きみを助ける!~極悪アイドル誘拐事件~

諸根いつみ

きみを助ける!~極悪アイドル誘拐事件~

 異様に大きな頭に口の出ない目出し帽をかぶり、なぜかさらにその上からアイマスクをつけた男。全身黒ずくめで、肌が一切見えない。

『せんにゃんこと、馬尻千音うまじりせんねを誘拐した』

 灰色の部屋でカメラに向かって仁王立ちした男は言った。

『これはせんにゃんの家族に対するメッセージではない。せんにゃんの家はごく普通の一般家庭であり、大金を用意することはできないことは調べがついている。だから、誰か代わりの者が金を用意しろ。こいつを応援しているオタクどもがいるだろう。誰でもいい。今夜22時までに、新古宿苺大福ビル5階まで、現金1億円を持ってこい。その前に警察などが踏み込んできたり、1秒でも遅れたら、今いるこの場所をせんにゃんごと爆破する』

 男は手に持った起爆装置らしきものを掲げた。

『ひとつ、お前らに温情をかけてやる』

 男は手袋をした手の人差し指を立てた。

『新古宿苺大福ビル5階で、誰かが自分の肉を5キロ分切り落とすごとに、締め切りを1分延ばしてやる。1分な。秤を用意してあるから、使え。俺からは以上だ』

 ひよこ座りでうつむいている少女に、アイマスクで覆われた目を落とす。

『馬尻千音、なにか言ってもいいぞ』

 赤く派手なミニスカート衣装を身につけた少女は涙にぬれた白い顔をカメラに向けた。

『お、お前ら、誰でもいいから、早くあたしを助けろ! 早くしろよ!』

 耳をつんざく叫びを最後に暗転したパソコン画面に、俺の毒饅頭のような顔が映った。時計を見ると、16時30分。この動画が動画サイトにアップされてから、すでに6時間半が経過している。俺は銀行へ走るため、俺の体重に始終きしみを上げている椅子から立ち上がった。


 俺にとっては、1億円などどうということのない額だ。というのは強がりだが、出せないことはない金額だということは間違いない。

 有名私大在学中に、大学教員だった両親が交通事故で死に、家族のいない身の上になると同時に、それなりの額の遺産を相続した。それを元手に投資を始めたところ、みるみるうちに預金額は増えた。俺は大学を中退し、投資家として全力を注ぐことにした。それからはや20年。

 いい時も悪い時もあったが、俺は天職を見つけることができたと言っていいだろう。ひきこもり生活を送ってきたことも、後悔はしていない。映画や音楽や文学、歴史や科学などの知的探求があれば、友達も恋人も家族もいらない。そういう性分なのだ。

 アイドルというサブカルチャーに興味を持ち始めたのは、わずか1年ほど前のことだ。なんとなく流し読みしていたネット記事の中に、『せんにゃんはいじめっ子だった! 中学時代壮絶動画流出』という見出しを見つけた。

 普段、芸能関係の記事はあまり読まないし、せんにゃんのこともまったく知らなかった。いじめにも縁はない。しかし、なぜかその見出しに目を引かれ、気がつくと開いて読んでいた。

 せんにゃん(馬尻千音)。年齢非公開。推定年齢16歳。さそり座。AB型。猫沢万優ねこざわまゆ・通称にゃざわとの二人組地下アイドルユニット・にゃんズとして2年間ほど活動。にゃざわが学業への専念を理由にアイドルを辞めてにゃんズが解散してから、ピンの地下アイドルとして活動を続けている。

 そういうことを知ったのは、そのネット記事を読んだあと、彼女のことをいろいろと調べた結果だった。ネット記事によると、彼女は中学時代、同級生の女子に対していじめを行っていた集団のリーダーだったらしい。流出した動画では、嫌がる女子に笑いながらホースで水を浴びせかけるせんにゃんの顔と声が鮮明に確認でき、当時、無理にいじめに加担させられていたという元同級生の告白と懺悔のコメントも公表された。それまで、純朴で清楚なキャラで通していたらしいせんにゃんのファンの間には激震が走ったようで、彼女は激しいバッシングを受けた。

 にゃざわがアイドルを辞めたのも、実はせんにゃんにいじめられたからではないかという憶測もなされた。しかし、その根拠は、にゃざわがせんにゃんを見る目に恐怖が感じられたとか、にゃざわが遅刻してせんにゃんが怒ったというエピソードがあっただとか、薄弱極まりないものばかりであったが。にゃざわはせんにゃんよりも歌もダンスも上手く、スタイルもよくて、小顔地下アイドルランキングで1位にも選出されたことのある地下アイドル界期待の星だっただけに、突然の引退は不自然なのではないかと言われ始めたようだ。

