損害

 私、松山平吉は、とんでもない話に巻き込まれました。その顛末を、続けてここに記すのです。


 引き続き、既に書いたような出来事の細部を語ることにします。ここからは、私の損害について申します。


 最初の話を聞いたとき、私は、既に書いたとおり、商品のパンフレットの原案を作りました。そういうものならこうなるとして空白をどう埋めるかと考えるためです。吉田さんに送り、返信はきましたが、それだけでした。これも既に書いたとおり、それから一月以上も何も起きませんでした。

 その後の合議では、その原案の話は出ませんでした。吉田さんがご不在だったことから、吉田さんがご自身のところで止めて他の方に話をしていないのではないかと拝察せざるを得ませんでした。フェイクブックには、書いていなかったのでしょう。あれほどまでにフェイクブックへの異常な拘泥を示しておられた吉田さんなら、ネタがあればすぐさま何かを書いたでしょうに。


 あの合議の後、そこで出た話を踏まえ、私は幾つかの準備をしました。

 一つは、食い込むべき業界に関する報告書です。業界団体の様子を踏まえて、資本金等様々な面から業種の特質を分析しました。

 形にしたのはそれだけですが、準備しかできなかったことも、いろいろあります。

 梅川さんが言うような仕入れ値より安いものがありそうでした。それらは駄目なのか、駄目ならなぜか。この質問をする準備を整えました。そこを詰めないと細かい検討に進めないからです。

 また、法人化のための下準備も進めました。現行法が求める書類や費用、それに手続の方法について、調べ直しまとめ直しました。この手の話は、気を抜くと細部が変わっていたりします。ですから、知ったつもりでいることができません。


 一晩でできたのは、その程度です。ところが、吉田さんは「忙しい」し、杉本さんも梅川さんも無能なので、連絡のしようがないままでした。ですから、これらは無駄に終わりました。私がいなければ、何ヶ月もかけて程度が低い分析をひり出してみたり、どこかに丸投げして何十万円も取られることになるお話です。でも、吉田さんたちの振る舞いは、それを問題だとしていません。吉田さんたちは、あえて、私が許さないことを理解できる選択をしておられるわけです。吉田さんたちの判断が合理的であるとするならば、私が手を貸す必要はありません。もし吉田さんたちが合理的に考えてそうしたつもりでないのならば、頭が悪いということですから、やはり関わりたくはありません。この結論を出すのに、時間はかかりませんでした。


 一晩でできるといっても、私がやるからそれで済むわけです。あなたにそれができるかどうか、考えてみても損はしないことでしょう。

 見れば簡単な報告書一つでも、背景にはいろいろあるものです。公表された資本金の額を表にするだけでも、元データを成型してしかるべく整列し、最後に印刷向けに整える必要があります。元データはたいがい見栄え重視なので、途中の手作業での処理なしでは機械的にいじれません。そういった作業を対象に応じていろいろやるのは、久しぶりでした。

 エクセルを方眼紙だと思っているような知能の低い方でも、見た目に似たものを作ることはできます。しかし、そういう方々には論点に応じた処理ができません。つまり、ちょっとした小さなお話にも、裏付けになる知識があるものなのです。

 それら様々な数字は、ただ並べても無意味なものです。その後ろにあるものを読み取らなければ、どうにもなりません。ここを理解できない方が真似ても、成果にはつながりません。詐欺師ならそれを飯の種にすることもできますが。

 でも多分、吉田さんたちはそういうことをご存知ありません。


 仕入れ価格も、重要な問題です。売れる値段が変わらない以上、採算ラインがそこで変わるからです。梅川さんはやけに高いものを推していました。その理由もわかりません。事業を継続するなら、ここをはっきりさせないとどうにもなりません。そもそも、継続できるかどうかからして、このあたり抜きには話ができません。

 もしもっと安い材料でなんとかできるならば、採算ラインが下がります。どうやっても無理な話が、なんとかなる話や儲かる話に変わります。ですから、話を進めるかどうかを考える上では、この点を速やかに確定させなくてはなりません。諦めるかどうかの大きな判断が、その先にあったのです。

 もっとも、杉本さんたちの答は、私がその話に参加するのを拒むというものでした。多分そんなつもりはないと言い張るんでしょうけれど、そんなものは後出しの言い訳にもなりません。寝言です。幼稚園くらいのうちに、寝言は寝て言えと習わなかったのでしょうかね。


