳴った。


 赤面する陣太。女性は笑った。

「思ったより元気そうで安心したよ。いろいろ聞きたいことはあるけど、とりあえずご飯にしよう。」


 そう言うと、女性はキッチンから2人分の食事を運んできた。

 陣太は今度は痛みが走らないように慎重に身を起こす。

 今、自分がマンションの一室、リビングに置かれたソファに腰掛けていることが再確認できた。


「ちょっと詰めてくれる?」

 ソファは3人掛けでその前には小ぶりなテーブルとテレビ。


 他に腰掛けもないので、ソファの端と端に座って食事をとる。

 女性はトーストとベーコンエッグを食べていたが、陣太の前に置かれたのは卵入りの雑炊だった。


 唇の傷に障らないように慎重に食べ始める。

 食べながら、自己紹介からいきさつを説明する流れになった。


 女性は九院麗華くいんれいかと名乗った。

「ふ~ん。なるほど。陣太、あなたちょっとやっかいなヤツに手を出しちゃったね。」


「あいつを知っているんですか?」

 一通り説明してから、麗華がこぼした感想に陣太が質問を発する。


「いや、あいつら自体のことは知らない。でも、あの時、リーダー格の男から感じた気配は間違いようがない。あいつは暗黒性闘士ブラックセイントよ。」

「ブ、暗黒性闘士?」

 

 聞き慣れぬ不可解な単語に怪訝けげんな顔をする陣太。

 麗華はそんな陣太に無理もないと言う表情で肯き、解説を加える。


「人の三大欲求というのは聞いたことがあるでしょう。」

「あの性欲、食欲、睡眠欲と言うヤツですか。」


「そう、人を突き動かす最大の要因にして、最大のエネルギー。遙か原始の時代から、人は欲望を原動力にあらゆる限界を突破し、生息域を拡大してきた。」

「な、なるほど?」

 確信のこもった麗華の語り口に気圧けおされる陣太。


性闘士セイントとは、三大欲求の中でも性欲により人間の限界を超えた者たちの総称。貴方も身に覚えがあるはずよ。性欲の高まりによって普段ではあり得ない力を得た経験が。」