 俺が本当に衝撃を受けたのは、そのあとの続報記事だった。せんにゃんは、ファンに向けて、自ら語りかける動画をアップした。

『お前ら、あたしのこといじめっ子だ、サディストだとか勝手なこと言ってくれてるけどな、あんなの普通だから。じゃああんたらは全然ふざけないわけ? あたしのせいで傷ついた人がいるっていうのはほんとかもしれない。でも、それがなに? みんな、誰も傷つけないで、みんなに超優しくして生きてるの? 本当にそう胸張って言える? わたしのこと責められるような人たちなんですか? 悪気はなかったんだから、それでいいじゃん。てことで、アイドル辞めろって言われてるけど、あたしは辞めないから。よろぴく。じゃ、次の現場で会おうぜ!』

 記事にリンクされていたその動画を見た俺には、せんにゃんを応援したい気持ちが芽生えた。

 その後、アイドルのライブなんて行ったことのなかった俺が初めてせんにゃんのライブに行き、アンチと化した元ファンたちに罵声を浴びせられ、「嫌いなら会いにくんなや!」と叫ぶ彼女を目にして、彼女を推すことを固く決意した。

 俺は、せんにゃんの強靭なメンタルに強く惹かれた。華奢な体に細くて柔らかそうな薄茶色の髪、透き通るような肌に細いあごとちんまりしたおちょぼ口、涼しげな目元という可愛らしい肉体に宿る精神のなんと猛々しいことか。鈴の音のような声や粗削りなダンスも好きになった。

 いじめをするような女性を恋人や妻や娘にしたいとは思わないが、推しという関係性はそれらとはまったく違う性質を持っている。俺は彼女の人生に興味を持った。直接関わりたいとは思わないが、この強烈な精神を持った少女がどう成長していくのか気になった。

 俺は毎週のようにせんにゃんの現場に通った。数カ月もすれば、アンチは彼女を攻撃することに飽きたのか、客の入りは激減した。残ったのは、純朴キャラをかなぐり捨てた彼女の本性にもびくともしないファンだけ。俺のような新規はほとんどいないようだった。

 俺は、アンチと激しい悪罵の応酬をする彼女が見られなくなって少し寂しく感じたが、ガラガラのライブハウスの光景もまったく気にする様子のない彼女の様子を見ることが純粋に楽しかった。

 しかし、握手やチェキ撮影などの接触は一切しなかった。そんなことをしなくても十分満足だったから。笑顔で応じている彼女を横目に見て可愛いと思ったし、彼女のためには接触イベントにも参加してお金を落とすべきだとわかってはいたが、どうしてもふんぎりがつかなかった。ほかのファンのことはともかくとして、俺のようなどこからどう見ても100パーセントおっさん成分マックスな男が彼女の目の前に立ったら、彼女の視線が俺の増えすぎた脂肪をことごとく溶かして、殺されてしまうのではないのかと思えた。

 だから、彼女とは言葉を交わしたこともない。SNSでも、いいね以外のことはしていない。目が合った気がしたことも、皆無ではないが数回しかない。でも、せんにゃんは俺の推しだ。


 銀行に緊急事態だということを説明すると、なんとか現金1億円を用意してもらうことができた。それを急遽購入したスーツケースに詰め、俺は車を飛ばした。

 昼過ぎに起き出し、市場をチェックして、あの動画がアップされていることに気づくのが夕方になってしまった。急がないと間に合わない。もうすでに事件が解決しているか、別の誰かが金を届けている可能性も十分あるが、それを調べている時間的余裕がない。無駄足になってもいい。損することはないし、迷っている暇はないのだ。

 しかし、考えてみれば、犯人は金をどうやって回収するつもりなのだろう。現場は当然、警察が固めているだろう。そもそも、動画サイトに動画を投稿すれば、すぐに身許は割れてしまうのではないか。

 それに、肉を切り落とせば締め切りを延ばすとはどういうことだ。ただの猟奇趣味か? それとも、犯人にはなにか金以外の別の目的があるのか?

