5-3

「モアとはあの伝説の鳥獣かね? もう絶滅したものと思っていたが……」


「目撃情報がありましてね」


 ジャドソンが言った。


「まあ私にはモアは必要ないし、その件は君に任せよう」


「ありがとうございます」


「ではアーロン、例の——」


 その時、近くの席で爆発的な笑いが沸き起こり、パーカー町長の声はかき消されてしまった。


「処理を頼むよ。私の部屋で厳重に保管している。くれぐれも慎重に頼むよ」


 マトリは決定的に大事な部分を聞き逃した気がして、グラスを握りしめ、一言も聞き漏らすまいと体を固くした。


 その様子が不自然に見えたらしい。カウンターの向こう側にいる派手な女性がこちらに近づいた。


「ねえ、あなたたち。飲み物が空みたいだけど、何も追加注文しないの?」


「俺たちもう帰るところだから」


 ヒックスが慌てて席を立った。マトリはもう少し話を聞いていたかったが、ヒックスが片眉を吊り上げてあごをしゃくって見せた。


 人混みをかき分けて、フェリータ警部補と部下がやってくる姿が見えた。マトリはボンネットを慌てて引き下げた。ラフィキもフードについているひもを絞り、顔が見えないようにした。


 三人はなるべく人にぶつからないように歩き、フェリータ警部補の脇をすり抜けた。フェリータ警部補のマントがれる感触をはっきり感じた。マトリは息を止め、なるべく怪しく見えないよう、あえてゆっくり歩いた。


 パブを脱出した三人は何かに追われるかのように町外れの道場まで走った。おそらくバレていないと分かっていても、町長の秘密をかなり握ってしまったという不安と、ジャドソンに気がつかれずに情報を得たという高揚感がマトリたちを走らせた。


 マトリたちは近道になる路地裏の通路に入った。いつもより長いスカートを履いているのでつまずいてしまい、マトリはあやうくぷんぷん臭っているゴミ捨て場に突っ込むところだったが、建物の裏口から突然出てきた誰かに嫌というほど激突してゴミ捨て場から逸れた。


「きゃあ! すみません、私たちちょっと急いでて……」


 しかし、ぶつかられた人物の方がよほど急いでいるようだった。マトリを押しのけ、暗い路地裏から表の通りに走り出た。


「あの人は……」


 マトリは目を凝らしてその人物の後ろ姿を見ようとした。ぼんやりとした街灯の明かりに照らし出されたその背中は……昔海岸沿いでよく見た背中と似ている。


「ペスカードさん?」


 ペスカードは右腕に何か茶色い小包を抱えているようだった。そのままヒョコヒョコとどこかへ走って行き、闇にのまれて消えた。


「マトリ! どうかしたのか?」


 ヒックスの心配そうな声が聞こえてきた。


「今行くわ!」


 マトリはそう言うと、暗い路地裏を駆け抜けた。



* * *



 マトリは震える手でまきストーブからやかんを外した。ジャドソンの声が頭の中を永遠に回り続けている。


 三人は再び道場の台所にある丸太のテーブルに集まっていた。パンのかけらを昼に食べただけだった三人は急にお腹がペコペコなことに気がついたが、食べられそうなものは菜園のジャガイモだけだった。


「あの人たちが保存食をダメにしなければ良かったのに……」


 マトリは割れた瓶の類を見て、昼間の警官たちを恨めしく思った。


 マトリは気もそぞろにヒックスのマグカップに熱いお茶をバシャバシャそそぎ、ヒックスの手にも注いだ。


「うわー! あちち! マトリ、気をつけろよ!」


 ヒックスは今しがた脱いだばかりのつばの広い帽子で拭いている。


 マトリはお腹が空いているにもかかわらず、目の前の皿にある焼きジャガイモに手を伸ばす気になれなかった。ヒックスは夢中で食べているが、向かい側に座っているラフィキも同じ気分らしく、皿の上でジャガイモをコロコロ転がしながら何かを考えている。


「お父さんて……有名な人なの?」


 マトリは一番気になっていたことが口から滑り出た。


「師匠はチュロスフォード市のクークアン地区で拳法を学んだと言っていた。それを元にプロックトン式格闘術を編み出したそうだ。チュロスフォード市では有名な格闘家だったに違いない」


 ラフィキが真剣な顔で答えたが、この言葉にヒックスがお茶をブーと吹き出した。


「おやじが有名な格闘家? じゃあなんで道場がこんなにジリ貧なんだよ。おやじの弟子って俺ら三人だけじゃんか。そもそも有名な格闘家が、こんな辺鄙へんぴなところで道場を開くか?」


 ラフィキは何も答えなかったが、少々気分を害したようだった。眉間にシワを寄せると、黙ってお茶を飲んだ。


「ラフィキってば! そんな怒るなって。うん、おやじが何者かはちょっと謎だけど、さっきのパブで俺たちはかなりの情報を得たな。まずは三日後の夜に何かの取引が行われること。そしてその取引と、道場の立ち退きが関係していることだ」


 ヒックスがジャガイモにフォークを突き刺したまま、何かを思い出すように斜め上を見上げた。


「一連の強盗事件と取引が何か関係あるのかしら?」


 マトリは記憶を必死に手繰り寄せた。パーカー町長は「例の取引が間もなく済むということは、町外れの道場はもう片付いたということかね?」と言っていた。道場を立ち退かせるために誰かと取引をしたのだろうか。


「その可能性が高いな。しかもジャドソンは『厄介な品も処分できる上、金も相当入ってくる』って言ってた。何か品物が動く闇取引きのようなことを目論もくろんでるらしいな。誰かをぶん殴る代わりに金をもらうとかじゃなくて」


 ジャドソンにとっての厄介な品とはなんだろうか。マトリは急いで紙とインク壺を持ってくると、目を閉じてジャドソンたちの会話の細部を思い出そうとした。


 パーカー町長が欲しいのは……お金だったわね、次の州知事選挙に出るために。マトリはしみだらけの紙に書き込んだ。

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