マトリとモアの宝石

ちはる

1部

序章

モアにひろわれた女の子

 ゼーランド連邦国れんぽうこくは、海の上に浮かぶ美しい島国だ。


 その国の東側に、特に美しい港町がある。


 絵に描いたように美しいこのカイコウラという町では、常にイルカを見ることができたし、沖に行けばクジラが潮を吹いているのを見ることもできる。


 海沿いには石造りの白い家が何軒も立ち並び、三角屋根の上ではカモメがひなたぼっこしていた。


 町外れの一角に、町で見かける石造りの家々とは違う、一風変わった木造の家がある。もしもこの家が港町の中心部にあれば、町の景観を損なう建造物だとして、役人がいる庁舎に間違いなく苦情が入るだろう。


 全体的に赤っぽい家で、玄関の扉も赤い木でできた引き戸だった。木造の壁には、草のつるや葉が絡みついている。屋根には丸みを帯びた瓦が付いていたが、長い間雨風にさらされているせいかどす黒く変色し、元の色がわからなくなっていた。


 家の前には町では見かけない風変わりなつぼやビン、積み上げられたまき、フラスコのような謎のガラス製品などが置いてある。


 玄関を入ると広い土間がある。土間で靴を脱いで家へ入るという習慣はこの地方では珍しいらしく、初めてこの家に訪れた人が土足のままドスドスと部屋に上がってきてしまうのが、家主の悩みでもあった。


 その向こうにはそれほど広くない板の間がある。家主はこの場所を道場と呼んでいた。






 この風変わりな家の家主、プロックトン・グレイビアードは、仙人のように長く白い髪とひげを持った立派な老人である。


 髪は真っ白だがたっぷりとしており、後ろで束にして背中に垂らしていた。同じく真っ白な口髭とあご髭も胸まで垂らしており、白い眉毛は目のきわまで垂れ下がっていた。威風堂々いふうどうどうたる風格であったが、背丈は初等学校に通う少年ほどしかなかった。


 ある日の早朝、プロックトンは朝靄あさもやが立ち込める中、台所から裏庭に出た。まだ肌寒さが残る、春の朝だった。


 プロックトンは水をむために井戸に近づいた。


 この道場はフェツの大森林という大きな森に隣接しており、森からは鳥の歌声が聞こえて来る。プロックトンは水を汲む手をはたと止め、森の音に耳を澄ました。


「なんじゃ?」


 プロックトンはただならぬ気配を感じて、大森林があるはずの方向を、朝靄の中から見つめた。


 足元に落ちている枯れ草が震えだした。何かが近づいて来る。ズシン、ズシンという音が、だんだんと大きくなっていく。


 ゆっくりと、大きなシルエットが現れた。霧の中から浮かび上がったのは、見たこともないほどの大きな鳥だった。


 身の丈は少なくとも三メートル以上ある。首は胴体よりも長く、キャラメルのような金茶色の羽で頭部から膝の上までが覆われている。カーブを描いた黒く太いくちばしがあり、側頭には黒い穴のようなものが見えた。


 膝の関節はサッカーボールほど大きく、三つに割れた足の先には大きな鉤爪がついている。くちばしに白い包みを下げていた。


「お、お前は……」


 唖然あぜんとしているプロックトンに向かって、巨大な鳥は頭を下げた。プロックトンは、鳥が下げていた白い布で包まれている何かを受け取った。


「なんと! これは驚いた!」


 プロックトンは包みをしっかりと抱え直した。中に入っていたのは、生後まもない人間の赤子だった。


 赤子は泣き疲れたような顔ですやすやと眠っていた。手には細い金鎖のようなものをしっかりと握りしめている。


 プロックトンは赤子から伝わってくるぬくもりを感じた。ふんわりとした黒い毛が、赤子の頭を覆っている。


「おお……よしよし、いい子じゃ。なんと美しい赤子じゃ」


 プロックトンは赤子の陶器のようにすべすべした頬に触った。巨大な金茶色の鳥は、その様子を長いまつ毛をしばたかせながら見ている。


「そなた、茶でも飲んで行かぬか?」


 プロックトンは金茶色の鳥に声をかけた。しかし鳥はきびすを返すと、朝靄を抜けて森へと帰って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る