 苺大福ビルにたどり着いた時、時刻は21時50分。間に合った。

 薄汚れた5階建てのビルの周りには、予想に反して、車もなければ人影もなかった。警察は物陰に隠れているのだろうか。

 車から降りた俺は寒さにジャンパーの襟元を寄せてから、重いスーツケースを引きずり、エレベーターで5階へ上がった。鼓動が速まる。これでせんにゃんを助けられるんだよな。不安を押し殺し、自分に言い聞かせる。

 5階のエレベーターホールには、数人の男たちと、女が二人いて、みんな揃って俺を見た。みな、言葉を交わしたことはないが、せんにゃんの現場で見かけたことのある顔だった。

「いくら持ってきました!?」

 ガリガリに痩せた若い男が唾を飛ばしながら迫ってきた。何度も見かけたことのある熱心なファンだ。

「あ、い、1億」

「本当に1億持ってきたんですか?」

 男の言葉に俺はうなずく。

「ちゃんと銀行で数えてもらいました。俺、証券投資家をやってまして、口座預金が2億ほどあったもんで」

 俺の言葉に、一同はわっとわいた。

「よかった!」

「わたし、この全財産300万を失っちゃうと大変だったんです」

「ありがとうございます! 助かりました!」

 みんな逃げ出すようにエレベーターに乗り込む。鞄などを抱え込むようにしているのは、持ってこられるだけの金を入れてきたからだろうか。

 残ったのは、あの痩せた男だけだった。無言で俺を見る目は血走っている。

「あの、あなたは帰らないんですか?」

 思わず尋ねると、男は一歩前進してきて、俺は一歩下がった。

「少し待ってもらえませんか」

「え?」

 男は安っぽいデジタル腕時計をチラ見する。

「今、9時53分です。10時までに、あそこに1億を置けばいいらしいです」

 男は、ドアが開いているすぐそこの部屋の中を示した。見れば、なにもない部屋のコンクリート打ちっぱなしの床に、テープで四角い枠が貼ってあり、その前に、「ここに金を置け」と印刷された紙が置かれていた。そしてその横にあるのは、料理にこだわりのある人の家か、中学校の理科室にあるような秤と、それに寄り添う小ぶりなのこぎり。

「まだ犯人が捕まったっていう報道もないし、警察は別の階と裏の通りと向かいのビルに待機しているらしいです。犯人からのメッセージもありません」

「じゃあ、早く金を置かないと」

「だから、待ってください。俺が肉を捧げます」

「え? なに言ってるんですか?」

「俺が肉を捧げれば、せんにゃんは俺の愛をわかってくれると思うんです。俺、金はないけど、せんにゃんへの愛は誰にも負けないっす。でも、今までどう頑張っても、せんにゃんはわかってくれてる感じじゃくて。だから俺、やります」

「いやいや、俺は1億持ってきたんですよ? そんなことする必要は」

「これは絶好のチャンスなんですよ。これで絶対に俺の愛がせんにゃんに伝わります! そのためにこの事件は起こったんですよ!」

「ちょっとなに言ってるかわから――」

「俺はせんにゃんと結婚します。これは運命なんです。すべてが俺に味方してるんです。わかりますよね?」

「わかりません」

「きっとあなたは、俺に与えられた最後の試練なんですね。邪魔しないでください。俺は俺の愛を証明する!」

 男は秤とのこぎりのもとへ走り出した。

「やめろ!」

 俺は男を羽交い絞めにする。男のTシャツは汗で湿っていて気持ち悪い。

 男はぬるっという感じで俺の腕をかいくぐり、秤の前にスライディング正座をすると、のこぎりを手に取って自分の左腕に向けて振り上げた。が、動きをとめた。

「き、きみの体格だと、腕を根元から切り落とさないと5キロにはならないぞ。諦めろ」

 どうしてこんな馬鹿に付き合わなければならないのだろう。俺はスーツケースを枠の中へ向かわせようとしたが、男は狂犬のような顔を俺に向ける。

「5キロだろうがなんだろうがどうでもいい。肉を捧げるということが大事なんだ!」

「そうすればせんにゃんがきみの愛を受け入れるとでも思ってるのか? せんにゃんは気高い孤高の存在なんだ。きみの愛なんて、まったくなんとも思わないんだよ」

「てめえみたいなキモデブじじいに言われたくねえよ!」

「せんにゃんは、俺のこともきみのこともキモいなんて思わないさ。俺にはわかるんだ。彼女はアイドルでいたいだけ。俺たちはファンという記号でしかない。彼女にとって俺たちは、人として、まったく興味がないんだよ」

