それぞれの恋に祝福のキスを(スピンオフ短編集)

水城しほ

【ヒマワリ:過去編】ヒマワリとハヤブサ①

 物心付いた時には、私とハヤトは同じ屋根の下で暮らしていた。


 イトコのハヤトが母親のオリエちゃんと共に日向ヒュウガ家へと越してきたのは、まだ一歳にもならない頃だったらしい。通っていた美術大学の教授と年の差婚をして、そのまま東京に住んでいたオリエちゃんは、ハヤトを抱えて出戻って来た。

 ハヤトと同い年の私は、当然その時のことを覚えてなんかいない。実の兄妹のように育った私たちは、間違いなく「家族」だった。

 ハヤトは父方の姓のままだったので、家族の中で一人だけ名字が違った。

 小学校へ通うようになると、それを「ヨソの子」と言ってからかう同級生が出てくるようになり、しかし本人は何を言われても「あいつらがガキなだけだからほっとけ」と、全く相手にすらしなかった。腹を立てていたのは私だけだ。

 私はハヤトの代わりに、猛烈な剣幕で言い返した。男子に「鬼嫁」なんてあだ名を付けられたけど、何を言われたって構わなかった。

 誰がどれだけバカにしようと、ハヤトは私が守るんだ。ハヤトの素敵なところは全部、私がちゃんと知っているんだ――いつだって、そう思っていた。

 その感情は、恋だった。私の初めての恋は、血の繋がった家族が相手だった。


 高校生になると、私たちは別々の学校へ通うようになった。ハヤトは男子校で、私は女子校。毎朝一緒にバスに乗り、ローカル鉄道の駅まで出て、それから街へと向かう電車に乗った。背の高いハヤトは目立っていて、うちの高校では結構な人気があったけど、みんな私の恋人だと誤解していた。仲のいい友達にはイトコなのだと説明したけど、イトコなら結婚できるよね、一緒に住んでるなんて漫画みたい、などと羨ましがられる始末だった。

 優越感が、全くなかったわけじゃない。

 女嫌いのハヤトと仲良くできる女の子は、世界中で私一人だけだったのだ。


 事件が起きたのは、高校二年生の冬だった。

 その日、私は美術部の顧問と話し込んで、帰宅が遅くなってしまった。私がバスを降りた時、時刻は二十時を回っていた。

 普段、日没後は家族に連絡をして、バス停まで迎えに来てもらう。でなければ、街灯もロクにない田んぼ道を一人で歩かなければいけない。

 いつも送迎をしてくれていたおじいちゃんは春に亡くなり、平日に日向家の大人たちが帰宅するのは二十二時過ぎなので、今はハヤトが迎えに来ることになっていた。だけどその日は一人で考え事をしたくて、大した距離じゃないから平気だろうと、連絡を入れないまま歩き出した。

 頭の中は、進路のことでいっぱいだった。

 美術の先生になりたい私は、芸術学部のある大学に進みたかった。だけどお父さんが「アオイ一人では県外には出さない」と言い張っていて、県内で美術の教員免状を取得できるのは短大しかなく、私は四年生の大学に通いたかった。

 ハヤトも一緒に説得を試みてくれたけれど、取り付く島もなかった。だけど最後に「ハヤトと同じ大学ならなぁ」とこぼしていたのは、僅かながらの希望だった。つまりハヤトさえ巻き込んでしまえば、私は県外に出ることができる。

 しかし「ザ・田舎の凡人女子高生」である私と違って、ハヤトは優秀を絵に描いたような男の子で、絵に興味がないなら東大でも受けるのだろうかと思うくらいに成績が良かった。分相応に、ハヤトは東京の美大を目指している。

 足を引っ張らない為には、私が美大に合格するしかない。だけど私の成績では、隣県の総合大にある芸術学部が精一杯だと、現実を突きつけられた直後だった。


 ――東大行きたいってのと、同じレベルの寝言を言ってんだぞ、ヒュウガ。

 ――お前の成績じゃ、福海大の美術科でもギリギリなんだからな。

 ――まぁ定期考査で学年首席でも取ってから出直して来い、な?


 顧問の嫌味な笑顔が頭から離れなくて、イライラしながら歩いていた。

 ふと気付いたら、背後にトロトロ運転の原付バイクがいた。まるで私の歩調に合わせているみたいだ。気になって振り返ると、そこにいたのは同級生の宗司ソウジだった。私に「ハヤトの鬼嫁」というあだ名を付けた、悪ガキの代名詞みたいな男の子。


「おう、ヒマワリやっと気付いたか」

「あー……考え事してた」

「ボーっと歩いてんじゃねーよ、やけん俺みてーな悪ぃ男に捕まるとぜ?」


 目の前で悪戯っぽく笑っているソウジは、顔立ちはアイドルみたいなのに気性が荒く、通っていた高校を退学してからは不良の真似事ばかりしている。近隣では完全に鼻つまみ者扱いだった。

 だけど集落の同級生なんて、全員が幼馴染なのだ。私は態度を変えるつもりはなかった。よっぽどの犯罪にでも手を染めていれば別だけど、ソウジは原付で夜中の田舎道を走り回り、仲の悪いご同類と殴り合ってるだけで、縄張り争いをしている動物と同レベルにしか思えなかった。猫のケンカで猫を嫌いにはならない。


「なぁ、今日はハヤト一緒じゃねぇんか?」

「見ればわかるでしょ、今日は私が部活で遅くなったの」


 ああね、と呟いたソウジは、急に原付から降りた。


「一人じゃあぶねーぞ、送ってっちゃるわ」


 その意外な言葉は、正直言って嬉しかった。鼻水垂らした幼稚園児の頃から知ってるソウジを、私は微塵も疑わなかった。


「ソウジやさしー、うれしー、ありがとー」

「俺ぁどーせ暇人だけんな、コーコーセーはとっとと帰って宿題やって寝ろやい」


 ソウジの全く気取らない、方言丸出しの言葉が心地良かった。

 田んぼ道を、二人で並んで歩く。月明かりに照らされて、ソウジの色を抜いた髪がキラキラ光ってて、ちょっとだけ格好良く見えた。服のセンスは独特だけど……龍の描かれたスカジャンは、私の美意識には馴染まない。

 じいっと服を見ている私に気付いたソウジが、逆に私のコートの校章に目を留めた。


「その南女子ミナジョの校章見るとさ、お前けっこー頭良かったんやなーって思うわ。俺と似たり寄ったりと思ってたんになぁ、ハヤトはまぁわかるんやけどさ」

「ハヤトは規格外だからねー。あー、私も血が繋がってるはずなのになー、南女子ミナジョとか中途半端すぎぃ」

「俺なんか、あの北有工業キタコーを中退やぞ」

「ケンカなんかするからでしょーが、バカなんだから」


 譲れねぇことがあんだよ、とソウジが言った。私にはそういうの、よくわからない。それは性差や学力のせいではなくて、そもそもソウジと私は、見えている世界そのものが違うんだろうと思う。

 昔よく秘密基地にしていた、長く使われていない倉庫の前に差し掛かった時、ソウジが足を止めた。


「ヒマワリ……いま、彼氏おるんか?」

「いないよー、ハヤトも彼女いないよー」

「おう、俺も彼女おらんよー」


 ソウジは原付を停めると、いきなり私を抱きしめた。驚きで手を離してしまった通学鞄が、バサリと音を立てて足元に落ちた。


「彼女作るんやったら、俺、ヒマワリがいい……」


 耳のそばで、甘い声がした。

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