中編 メイクアップボーイ

「おまえん家、美容院だったのか?」


 音奏の家に到着するなり、俺は胸を撫でおろす。

 女子の部屋にお邪魔するのかと緊張していたが、違ったようだ。


「そう。入って」


 オシャレ空間に気後れしながらも、俺は音奏の背中を追う。


「ママ、言っていた通り奥借りるね」

「はーい」


 俺は小さく会釈をする。

 何か言うべきだろうが、場違い感が凄くて口が動かない。


「こっち来て」


 言われるまま、音奏に続くと小さな個室。

 本来は簡易エステで使用するスペースに案内された。


「はい、座って」


「いったい何をする気だ?」

 指示に従いながらも、俺は訊く。

「正直、俺の顔面はどうしようもないだろ? メイクしたってあのレベルなんだ」

 卑屈になっている俺とは裏腹に、


「そりゃBBクリームだけじゃね」

 音奏は作業の片手間で答える。


「BBクリーム?」


「オールインワン――スキンケアから日焼け止め、化粧下地にファンデーションが一つになったモノよ」

 そう言って、音奏は色々なメイク道具を見せる。

「他にも、CCクリームってのもあるんだけど」

 下地とコントロールカラー。

 音奏は説明をしてくれるも、


「いや、訳がわからん」

 俺にはさっぱりだった。


「ベースメイクってやつ。でも、それらは本来の手順を簡略化したものなの」

「いや、だから説明されたところで――」

「洗顔後のスキンケアとして、化粧水くらいは知ってる?」


「まぁ、な」

 さすがにそれくらいは知っていた。


「実際は化粧水、美容液セラム、乳液って付けていくんだけどね」


 俺は諦めて黙り込む。

 こいつは人の話を聞く気がない。


「~♪」


 というか、楽しそうに語る音奏に面食らってしまった。

 彼女はぺらぺらと口を動かしながら色々な準備をしている。


「よしっ、じゃぁ始めようか」


 整ったのか椅子を倒され、俺は動かないよう命じられる。


「最初はクレンジング。表面の脂を溶かしてやるの」


 透明で粘度のある液体を両手につけ、音奏は俺の顔面に触れる。


「水や洗顔料だけで顔の脂を落とそうとすると、必要以上にこすりがちになっちゃうから。一週間に一度くらい、こういうクレンジング剤を使うといいよ」


 状況が状況だけに俺は喋れない。

 加え、彼女の指先はとても気持ち良かった。


「ついでにマッサージ。滑らせるように、横への動きを意識する。普段使わない筋肉を刺激してやることで、シワやたるみも改善が期待できる」

 

 いや、もう好きにしてください――という気分で俺は受け入れる。


「終わったら少量の水を加えて、乳化させる。液体が白濁したらOK。すすぎ残しがないよう洗い流す」


 洗い流して、という指示に俺は従う。

 その間に音奏の両手にはもこもこの泡が作られていた。


「で、よく聞く洗顔。毛穴の黒ずみが気になる人は酵素系、毛穴の開きが気になる人はレチノール」


 意味不明な単語がでてきたが、訊き返す気力はなかった。

 とにかく彼女の手は気持ちよい。

 洗顔が終わると丁寧に顔をふかれ、化粧水、美容液、乳液を順番につけられる。

 化粧水はコットンだったが、美容液と乳液は素手だったので実に気持ち良かった。


「日焼け止めを塗って――」

 

 もはや、至れり尽くせり。

 俺は音奏の操り人形となる。


「ここから、メイクを始める」


「さっき言ってた、ベースメイクってやつか?」

 黙っているのも悪い気がして、俺は口を開く。


「そうそう。化粧下地、ファンデーション、パウダーを塗っていくの」

「つまり、なんちゃらクリームってのはそれらが纏まった奴なのか」

「さすがにパウダーは入ってないけど、そんな感じ」


 なんとなく、俺は理解してきた。


「化粧下地を塗るだけでも毛穴が引き締まって見えるし、肌の赤みを和らげるができる」


 真っ白いクリームよりも硬いモノを塗られ、鏡を見れば少しイケメンとなった俺。


「これだけなら、まずバレない。CCクリームはスキンケアにこの下地が入ったものね」


「なるほど」

 先ほど言っていた、簡略化の意味を理解する。


「次にファンデーション。色々と種類はあるんだけど、今回はリキッドタイプを使う」


 次に塗られたのは肌色の液体。

 音奏は柔らかなブラシを使って、それを伸ばしていく。


「BBクリームはスキンケアにここまでが入ったもの。まぁ、商品によって違う場合もあるけど」 


 まるで肌色の絵の具。

 汚かった俺の顔面が奇麗に均されていく。


「ちなみに部分的な問題はコンシーラーを使ってカバー。目立つシミや吹き出物。あと青髭とかね」


 より濃い絵の具のような代物が顔面の障害物を覆い尽くす。ニキビ、髭の剃り跡、細かな傷やシミなどなどが隠されていく。


「そしてパウダー。僅かな隙間や繋ぎを埋めて、メイクの崩れも防止する」


 俺のイメージにある化粧――例のパフをはたかれて完成。

 俺の顔面が陶器のように仕上がった。


「凄いけど、やっぱ化粧感あるな」

 俺は鏡に顔を近づけ、ぼやく。


「近くで見るからでしょ? 普段、ここまでの距離に近づかれることある?」

「ない、な」

「それに視力が良い人って案外少ないし。いたとしても、じろじろと相手の顔面は見ないって」


 音奏が俺の頭を掴んで、鏡から遠ざける。

「どう? この距離から見て、わかる?」


「……いや。わからん」

 素直に負けを認め、俺は両手をあげた。


「でしょ? メンズメイクってバレてはいけないオシャレだから」

 誇らしげに音奏は笑う。


「メイクって凄いな」

「こんなの序の口よ。ここからアイメイクにノーズシャドウも入れるんだから」

「もはや、詐欺だな」

 