「なにわけわかんないこと言ってんだよ」

「とにかく金を置かせてくれ」

「だから待てって」

「きみが腕を切ってからすぐに金を置いても同じだろう。時間を延ばす意味なんてないんだから」

「俺の邪魔をするな!」

 男は、のこぎりを俺に向かって振りかざした。こいつには論理的な思考力というものがないらしい。これが狂った恋の力なのか、それとももとから馬鹿なのか。

 のこぎりは俺の横の空気を切り裂いた。

「やめろ!」

 俺は男の腕をつかみ、もみ合った。力では勝てるかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 その時、「やめて!」という甲高い叫び声が聞こえた。

 見ると、部屋の奥にあったドアが開いていて、一人の少女がこちらに駆け寄ってこようとしたが、足がもつれて転んだ。

「大丈夫!?」

 その奥から駆け寄ってきたのは、赤い衣装姿の少女。

「せんにゃん……!」

 男はのこぎりを持った手をだらりと下ろし、目と口を丸くした。その顔がおかしかったので、俺は思わず笑いそうになったが、すぐにそんな状況ではないと思い直した。せんにゃんは膝をつき、倒れた少女の背中を叩く。

「やるならとことんやれよ!」

 しかめ面をしたショートカットの少女が顔を上げる。どこかで見たことがあるような。

「にゃざわ!」

 のこぎり男は再び叫んだ。言われてみれば、それは確かに猫沢万優だった。

「だって、ほんとに殺しちゃうと思って」

 にゃざわは床に座り、目を手でぬぐって息をつく。

 どういうことだ、と二人が出てきた部屋のほうへ目をやった。その部屋には、黒い人影があった。異様に頭の大きな黒づくめの男。

 ぞっとした時、それが壁にかけられているということに気づいた。人型の着ぐるみだ。まさか。

「狂言、だったんですか」

 俺は力が抜けて、スーツケースを抱えるようにして座り込んでしまった。あの動画の音声は加工されていたのだ。同じことを考えているのか知らないが、男も呆然としている。

「いや、狂言じゃないよ」

 立ち上がり、両手に腰を当てたせんにゃんが言う。やはり彼女の内側からは光があふれている。というか、今せんにゃんと会話したぞ、俺。

「こいつが、リハーサル中のあたしに薬をかがせて誘拐したんだよ」

 にゃざわを指差す。

「でも目的は金じゃなくて、あたしがどれだけ愛されてるのか試すためだとかぬかすから、まあ、協力してやろうと思って」

 せんにゃんは、にゃざわの背を軽く足蹴にした。

「あたしに負けを認めてアイドル辞めたくせに、まだ負け惜しみしてんだもんな」

「やっぱりにゃざわをいじめてたの? でも俺、それでもせんにゃんのこと大好きだよ!!」

「いじめられてない!」

 男に答えたのはにゃざわだった。

「誰がこんなやつにいじめられて黙ってるもんですか。わたしは、なにもかもわたしのほうが上なのに、みんなわたしとこいつを同じように扱うから、馬鹿馬鹿しくなって辞めたの。でもこいつは一方的に連絡取ってきて、アイドルはみんなに愛される素晴らしい職業だってしつこいから、誰も本当のお前なんて愛してないってわからせるために、こいつがいじめをしてた時の証拠もバラしたのに」

「あれ、にゃざわが流出させたの!?」

「そうだよ! こいつとは古い付き合いなんだから。でも、こいつは懲りずにアイドルを続けて、自分は愛されてるって言って譲らないから、はっきりわからせてやろうと思って」

 にゃざわはせんにゃんを睨みつける。

「わかったでしょ。あんたの本当のファンは、このキチガイと、キモデブじじいだけなんだよ!」

 キモデブじじいと言われたショックよりも、「本当のファン」と言われた嬉しさのほうが大きかった。にゃざわのことはよく知らないけれど、ありがとう。

「キチガイ??」

 男はそれが自分を指しているということに気づいていないらしい。

「それがなに?」

 せんにゃんはにゃざわを見下し、心底不思議そうに言った。

「そんなこと、あたしが気にすると思ってんの?」

「だって、ファンって言っても、こんなやつだけなんて」

「お前とあたしはね、そもそもアイドルやってる理由が違うんだよ。お前は、たくさんの人に認められて、褒められたい、愛されたいって思ってアイドルを始めたんだろ? あたしは、衣装着て、ステージに立って、歌って踊ってる自分が好きなの。あたしとずっと一緒にいて、そんなこともわからなかったの? お前より、このおっさんのほうがよっぽどあたしのことわかってんじゃん」

