六人目 玲(Re-i)

 


 昨日に引き続き、ノック音も、チャイム音もなく、俺は目覚めた。

 しかし、目覚めて見上げた部屋の天井は、記憶にない模様だった。しかも、胸の辺りで不自然な重さを感じた。すると、毛布の切れ端みたいな感触のものが俺の鼻面を左右に撫でたのがわかったから咄嗟に顎を引いて前方を見たら、俺の胸の上に猫がお尻を向けてしゃがんでいた。


「ミケラン」


 そう俺が呼んでも、猫は答えることなく、さらに尻尾の左右の動きを加速させただけだった。


「ミケラン!」


 さっきよりも語気を強めて呼ぶと、猫はそのままの姿勢を保持したまま「ニャー」と一声鳴いた。


「胸の上にお前が居るのは許す。しかしな、俺の顔にケツを向けて座ってる、ってのはどうなんだ?」


 努めて静かにそう言ったが、それには猫は答えなかったから、俺は静かに起き上がり、それに合わせて、猫は俺の胸からベッドへ、そして、床に降りて隣の部屋に行ってしまった。



 俺は、ベッドのヘッドボードに置いてあった眼鏡を取って掛けて、煙草に火を点けた。

 此処は、俺が東京から田舎に引っ込んで最初に借りたアパートの一室だった。部屋は1Fにあり、6畳の居間と4畳半の寝室と、1畳のキッチンがある部屋だった。

 猫の名前は、ミケランといい、三毛猫のミケと、血圧を低くする薬の名前を合わせてミケランと呼んでいた。

 

 この部屋に居るということは、訪れる女は一人しか該当しない。

 この女は、このアパートから歩いて3分くらいに実家がある女で、俺が嫌々、この街にある大学に入り直して半年ほど経って知り合った女だ。


 女の名前は、玲という。玲は、この街の地方銀行に勤めている窓口行員だった。玲は、自分の勤めが終わると、ほぼ、毎日、このアパートの前に自分の車を路駐させて部屋を訪れた。おそらく、今日も、そうなんだろう、と俺は思った。


 玲は、俺のアパートに寄ると、そのまま部屋で過ごすか、玲の車に乗って外食したり、コンビニで弁当を買ってきて部屋で食べたりした。休みの日は、やはり、玲の車に乗ってどこかに遊びに行くのが常だった。

 ここまでを他人に話せば、仲が良い恋人同士、という感じに見受けられるだろうが、実際は、ひとたび会えば、ほぼ高い確率で喧嘩をする仲だった。向こうっ気が強くて決して謝らない玲と、意地っ張りで頑固な俺の組み合わせだから、それはしょうがないことだった。

 でも、どんなに激しく言い合って喧嘩をしても、後日まで引き延ばすことはほとんどなく、最後には濃厚なセックスをして仲直りしていた。


 俺史上、もっとも回数の多いセックスをした相手は玲だったし、もっとも高い快感を得るセックスをした相手も玲だった、と、今でも思う。

 何回、体を重ねても、お互いが行う手順は変わり映えしなかったが、そこから得られる快感に飽きも、惰性も存在しなかった。

 玲は、俺の手と、重なり合う体の感触を好んだ。

 事が終わった後に「もう、離れられないね」と言う玲の台詞を何度聞いたか知れない。


 数知れないくらい喧嘩をして、数知れないくらいセックスをした俺たちは、6年間、付き合い、そして、結婚した。昨日まで登場した女たちで言えば、静葉さんの後に出会って、手結子の前まで付き合い、結婚して、そして、別れた。

 6年間も付き合ったのに、結婚生活はわずか1年とひと月だった。その短い結婚生活を過ごしたアパートが昨日まで居た2Fのアパートだった。だから、てっきり、玲が訪れるとばかり思っていたが、そうじゃなかったし、訪れる順番も違って、このタイミングだったことが不思議だった。




 結婚して間もなくのことだった。


「あなたの家の子どもは、かわいそうね」


 玲が言ったこの一言が、俺の玲に対する思いを変えた。

 そして、それ以後、別れる直前まで、セックスどころか、玲に触れることすらなくなった。


 最後の朝、俺は「いってきます」と言い残して職場に向かい、玲は、それでも、アパートの玄関のドアを開けてパジャマのまま見送ってくれ、俺が勤めを終えてアパートに帰ったときには、部屋の窓を塞いでいた大きな洋服タンスと共に玲は居なくなっていた。


 それが、俺と玲の全てだったけど、俺が今、居るこのアパートの一室は、そんな結末になることなんて知る由もない頃の部屋、だ。

 そして、この部屋に、間もなく、何も知らない玲がやってくる。俺は、何も知らない玲に、何も知らないふりをして話し、何も知らないふりをして抱きしめ、何も知らないふりをして体を重ねるだろう。その刹那的な僅かな逢瀬であっても、俺はそれを心から望んでいるのだ。



「コンココン」


 俺は、何も言わずに、何も聞かずにドアを開ける。


「玲」


「今日は、本当に、参った。2円合わないんだもの~」


「玲、お帰り。もう、最後に聞かれて俺が答えるのは嫌だから、最初に言っておきたい。俺に、何かを言ってもらいたいだろ?」


「え?え? う、うん」


「玲、俺を許してくれ」


「え?なに? 今日は、10月24日。私の誕生…」










 視界が明るくなって、目の前にはパソコンのディスプレイがあった。

 間もなくすると、壁紙といくつかのアイコンが貼られているディスプレイの真ん中に、文字が浮かび上がった。


【夢見(YUME-MI)が終了しました】

<Time:126min.37sec.>


 俺は、電極がたくさんついたヘッドギアの顎ベルトをほどいて頭から外し、USBケーブルを外した。

 煙草にイムコのライターで火を点けて煙を吐き出しながら、もう一度、【夢見】と書かれたアイコンをクリックして、説明書きをスクロールした。



【夢見(Yume-Mi)】

~脳内にある過去の記憶を独自のストーリーで蘇らせるアプリケーション~


〔操作方法〕

Step1 「#」に、あなたが蘇らせたい記憶のキーワードを入れてください(最大5個)

~履歴~

 #過去に振った女たち 

 #部屋で1拍 

 #SEX 

 #喧嘩しない

 #女たちが思っていること


Step2 シチュエーションを細かく設定したい場合はAlt+F3

~履歴~

 おまかせ


Step3 Enterを押す



〔保存〕脳内で観た動画は、パソコンに保存できます

 *このアプリケーションを起動させた状態で保存してください。

 *あなたのパソコンの任意の場所にフォルダを作って保存してください。

 *パスワードは、脳内動画で登場した質問への回答(後述)を使用してください。大文字・小文字を交えてアルファベット10文字以上。


〔ご注意ください caution〕

 長時間に渡る【夢見(Yume-Mi)】の使用は、脳に大きなダメージを与えるため、脳内動画に登場する人物の質問に対して、あなたが正解を答えた場合は、その時点でアプリケーションが終了となりますのでご了承ください。




 俺は、早速、パソコンに保存用のフォルダを作ってパスを入れた。


「Yu Ru Si Te Ku Re」



(そうだったか。だから、玲が最後だったんだ…)




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訪ねてくる女 橙 suzukake @daidai1112

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