 実際、心当たりはあった。

 それこそ、ハイ○ーサーたちを撃退した時。それに電車で痴漢を退治したときのことだ。


 考え込んでしまった陣太の沈黙を肯定と受け取り、麗華はさらに言葉を続ける。

「ただ、性闘士の中には己の欲望に流されて犯罪行為に走ってしまう者も多い。そういった者をちた性闘士、すなわち暗黒性闘士と呼ぶの。」


「それじゃあ、あの男たちは」

「手下たちは分からないけれど、少なくともリーダー格の男は暗黒性闘士で間違いないはずよ。」


「人数も、経験も相手の方が上。貴方も性闘士ではあるようだけど、相手が悪い。ここは逃げ回ってほとぼりを冷ますべきだと思うわ。」


 再び、陣太は考え込んでしまった。

 あの男たちが数日前に陣太がたたきのめした連中の仲間だとすれば、似たようなことに手を染めているであろうことは想像に難くない。


 それを思うと怒りがわいてくるが、一方で囲まれ殴られた恐怖も色濃くよみがえってくる。


 そもそも、陣太が相手をする責任はないのだった。常識的に判断すればコレは警察が対応すべき事柄だった。


「そうですね。」

 そうします。と続けようとした陣太の台詞はスマートホンの振動で遮られた。


 怒濤どとうの展開の中で忘れ去られていた機械の存在を思い出す。

 同時に襲撃の時にとっさに路地へと逃がした後輩のことも思い出した。


 彼女は無事だろうか。安否を確認すべくスマホをポケットから取り出し、操作する。

 手慣れた動作だが、陣太の動きはすぐに凍り付いた。


 起動されたメッセージアプリ。

 後輩、桃山姫子からのメッセージ。

 陣太の安否を心配するメッセージの最後。先ほど届いた最新の一通。


『陣太君が遊んでくれないから、代わりに後輩ちゃんを誘っちゃった(笑)』

 同時に送りつけられた写真の中では、恐怖に顔をゆがめる姫子と下卑げびた笑顔で親指を立てるハイ○ースの男が映っていた。


 何を意味するのかは明白だった。桃山姫子が浚われ、暗黒性闘士が彼女のスマホから陣太のスマホにメッセージを送ってきたのだ。


 事態に頭が追いつかず呆然とする陣太の手の中でスマートホンが再度震える。


『今日の昼、12時。お友達と一緒に来い。』

 続いて送られてきたのは地図の画像データ。関原市近郊の地図の中にポツンと赤いピンのようなポインターが表示されていた。


「急にどうしたの?」

 陣太の急激な表情の変化に異常を感じた麗華が尋ねるが、答えはない。

 事態に陣太の頭が追いついていないのだ。


 麗華は不審に感じ、マナー違反とは思いながらスマートホンをのぞき込んだ。

「っ?!」

 そして、事態を把握し、言葉を失う。


 短い沈黙を破ったのは陣太だった。

「い、行かなくちゃ。」

 せき立てられるように言い、飛び出していこうとする。


 麗華はとっさにその手をつかみ、引き留めていた。

「待ちなさい。一体、どこに行くつもりよ。こんな早朝から、指定の場所にいるわけないでしょ。」


 指摘され、陣太はわずかに冷静さを取り戻す。しかし、心中の苦渋に満ちた焦りは収まらない。

「でも、こうしている間にも桃山さんは」


 発端となった4人組の言動。それに昨日の男たちの様子から彼らがどのような集団なのかは分かっていた。

 故に陣太は震える。あの、まっすぐで努力家の後輩が今、どのような目に遭わされているのか考えるだけで、胸が潰れそうだった。


「落ち着いて、心配するようなことには“まだ”なっていないはずよ」

「え?」


 麗華の言葉には確信があった。聞き返せば、さらに口を開く。

「よく考えて。私たちが相手を暗黒性闘士だと見破ったように、相手もこちらを性闘士、つまりは不倶戴天ふぐたいてんの敵だと分かっているはず。そんな相手を人質をとってまで呼び出すのよ。間違いなく戦闘を覚悟しているわ。」


「つまり、どういう?」

「性闘士も暗黒性闘士も力の源は同じ、自分自身の性欲よ。アイツらに少しでも考える頭があるのなら、戦いの前に性欲を発散するような真似はしないわ。」


 性欲を発散させるような真似はしない。

 それはまだ桃山姫子が無傷である可能性が高いことを意味していた。


 状況を把握した陣太の態度に落ち着きを見てとって、麗華はつかんでいた手首を離した。


「人質の女の子が何かされるとしたら、それこそ貴方が叩き潰された後。だからこそ、今は落ち着いて対策を考えなきゃ」

「そう、ですね。」


 改めて、ソファに腰を下ろす陣太。

「でも、どうすれば」

「作戦も立てなきゃいけないけれど、まずは性闘力コスモを充実させて、体調を回復させることが最優先だわ。」


 麗華の思慮深く、落ち着いた口調に陣太は心強さを感じた。

「そんなこともできるんですか。」

「ええ、もちろん。性闘士なら誰でもできる基本技能よ。」


 言いながら席を立つと、持ってきたのは1台のノートパソコンだった。

 おそらく麗華の私物であろう。電源ボタンを押して立ち上げて、インターネットブラウザを開いたところで、陣太の方へと画面を向けた。


「それじゃあ、いつも貴方がオ○ニーの際に使用しているサイトにアクセスしてちょうだい。」

「え?」


 突拍子もない発言に思わず陣太は聞き返した。

 あと、麗華の口から卑猥な言葉が出たことに少し興奮した。


「え、じゃないわ。動画サイトでも、二次元でも、三次元でもいいからアクセスしなさい。」


 命令口調に少しゾクゾクしたので、訳が分からないなりに陣太は検索をかけた。

 なにか新しい扉を開いてしまいそうな危機感を感じたのである。


 候補はいくつかあったが、とりあえず有名AV(オーディオビジュアルかな?)メーカーのサイトを選ぶ。


 会員登録してあれば、無料でサンプル動画が見られるし、場合によって課金して本格的に動画を視聴してもいい。


「それでいいわ。とにかく好みの動画をどんどん見て、ガンガン興奮するの。でも、射精はしちゃダメよ。性欲をムラムラとため込むことによって、性闘力は充実し、回復能力を含めた身体能力が向上するんだから。」


 耳元でささやかれ、陣太は反射的に肯いていた。

 あと、やっぱりゾクゾクしたし、いい匂いもしたので興奮した。


「は、はい。分かりました。」

 陣太はいわゆる清純派とか純愛系の動画が好物であった。

 サイトのメニューからジャンルを選び、とりあえずサンプル動画を再生する。


 部屋に響くあえぎ声。

 イヤホンなど渡されていないから、当然である。


「へぇ、あなたこう言うのが好きなんだ~」

 麗華が獲物をいたぶるネコの表情でそう言った。


(な、なんだこのプレイは!?)

 陣太は勃起していた。フル勃起である。


 ただ、動画に興奮したのか、麗華に興奮したのかは分からなかった。

 対して、麗華はと言えば、一転して表情を引き締めた。


「それじゃあ、しっかり集中して見るのよ。でも、ヌイたらダメ。性闘士は絶頂寸前でムラムラ、モンモンとしているときが一番力を発揮できる。イッてしまったら、たとえ回復したとしても決して100%のパフォーマンスは発揮できないわ。」

「分かりました。」


 素直に肯いた陣太に麗華は目を細めた。

「そう、いいこね。」

 陣太はまたゾクゾクした。


 気がつくと、ちょいSお姉さん系の動画を再生させていた。

 完全に無意識下の行動であった。


 麗華はソファから立ち上がると、置かれっぱなしだった食器を手に部屋を出て行こうとする。


「とりあえず、1時間。私は隣の部屋でちょっと準備していいるから、何かあったら声をかけてちょうだい。」

「はい、わかりました。」

 そういうことになった。

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