第二話 歌姫の芽吹き

 アリアが孤児院に来てから初めての日曜日。

「ミサ、ってなあに?」

 聞き慣れない言葉を耳にして、アリアは首を傾げた。

「あら、アリアはしばらく行っていなかったものね。ミサっていうのは、神様に感謝を捧げる式のことよ」

「ふうん」

 アリアはナディアの説明に、よくわからないまま頷いた。

 幼い頃は教会に通っていたものの、父親が亡くなってからずっと親族に止められていたので、アリアにミサの記憶はなかったのだ。

「難しいことは全くないよ。ただお話を聞いて歌を歌うだけさ。ちょっと退屈だけどね」

 サリーがおどけて言うと、何人かの男の子が控えめに頷いた。

「こら、サリー、不真面目なこと言わないの。神を讃え敬うことは、とっても大事なことですからね。

 不慣れなアリアもいるし、今日は一番後ろに入ることにします。迷子にならないようにちゃんと付いてきてくださいね」

「はーい」

 皆が大きな返事をしたところで、教会に向かって一同は孤児院を出た。


「さあ、ここが教会よ。はぐれないように、それにお行儀良くしなさいね」

 ナディアや他の子供たちの後に続き、アリアが教会の中を進んでいると、一人の老人が声を掛けてきた。

「こら、教会では帽子を外しなさい、お嬢ちゃん」

 アリアは無言で帽子を外した。低い位置に団子状に結われた、雪のような白い髪が露わになるのを目にした老人は、顔を引きつらせてこう叫んだ。

「しっ、白い髪だ! 呪われるぅ!」

 その声に素早く反応したナディアは急いで帽子を被らせ、自分の背にアリアを隠した。ほかの子供たちも反応してアリアを守るように囲い込んだ。

「アリアは呪われてなんかない! 僕らとおんなじ普通の人間だ!」

「アリアの髪を侮辱するなんて許せないんだから!」

 ニックとエリスが叫ぶ。これはまずい、とナディアはアリアを抱き上げて教会の扉へ走る。

「ここを出るわよ!」

 血眼になって追ってくる町の人々。三歳の子を抱えたナディアは全速力では走れず、もうだめだ、とナディアが覚悟したとき、

「何をしているのですか」

 凛と響く声に町の人々の動きが止まった。

 ナディアが振り向けば、そこにはどうやら教会の関係者らしい中年の男が立っていた。

「し、司祭様、呪われた子が、そこに!」

「どうにかしてください司祭様、あの女は悪魔を連れてきたのですよ!」

 司祭はふむ、とアリアの顔を覗き込んだ。アリアはその瞳をじっと見つめ返した。何もかも見透かされそうな、綺麗な碧眼だった。

「この子は人の子だよ。何を騒いでいるのか、たかが髪色くらいで」

 憮然として言い放ち、司祭はナディアを見て微笑んだ。

「前の席に来なさい、我々は君たち皆を歓迎する」


 その後のミサは静粛に行われた。

 厳かな雰囲気にかちこちになりながらも、アリアはぼうっと他のことを考えていた。

 司祭様はわたしを人の子と言ったけれど、町の人たちはわたしを悪魔とよんだ……。呪われる、という言葉が頭の中にこだまする。

 もしわたしが白い髪じゃなかったら、堂々と歩けるのに。涙が零れそうなのを堪えていた時、ふとアリアの意識は別のところに持っていかれた。

 小さいながらも立派な聖堂に、聖歌が高らかに響く。

 記憶には残っていないものの、聞き覚えがあった。生まれて間もないころ、アリアは母親の腕の中でその歌を聴いていたのだ。

 瞬間、アリアの内側から歌いたいという衝動が込み上げてきた。歌ったことがないながらも、アリアは聖歌を精一杯口ずさんだ。


 ミサ終了後、ナディアは司祭らのもとに行き、ぺこぺこと頭を下げていた。

「申し訳ございません、このような騒ぎになるとは思いもせず……」

「ああ、大丈夫だよ、この子には何の罪もないし。だが気をつけなさい、白い髪というのは残念ながら死の象徴などと信じられているのだから、外出するときは慎重に。黒染めしたほうがいいとは思うけれど、そうしないわけがあるのかな?」

「……ええ、この髪はこの子のアイデンティティなんです。彼女の母の方針で、白い髪に劣等感を覚えることなく育ててほしい、と……」

「それは立派な方針だが、一番大事なのはこの子の身の安全だ」

「はい、きちんと考えていきますわ。本当にありがとうございます、司祭様……」

 ナディアが深々と頭を下げるのを、アリアは悲しそうに見つめていた。

 自分の髪は好きだ。しかし、それを好ましく思わない人たちもたくさんいることも、今までの経験からもう解っていた。わたしのせいで、先生が困っている。わたしの髪が白くなければ、とアリアはまた考えた。

