(最終話)第50話 だってわたしたち

 きっと健吾くんは精一杯だった。


 口調は慌てているみたいに早口だったし、笑い方はわざとらしかったし、笑い終わった後には、苛立たしげに舌打ちをしていた。「なにやってんだ俺」とでも言いたそうにしていたのは、多分わたし以外には分からなかっただろう。


 美紀ちゃんは、そんな健吾くんの気持ちに気づく様子もなく、いつものように


「何よ、ニセ彼氏のクセに偉そうに!!」

「…くっ、何だよ。お前だって鹿島のニセ彼女だったじゃねえか」


 いがみ合いを始める美紀ちゃんたちを余所に、わたしは、鹿島さんに伝えなければならないことがあるのを思い出した。


「あの、鹿島さん。さっき美紀ちゃんの言っていたことですけど、入れ替わろうって言い出したのは、本当は、」

「分かってる……。優紀ちゃんなんでしょ?」 


「知ってたんですか?」

「いや、何となくね……。だって、美紀ちゃんはずっと嫌がってるように見えたし、つらそうにしてたから」


 そんな鹿島さんを見て、健吾くんは諍いの手を止め、呆れたように声をかける。

「……なあ、鹿島。お前ってさ、妙に鋭いクセにホントに気づいてなかったのか? 二人が入れ替わってたこと」


「変だとは思ったんだけどね、……さすがに気づかなかったな。全く、これじゃあ本当に彼氏失格だよ。ごめんね、優紀ちゃんも美紀ちゃんも」


 鹿島さんはそういって申し訳なさそうにうつむいて頭を掻く。

 けれど、美紀ちゃんは


「それ、嘘ですよね? 先輩」


 嘘?


「先輩は、お姉ちゃんのことを信じようとしたんじゃないですか? 『優紀ちゃんがそんなことをするはずがない』って」

「えっ……」

小さく驚きの声を上げたのは、わたしだった。


 それは考えてもみなかったことだった。

 けれど、言われてみれば、いかにも鹿島さんらしいことだった。

 信じることが愛情なのか、疑っても真実を知ろうとするのが愛情なのか、それは答えのでない問いだけれど、鹿島さんはきっと前者を選ぶから。


 けれど鹿島さんはかぶりを振る。


「……いや、どっちにしろ気づけなかったんだから、同じことだよ」

「騙された挙げ句、キスまでさせられてるしな。……っくくく」

「ちょっと健吾。アンタが言うことじゃないでしょ!!」

「ん? ああ、そっか、そっか、不意打ちでお前にキスしたのは俺も同じだって? ハハッ、ちゃんと覚えてくれてるじゃねえか。やっぱ初めての相手は忘れられないか」


 それを聞いて何かを思いだしたのか、美紀ちゃんは顔を真っ赤にしてうつむいて、

 顔を上げると同時に

「健吾―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」


 気が付けば、辺りはすっかり夕闇に呑まれていた。

 後夜祭のバンド演奏は最高潮を迎え、元体育科の校長が後夜祭に乱入して応援団風の派手なパフォーマンスを披露する。曰く『我が校のますますの発展を祈ってぇ、三三七拍ー子!!』


 祭が終わる。

 明日からは、また新しい日常が始まる。その日々の中で、わたしたちはどうなっていくのだろう。


「ねえ、お姉ちゃん」


 さっきまで健吾くんを追い回していたはずの美紀ちゃんが、目の前で満面の笑みを浮かべていた。


「明日、デートしない? 先輩とあたしとお姉ちゃんの三人で」


 いつの間に話をつけたのか、健吾くんはどこへ行ったのかと思っていると、地面にノビている物体が口をきいた。

 

 怒った美紀ちゃんに投げ飛ばされたらしい。


「うぐぐ。ちょっと待て! 俺も行くぞ」

「健吾は誘ってないでしょ。どうせお邪魔虫なんだから!」

「お邪魔虫はどっちだ。三人で行ったらどうせ鹿島は優紀さんに夢中で、お前一人淋しい思いをするに決まってるじゃねえか。ハハハハハっ」


「うるさいわね!! ……そうだ、お姉ちゃんだって、先輩だって、健吾なんてナシの方がいいですよね」


「え、っと、僕は別にかまわないけど?」

「わたしも別にいいけど?」

「ええ~~、なんで、どうして?!」

「くくっ。お前が俺に突っかかってる間は二人っきりになれるからに決まってるじゃねえか」


「そんな、お姉ちゃんひどい! 先輩も!」

「い、いや、僕は別にそんなことは……」

「美紀ちゃん。わたしも、そんなこと少しも……」

「そんなこといって、ホントは少しは考えたんだろ? 二人とも」

「!!…………」

「!!…………」

「ううううぅ~!」

「くくくくっ」


 笑い声と怒鳴り声と祭の歓声と喧噪と、

 夕闇に包まれた双子地球を、満天の星空が見下ろしていた。

 

         @


 ――夢をみた。

 それは、学校中に桜が咲き乱れていた頃の夢。

 それが、わたしと鹿島さんの出会い。

 わたしが鹿島さんと最初に会ったのは、四月。


 花壇のある体育館裏だった。

 その日は暖かい春の日で、昼休み、美紀ちゃんのクラスへ向かうと、美紀ちゃんは新しい学校の新しい友達とお弁当を食べていた。


 わたしは何となく、その場を邪魔する気にはなれず、かといって今更教室に戻るのももったいなくて、暖かな日射しに誘われて外へ出た。


 どうしてあの場所に行ったのかは、わたしにも分からない。


 けれど、人知れずひっそりと咲き誇る花壇の花びらが本当に綺麗で、わたしはスカートが汚れるのも気にせず、花壇の縁に座ってお弁当の包みを解いて、


 突然、声をかけられた。

 ――あれ? 美紀ちゃん、だったっけ。ウチの部の新入生の。

 ――えっと、あの、美紀ちゃんのお知り合いですか?