 法人をつくる準備は、それなりに手間です。ただ書類を作るだけなら、文盲でもない限り誰にでもできます。しかし、その前振りは、ちょっと違います。複数の経路を考え、相違とかそれぞれの特質を踏まえ、素人でも比較できるようにしなくてはなりません。株式会社にすれば外で話はし易いが設立の経費が大きいとか、そういったことすら、素人さんはイメーヂでしか知らないのです。部分的にNPO的なものを先行させる案も出ていたので、このあたりはなかなか大変でした。会社とのできることとできないことの違い等が、いろいろあるからです。いざやろうという時に素早く動くための準備も、馬鹿にできません。素人さんにどこでどんな紙切れを集めればよいかを確実に伝えるのは、意外と大変です。お役所も細かいことをいろいろ言うものなので、そちらへの対策もせねばなりません。各自が平日に時間を使えれば一日で間違いなく片付くような手筈は、整っていました。


 そんな作業は、無駄でした。ただ、私の損害は、概ねこの一晩分で済んでいます。遠くの吉田さんのところまで行って、その日のうちにできることを片付け、まずは連絡を待ったからです。その後の吉田さんの寝言を見て撤退を決めたので、この程度の被害で済みました。機会費用は、まとめて二日分の日当といったところでしょうか。それと、交通費が数千円です。馬鹿にできるものではありません。そして、ずるずる続ければどうでしょう。失敗を確約された事業に関われば、時間も資金もすべてが無駄です。私は、その最悪の事態を回避するために、すぐさま決断したわけです。


 もしかすると吉田さんは、私をただの鉄砲玉として使うつもりだったのかも知れません。それはありえることです。吉田さんはかつて、私の仕事を三度尋ねました。それは、痴呆でもなければ、お前になんか興味はないというご意思の表れです。昔の武士なら無礼討ちをするんだろうなあと考えはしましたが、私は商売人なので、何も言いませんでした。吉田さんほどのエラい方なら、その程度の相手を使い潰そうとお考えでも、おかしくはありません。それなら、吉田さんたちの判断が押し通されたことも、理解できます。ただ、この経営者の下で働くという選択は、十分な判断力を持つ者にはありえません。こういう方々は、手足が生えているだけの方を最低賃金で使えばよいのです。少なくとも、そういう使い方をしようというなら、応分の報酬を最初から出すべきでしょう。私は額にかかわらずお断りしますけれど。

 ここまでの話しから、吉田さんを黙らせればよいと考える方がおられるかも知れません。それは大きな間違いです。杉本さんも、フェイクブックについては明らかな共犯です。それをよきものとして讃える立場は、ありえません。梅川さんにしても、杉本さんと同程度に無能であることが明らかです。こういう方々を幹部として使うのは、大仕事です。よほどの利益を見込めるならともかく、手間を考えれば割に合いません。それは、猫に空を飛ばせるとか、犬に歌をうたわせるようなお話です。


 ですから、私がこの企画に噛むことは、ありません。今土下座ずれば応分の条件で許すわけにいくところで、吉田さんは、なんだとう私たちは何も悪くないんだぞうと寝言を垂れました。蜘蛛の糸を自ら切った者など、仏でも救えません。私は寛大なので、ありえない寝言を何度も許してきました。さすがにここまでやられては、万が一にも吉田さんたちが反省したところで、信用することができません。一発で十分すぎる過ちを許してきたのは、間違いでした。商売人として、一発で切り捨てるべきでした。そうすれば、時間を無駄にすることもありませんでした。悪即斬は、商売において避けて通れない原理だと、改めて痛感させられました。


 そんなところに呼ばれるとは恥ずかしいやつだと誹られるかも知れません。まったくです。こんなくだらない連中に関わるのは、恥ずかしいことです。お咎めは、甘んじて受けます。ただ、それでも私がこの恥ずかしい話を晒すのにも理由があることを知っていただきたいのです。世の中には、ありえない方が転がっていて、ありえない話を平然とやってのけます。そんなものを、俺たちにできないことをやってのけるかの如く見てしまう方がおられるのです。そういうものに出くわしたとき、冷静に考えなければとんでもない害を被るものだと、知っていただきたいのです。もし私がこの計画に関わり続ければ、すべてが破綻するまで、何十時間や何十万円をドブに捨て続けたことでしょう。あなたにも、そうする機会はあるかも知れません。手の込んだ落とし穴は、ありふれた景色に突然現れるものです。時間を無駄にしないよう、気をつけていただきたいのです。せっかく思いついてくださったお話を無碍にはできないとお考えなら、甘過ぎます。知恵のない者をあやすのは、福祉の仕事です。おそらくあなたの仕事ではありません。


 私は、一連の経験から、改めて身を正し危険を回避するよう努めねばならないと自覚し直しました。このどうでもいい記録が、あなたの未来のために多少とも役に立てば、そしてむしろ役立てるような機会が訪れなければよかろうと願っています。

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