 ネットで化ける女は見たことあるが、男もここまでとは思いもしなかった。


「とりあえず、本番までBBクリームで良いから付けて過ごして」

「え? それはちょっと」

「いくら肌を奇麗にしても、所作が汚かったから意味がないの」

 

 遠回しの悪口を浴びせられ、俺は内心でイラッとする。


「それと肌が汚い人って、知らない内に顔を触りまくってる場合が多いから」

「うっ……」

「でもメイクをしてたら、不用意に触れなくなる。また汗や涙が出ても丁寧にハンカチで拭うし、単純に鏡を見る回数も増える」


「……なるほど」

 理論的に説明され、俺はどうにか怒りを押しとどめる。


「あと夜の洗顔料や化粧水はレチノール製品を使って」

「そもそもレチノールってなんだよ?」

「ビタミンA。毛穴の開きに効果大。ただ副作用として、紫外線に過剰反応を引き起こすようになる」

「は?」

「男子ってさ、日焼け止め付けないでしょ?」

「まぁな」

「だから、よ。副作用があるってなれば、忘れないで付けるようになるっしょ?」

「……」

「まぁ、日焼け止めはBBクリームに入っているから」

「つまり、毎日忘れずに使えと?」

「文化祭当日、笑いものになりたくないならね」


 音奏がいなければ、間違いなくそうなっていた。


「……なんで、ここまでしてくれるんだ?」

 今更ながら、俺は訊いてみる。


「だって、私たちはペアじゃん」


「それだって、おまえが言い出さなければなかったはずだ」

 そう指摘すると、彼女は困ったように笑った。


「傲慢だって思われるから嫌なんだけど……聞いてくれる?」

「あぁ。俺たちはペアだからな。相方の愚痴くらい聞いてやるさ」


 俺は調子に乗って格好つける。

 今は化粧の魔法がかかっているので、これくらいいいだろう。


「容姿を褒められるのが嫌いなわけじゃないんだけど、それが当たり前って言われるのは嫌なの」


 格好つけた俺の言葉が面白かったのか、小さく笑ってから音奏は語り出した。


「あのままだったら、どうせ『美人だから』で終わってた。何をやってもさすが美人。奇麗だから様になるってね」


 本人が言っていた通り、それは傲慢なのかもしれない。


「でも、あんたを格好良くしたらきっと……そんなことを思ったの」


 俺が格好良くなれば、きっと彼女のセンスとメイクが褒められる。

 間違っても、俺は褒められない。

 そのことを理解しているからか、音奏は申し訳なさそうだった。


「ごめん。私の我儘に巻き込んじゃって。勝手に利用しちゃって」


 俺は怒るべきか悩む。

 まぁ、悩んでいる時点で怒ってはいないのだが。


 ぶっちゃけ、俺には役得しかなかった。


 音奏が何も言わなければ、俺の立場は最悪だったと容易く予測できる。

 どうせ不細工だからと不貞腐れ、なんの努力もせず本番を迎えていたに違いない。


 メイクはおろか、スキンケアすらしようと思わなかっただろう。

 

 そして今日、俺は彼女が頑張っていることを知った。スキンケアからメイクまで、音奏は楽しそうに語っていた。

 彼女はきっと、そういうのが好きなのだろう。

 大好きだからこそ、認めて貰いたいのだ。


「うーん」


 しかしそれはそれとして、せっかく彼女が負い目を感じているのだ。

 ゲスい考えかもしれないが、これは何か要求しても許されるのではないだろう?


「ぅー……」

 

 不安げな眼差して、音奏はこちらを窺っている。

 これがまた、実に嗜虐心を刺激する。

 

 とはいえ、卑猥なことは望まない。というか、さすがに無理だとわかる。

 そんな気味悪がられるだけの行為は損しかない。


  ただ、彼女の罪悪感――気が晴れるような要求はするべきであろう。


 きっと、それこそが彼女の為になる。

 そう、別に脅迫でも交換条件でもない。

 円滑に文化祭を迎える為に必要なことだと、俺はさんざん言い訳してから口を開く。


「実は、俺もプ〇キュアが好きなんだ」

「……ぇ?」


「だから、奏って呼んでもいいか? ……文化祭が終わるまで」

 俺は途中で日和って、余計な一言を付け加える。


「……まぁ、それくらいならいいか」

 音奏は少しだけ悩んだものの、受け入れてくれた。

「その代わり、当日はちゃんと決めてよね? 気合のレシピを見せてあげるから」

 そうしてキャラクターの台詞を模してきたので、


「もちろん。ここで決めなきゃ男が廃るってな」

 俺も同様に応えてみせた。


 

 


 

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