「アリア、ご挨拶なさい、司祭様ですよ」

 ナディアに言われて、アリアは小さくお辞儀をした。

「大きくなったね、アリア。私は君の赤子の時を知っているんだ。私が君の洗礼を担当したのだよ」

 アリアは驚いて司祭をじっと見つめた。司祭は静かに微笑んでいる。

「白い髪は苦労のもとになったかもしれないが、いつかその髪で良かったと思う出来事が君に訪れんことを、私は神に祈っているよ。

 少なくとも私がこの教会にいる間は、君が髪のことで不利益を被らないように計らうことにしよう」

 そう言ったのち、では私はこれで、と司祭は去っていった。


 孤児院に帰ってきて、すぐにナディアはアリアのことを抱きしめた。

「アリア、ごめんなさい。あなたに何かあったら、私、」

「大丈夫よ、先生」

 寂しそうにそう笑うアリアを見て、ナディアはあまりの切なさに啜り泣いた。

「大丈夫よ、わたし、自分の髪は好きだし、司祭様だって呪われていないって言ったわ」

 ねえ、だからわたし、しあわせよ。ぼろぼろと泣くナディアの背中をそっと撫でて、アリアは小さく囁いた。


 その後アリアは十分な栄養を摂り、入ってきて一か月がたつ頃には、皆と同じように走ることも笑うこともできる、健康的な子供になっていた。


「アリア、こっちに来て、見せたいものがあるの! 先生には内緒よ」

 ある春の日、そう言ってエリスは、孤児院の隅の小部屋にアリアを招待した。

「ここはわたしの秘密基地なの! ほら、これを見て……」

 臙脂色のぼろ布を取り外したところに現れた見慣れないものに、アリアは目を見開いた。

「なあに、これ?」

「ピアノっていうのよ! 古いからちょっと音が変だけど」

 そう言ってエリスはポロン、と古びたピアノの音を鳴らしてみせた。

「わあ、すごい!」

「でしょ? アリアは歌うのがすきだもの、絶対気に入ると思ったの!」

「歌と関係あるの?」

「ええ、これは音楽をつくる楽器なのよ、わたしは弾けないけど!」

「へええ……」

 アリアはそのピアノに近づいてポロン、と鳴らしてみた。

「うーん、何が変なの?」

「本当の音が出ないのよ、もうずうっと使われてないみたいだから」

「そっかぁ」

 そのとき廊下から足音が聞こえてきた。

「まずい、隠れてっ」

 二人が隠れると、ドアが開いて誰かが入ってきた。

「あれ、おっかしいなぁ、確かに音が聞こえたんだけど……。私の耳が衰えたのかな?」

「なあんだ、サリーか! 隠れて損した!」

 エリスがけらけら笑いながらふいに物陰から出てきたので、サリーは驚いてわあっと大声をあげてしまった。

「あ、な、なんだエリス、びっくりさせないでくれよ……」

「えっへへ、ごめんごめん、アリアもいるよん」

「三人でなあにしてるのかしら?」

 そのとき怒気の籠った低い声がドアの向こうから聞こえてきて、三人はびくりとドアを見つめた。

「ここは危ないから立ち入り禁止って言ったでしょ!」

 バン、と勢いよくドアが開いて、険しい顔をしたナディアが三人をじろりと見た。


「アリアにピアノを見せてあげたかったの! だってこの子知らないものばかりなんだもの」

「私はピアノの音が聞こえたもんだから誰かいるのか確認しに行っただけだよ!」

 必死に弁解するエリスとサリーに、ナディアは小さくため息をついた。

「エリス、あなたのアイデアは素敵だと思うわ、でもいったん先生に相談すること。前にも言ったでしょう、あの部屋は古くなったものばかりだから危ないって。それにサリー、あなたも先に相談なさい。あなたはもうお姉さんなんだから、それくらいはわかってくれるでしょう?」

「はあい……」

 しゅんとする元気娘二人を脇に、ナディアはアリアに話しかけた。

「それで、あなたはエリスについていっただけだから仕方ないわね。……あなた、ピアノを見てどう思った?」

「面白いね! それに、エリスが音楽作れるって」

「音楽に興味があるの?」

「あのね、アリアは歌が上手なの! きれいな歌声なのよ」

 エリスが顔を輝かせて言った。

「へえ、それは知らなかったな。アリア、歌うのが好きなのかい?」

 サリーの問いに、アリアはこくんと頷いた。

「そう……それなら、ちょっとした楽器を買ってもいいかもしれないわね」


 そんなことがあったのをアリアがもうすっかり忘れた秋ごろ、アリアの四歳の誕生日に、ナディアはなんとかわいいトイピアノをプレゼントしてくれた。

「大きいのはどうしても用意できなかったけど、これで音楽を楽しんでね、アリア」

 アリアは茫然としてトイピアノを見つめた。今まで誕生日をまともに祝ってもらったことなどなかったし、誕生日にプレゼントが貰えるなんて知らなかったのだ。

「ほんとうに、わたしの?」

「ええ、神に誓って」

 アリアの顔が薄紅色に染まり、満面の笑みが咲いた。


 それからというものアリアは音楽に夢中になった。

 周りの子供たちの助力もあり、冬になるころにはアリアは自己流でメロディーを奏でられるようになっていた。

「それはなんの曲?」

 そばにいたエリスが問えば、アリアは頬を染めて「ケーキのうた」と答えた。

「なあに、その歌、わたし知らない!」

「あのね、わたしが作ったの」

「え、自分で!」

「うん」

「あら、アリア、自分で曲を作ったの! すごいじゃない」

 ダリアが微笑んだ。実はダリアは七つの時にこの孤児院に入るまでピアノを習っていたので、アリアの一番のピアノの先生だった。

「うふふ、将来は音楽家かしらね」

「わたしね、大きくなったら、教会で歌いたいの」

「聖歌隊に入りたいの?」

 アリアは首を傾げた。

「そうなのかな?」

「まあ、まだ分からないわよね、先のことなんて」

 ダリアはそう言ってアリアの頭を優しく撫でた。


 アリアはこの時から音楽の才能を開花させていった。だが、この少女が将来国中を魅了する歌姫になろうとは、誰も想像していなかった。

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