 我ながら、マヌケな返答だった気もするけれど、それがわたしと鹿島さんが最初に交わした言葉だった。

 

 その人は、わたしが美紀ちゃんではないことを知ると慌てて何度も謝って、テニス部の鹿島だと名乗った。どうしてか、初めて会った気はしなかった。


 鹿島さんは園芸部が卒業して荒れかけた花壇を自分から引き受けて世話しているらしかった。だけど部活の方も朝練昼連が忙しくて、なかなか時間がとれない。それを聞いたわたしは、その花壇の世話を買って出ることにした。


 鹿島さんに惹かれたから、というわけではないと思う。

 ただ、ひっそりと咲く花壇の花があまりに綺麗で、このまま荒れさせてしまうのはかわいそうだったから。

 本当に、それだけのつもりだった。


 やがて、六月になって、美紀ちゃんに好きな人ができた。


 同じ部の先輩、と聞いただけで何となく鹿島さんだということは予想がついた。

 もちろん、ショックとかそういうのはなかった。


 だって、わたしは別に鹿島さんのことなんて何とも思っていなかったから。


 そのはずだった。

 初恋のときめきも、心臓を打ち抜かれたような衝撃も、鹿島さんを好きになるきっかけもエピソードも何もなかった。


 だから、わたしは最後の最後まで、鹿島さんに告白されて自分が頷くまで、自分の気持ちに気づいてはいなかった。


 わたしが大切なのは美紀ちゃんだけ。

 美紀ちゃんが笑っていればわたしはそれで幸せ。

 本当に小さい頃からずっとずっとそうやって生きてきた。

 

 だからやっぱり、わたしは自分でも気づかないうちに美紀ちゃんに遠慮していたんだと思う。

 でも、それは、我慢とは少し違うような気もした。

 

 ――お姉ちゃん。

 

 美紀ちゃんの声が聞こえる。

 その言葉が元気をくれる。

 

 ――お姉ちゃん、お姉ちゃん。


 美紀ちゃんがいたからわたしは強くなれた。

 美紀ちゃんがいたからわたしは優しくなれた。

 美紀ちゃんは自分のことを守られてばっかりと言ったけれど、本当は、助けられていたのはわたしの方。


 お母さんが死んでからも、わたしが元気でいられたのは美紀ちゃんがいたから。


 わたしが初めて作った料理は黒こげのハンバーグ。

 でも、美紀ちゃんは文句も言わずにそれを食べて、ありがとうと言ってくれた。夜、怖くて眠れないのはわたしも同じだった。


 けれど、美紀ちゃんが布団に潜り込んできて、わたしを頼ってくれて、そうすると不思議と怖くなくなってしまうのだ。


 美紀ちゃん。

 わたしの大切な一つ子。


 何もかも同じで、けれど、全く別なもう一人のわたし。

 わたしは、美紀ちゃんと一つ子に生まれて本当に……。


 ――お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん。

 

 ――起きてお姉ちゃん。ほら、今日はデートの日なんだから。


「う……、ん。美紀ちゃん? デート?」


 ぼんやりと視界の中に、美紀ちゃんの姿が浮かび上がる。


「もう、目覚ましまで止めちゃって。よっぽど疲れてたんだね。アハハ。初めてお姉ちゃんを起こしちゃった」


「目覚まし……」

 起きた。 


「美紀ちゃん、今何時!?」


 カーテン越しの光が、目に眩しかった。勢いよく起きたせいで、枕元にいた美紀ちゃんと危うく頭をぶつけそうになる。


「大丈夫。まだ八時くらいだもん」

「……でも、お弁当は?」


 わたしがそう言うと、美紀ちゃんは待ってましたとばかりにニカっと笑い、


「お弁当はあたしが作っておきました。味の保証出来ないけどねっ♪」

「美紀ちゃん……」


 そうやって笑う美紀ちゃんを見てたら急に抱きしめたくなってしまった。


 けれど、わたしは抱きしめるのをやめて隣に座った美紀ちゃんへ身体を預ける。

 美紀ちゃんの肩に、甘えるように頭をのせ


「……ありがとうね、美紀ちゃん」

 そういうと、美紀ちゃんは目を白黒させながらわたしの頭を撫でてくれた。


「……ふふっ。なんか、お姉ちゃん、あたしみたい」

「アハハ。たまにはいいでしょ? だってわたしたち一つ子なんだもん」


「……うん」


 そういって美紀ちゃんは、もう一度わたしの頭を撫でた。

 美紀ちゃんの手は、柔らかくて暖かかった。


 勢いよく、カーテンを開けた。


 小気味のいい音を立ててカーテンが開き、お陽様が目に飛び込んでくる。眩しさに負けないように、わたしたちは両手を広げて大きく伸びをした。


 そして顔を見合わせ、わたしは微笑む。

 美紀ちゃんは頷く。 


「うん! 今日もいい天気っ」


(おしまい)

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双子地球〜92%が双子の世界で、憧れの先輩と双子の姉が付き合いはじめたら〜 我道瑞大 @carl

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