第六夜 秘事

 凰都国。

 王都は緑翠ろくすい。王族の住む宮殿は、最東にある小高い丘の上にそびえ立っている。


 朝日に照らされた、普段通りの一日が始まったはずだったのに。その夕刻、国王は王宮の自室で静かに息を引き取った。



 ところで宮中には、王族でしか入れない場所が多くある。

 王宮の王の自室はその最たる場所だが、他にも即位式時に使用する王宮神殿、王宮の地下にある第二書庫、罪を犯した王族を幽閉するよこしま宮などがソレに当たる。


 ソレらは王で無ければ入れない場所や、王であるが故に入れない場所であった。

 因みに、妃だからといって、宮中内を自由に歩き回れるわけでもない。

 侍女は担当する王族が住む宮にしか出入り出来ないし、官吏は王宮の政務エリアにしか出入りできないのが原則である。


 けれど、それらは原則に過ぎない。つまり、例外があるのだ。それは勿論、各々の場所に入れる者が入れない者を連れ込んだ場合。


 それでも後宮は無理であるのだが、例えば、国妃宮に国妃が自ら王族でない者を招き入れるのは可能だ。

 例えば、王宮の国王の自室に王自ら王族でない者を招き入れることも、可能なのだ。


 にもかかわらず、国王の逝去を確認した侍医はあろうことか、王太子に疑惑の目を向けた。嫌疑は勿論——毒殺、である。

 その理由は主に三つある。


 一つ目は、王の子どもであり後継者でもある王太子ならば国王の許可などなくとも私室に入れること。


 二つ目は、寝台の傍にあるローテーブルにはお猪口に酒が満たされており、その酒瓶は王太子が献上したものであること。


 そして、王の身体に紫斑が浮いたこと。


 本来なら疑う事すら許されるはずもないのだが、後継者である王太子に真っ先に報告すべき事項と分かっていながら、侍医は最初に薬師を呼んだ。


はかり殿、事情はある程度推察致しますが。それでもこれは宜しくない、かと」

「それは重々。ただ検証したいだけなのです。もし仮に本当に仕込まれていたとしたら、貴殿がいれば心強い」

「それが宜しくない、と申し上げているのです」


 険しい顔をして急ぎやってきた薬師は部屋の中でチラチラと視線を動かして、更に顔をしかめて侍医を非難した。


「と、いいますと?」

「これは殿下が盗難事件を解決した折、土産代わりに献上されたもの。商品であるが故、毒を混入させるのならば所有者……とお考えなのでしょうが、殿下とて盗品で酒造されたものを陛下が口になさるとは思われますまい」

「それに、いくら龍先生といえどどんな毒かも分からないのに解毒薬を即効でお作りするのは難しいというもの。また、殿下には動機もございません。この国に後継者は殿下のみ、陛下が四十八とまだお若くとも王位を継ぐのは確実なのですから」


 薬師がどう続けようかと一呼吸置いたとき、明らかに侍医を蔑んだ冷ややかな声が宙に浮いた。しかも、窓の外から、まるで初めからそこにいたかのように。王の私室は二階に位置する上、特にテラスという洒落たものなどないというのに、だ。


 案の定、室中に騒めきが広がるも、王の妃の登場に各々に国妃様、と頭が下がっていく。それを片手を上げて制しながら、国妃は軽々と框を乗り越えた。

 少し乱れた白装束の裾と腰まである黒髪を整える仕草は優美そのものだが、騙されることなかれ。屋根を歩いてきた挙句、窓から入るという王族らしからぬ暴挙。その茶眼にどこか陰を落としながらも、官吏に王太子を呼ぶよう指示する冷静さ。


 小柄なところ以外、外見は全く似ているところは無いがその破天荒さ加減は間違いなくあの王太子と王女のお母君である。

 その後すぐにやってきた王太子には国王は病気だったと伝えられ、真夜中の戴冠式が執り行われることになった。



「ここはしゅう親衛隊長の管轄なのですね」

「どこにでも出没するクセは相変わらずでございますか」

「だってあの子が国王に即位するまでの、この僅かな時間は事実上王国の最高権力者ですから」


 どこか冷たい、その聴き慣れた声に驚きを通り越して呆れ返った言葉を返した親衛隊長に、国妃はそう言って不敵な笑みを向けた。


 戴冠式――といっても、王宮神殿で新王と神官の二人きりで執り行う儀式でしかない――が行われている最中、その後すぐさま行われることになった国議に、王の臣下でありながら欠席の意を示した国妃は死装束を整えられつつある前王がいる送蝶そうちょう宮へとやってきていた。


 勿論、妃が入り込める場所ではない。妃がいるべき場所は後宮以外にないのだから。なのにこの国妃ときたら、以前に、この国の法典には妃に対する制約は多けれど国妃には殆どありませんので、とにこやかにほほ笑んで言い放ち先のような王族らしからぬ振る舞いを繰り返している。