 せんにゃんは俺を指差した。まさか、今、せんにゃんが俺のことを褒めた? これは奇跡だろうか。せんにゃんは、俺が言ったことを聞いていてくれたのだ。

「じゃあなんで、いつもわたしに電話してきて、自分はみんなに愛されてるなんていう自慢したの!?」

「お前が愛されたがってるからだよ」

「は?」

「一人より、お前と一緒のほうが楽しい。だから、そういう風に言えば、戻ってきてくれるかなって思って」

「ふざけんなよ!」

 にゃざわは立ち上がり、せんにゃんにつかみかかった。

「わたしが隣にいたほうが優越感に浸れるからだろ!? 歌とかダンスとか見た目とかじゃなくて、本当の自分が愛されてるって実感できるから!」

「本当の自分なんてない!」

 せんにゃんはまったくひるまない。

「人間なんて、いろんな要素が集まったものでしかないよ。本当の自分なんて、どこにもないんだ。そんなのどうだっていい。みんながわたしのどこが好きで、どれだけ好きかなんてこともどうでもいい。楽しければそれでいいんだ!」

 せんにゃんのあまりにシンプルな言いように、にゃざわは言葉が見つからないらしく、砂をぶつけられたように目をしばたたいた。

「お前は馬鹿だ。こんなことやらかして。自分では気づいてないみたいだけど、ずっと馬鹿だ。そういうお前と一緒にいると、楽しいんだよ」

 せんにゃんの言葉はどこまでも力強い。にゃざわは顔の筋肉を静止させ、大きな瞳でただせんにゃんをまっすぐに見つめた。身も心も装っていないただの女の子がそこにいた。

「キチガイって、俺のこと?」

 男の力ない呟きは、澄んだ空気を少し乱しただけだった。


 踏み込んできた警察に、せんにゃんは、これは行き過ぎた冗談だったということを説明した。にゃざわのために警察官に笑顔を振りまく彼女を間近で見ることができて、俺は心が洗われる気分になったし、本当に1億円を持ってきたことをせんにゃんの前で証明することもできたため、その後の取り調べもまったく苦にならなかった。

 起爆装置も偽物だったらしいし、猫沢万優は刑事責任を問われずに済んだようだ。

 そして数か月後。いつものライブハウスで、にゃんズ復活ライブが行われた。

 俺は最前列で、歌い踊るせんにゃんとにゃざわを鑑賞した。きらきらした笑顔に満ちた二人のステージは平和裏に終了したが、俺を含む一部の客には聞こえた。袖にはけた途端、振り付けが間違っている、いや、間違っているのはそっちだと怒鳴り合うにゃざわとせんにゃんの声が。

 再結成ではなく、あくまでも今後に言及しない「復活」ということだったが、にゃんズのステージは再び行われた。その現場には、あの男もいたが、俺たちは一瞬だけ合った目をすぐに逸らした。

 この時もせんにゃんとにゃざわは表面上は仲良さげに振る舞っていたが、時折交差する視線が鋭いように思えてならない。

 イベント終了後、俺がライブハウスから出ると、あの男が出入り口に立っていた。

「あの、あの時はすみませんでした」

 お詫びに、俺の一番大切なものをあげます、と渡してきたのは、せんにゃんと男が一緒に写っているチェキだった。

 いらないよ、と返そうとしても男は受け取らず、逃げるように去ってしまった。やはりおかしなやつだ。

 その時、裏口の方から誰かの叫び声がして、俺は様子を見に行った。

 衣装姿のせんにゃんとにゃざわが、通りで取っ組み合いの喧嘩をしている。

「わざと音はずしてんだろ、ぶりっ子が!」

 とにゃざわ。

「あの曲はむずいんだよ、なんでも完璧にできる自分基準で考えるなよ馬鹿!」

 とせんにゃん。

 ファンや野次馬も周りに集まってきたが、あまりの迫力に誰もとめに入ることもできない。

 しかし数分後には、なぜか丸く収まり、二人はファンたちを無視して肩を組み合いながら楽屋に戻っていった。

 演技なのかガチなのか。俺にはわからない。せんにゃんはあの時以来、俺に目をくれようともしない。でも、「あたしのことわかってんじゃん」というあの時の彼女の言葉は一生の宝だ。そして、俺はこれからも二人から目が離せないだろう。

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