 国の後継をもたらす国妃とはいえ国王の妃である以上その言い分は屁理屈以外ナニモノでもないのだが、肝心の国王が異を唱えないとくれば臣下にとやかく言う権限はない。彼女は王妃宮から出てくることのない正妃と比べられることは多々あれど、全く意に介さないツワモノとして君臨していた。


「それで、女王様は何の為にこんなところへおいでになられたのですか?」

「えぇ、陛下の私物を一つ頂きたくて」

「…………ご存知でしょうけれど、前王の私物は全て処分することになっています」

「知っています。処分には新王が立ち会われることも承知の上で、頂きたい、と」


 それは慣習的なもので法に記載されてないでしょう、とお馴染みの屁理屈と共に傾げられた首の角度はお決まりの十五度。優しげな微笑とは裏腹に僅かにトーンの下がった言葉尻は、軍人であろうと有無を言わせない迫力を秘めている。


 逆らわぬ方が賢明、そう悟った親衛隊長は私物はこちらになりますと既にまとめてあった袋を手渡した。


「しかし、慣習を踏襲されてまで残しておきたいとは。何か特別な思い入れでもおありになるのですか?」


 袋の中から取り出したのは、二連になった翡翠の腕輪だった。中には凰都にはない水晶の耳飾りや、トルマリンの首飾りなどがあったのに——である。

 不思議に思った親衛隊長の問いに、特には、と袋を返しながら国妃はゆるく首を横に振った。


「ただ、あの子が欲しがると。けれど、あの子が処分の時に手に入れることはきっと困難でしょうから」

「成程、陛下の為でしたか」


 元国王の私物が全て処分されずとも、国妃の言う通り慣習であっても規律でない以上破ったところで咎められる程の事でもない。親のものを子が譲り受けるのは、不思議なことではない。

 が、即位したばかりで国の歴史を蔑ろにしては国王としてのこれからに関わる。となれば仮に欲しいものがあっても諦めるしかない。国妃は、そのようなことで己の子が後悔しないように立ち回ったのだ。


 納得して敬礼する親衛隊長に国妃は口元を袖で隠して目を細めると、内緒ですよと呟いてその場を後にした。


「やはり此方でしたね」

「あら、バレてしまいましたか」

「兄上が国議の欠席を許可するなんて、父上のこと以外に考えられませんでしたので」


 新王の思考も国妃の行動もすべてお見通し、と言わんばかりの口ぶりで宮の前に待ち伏せていたのは襟のある黒い上着に、黒いスカート状の下衣——上衣下裳を身にまとった王女だった。完敗です、と国妃は肩を竦ませる。

 

「それにしても、相変わらず随分なリスクを犯しますね」

「探られれば痛い腹ばかりですからね、このくらいは。それに今は国議の最中、この姿が王宮で誰かの目に止まることはありませんよ」


 とてもよく似た不適な笑みを浮かべて、着衣を強調すべく王女はくるりと回ってみせた。


 上衣下裳、所謂その衣裳というのは、国王の礼服である。

 少し長めとはいえ、同じ金糸に同じ碧眼。そんな王女がその衣裳をまとえば、それはもう国王と見分けがつかない。

 国議に出でいるハズの王が、宮中で目撃されれば大騒ぎになることは必須だ。金糸と碧眼が両方揃っているのは紛れもなく王族の証で影武者だと誤魔化すには無理がある。

 つまるところ、という法典の規律に抵触するイコール前王の罪が露呈する。


 王女はそれらを理解していて、その上でソレを身につけていた。


 無論、母親である国妃を騙せないことも、母親であるが故にその衣裳を着れば国王として接してくることも、計算の内。


 総ては、偽を真に成すべく為の絵空事ユメ


がワタクシのところに来てくれるのはやぶさかでもないのですが……それは良からぬことを策しいる時かと」

「お見通し、ですか。けれど、母上もご存知の通り王宮の人間はもう一つの顔を笑顔の下に隠しています。その中で害を為すモノを見極めるのは至難の技。但しそれは平時の話で、今は誰かが起こした乱時——絶好の機会、と」


 どこか咎めるような物言いに、王女はふっと力を抜いて微笑を見せた。悪すらも善であるかのような優しく、もし隠し事でもあろうものなら、つい話してしまうだろう無邪気な笑み。


 陛下の死因は、恐らく自殺かと。王女が何を探っているのか漸く検討がついた国妃は、王太子への報告とは異なる見解を述べた。


「母上でも、確信には至りませんか。いや、寧ろ心算だった、とも取れますね」

「そのあたりは何とでも。排除するタイミングをアナタが間違えなければ済む話にて」

「正論ですね。では母上、今後とも是非お力をお貸し下さい。たとえ過程が違っても、同じ結果を齎します故」


 中途半端になったのは、国妃の意地か。それとも意地悪か。

 どちらにせよ王女はそれ以上を望むことはなく、掬うように国妃の手を取るとその甲に唇を寄せた。そして、纏っていた上衣下裳を取り払う。


「陛下にも何か、企みがあるご様子ですよ」


 いつもの姿に戻った王女は、国妃の助言にひらりと後ろ手を振ってその場を後にした。

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